情報処理能力の進化 2

 Journal of Social Computingに掲載された「集合的計算能力の進化」特集の続き。前回はSeshatのデータを使って理論を実証してみるという事例を紹介したが、今回はむしろSeshatのデータに関する疑問点を提示した論文を紹介しよう。Explosive Expansion, Sociotechnical Diversity, and Fragile Sovereignty in the Domain of the Inkaがそれだ。
 Seshatのデータを分析して2つの「閾値」の存在を指摘した論文、Scale and information-processing thresholds in Holocene social evolutionでは、新世界のデータについて閾値を突破できなかったのではないかと指摘していた。確かに同論文のFig. 4を見ると、閾値を超えていない左側に新世界(赤)のデータが集まっているのに対し、閾値超を示す右側には旧世界(青)のデータが集まってクラスターを形成している。旧世界の様々な社会で達成できた複雑さを、新世界の社会は達成できなかった、かのように見えなくもない。
 だがよく見ると、中央下部にある点はPC1でゼロ付近まで複雑度を高めているのが見て取れる。複雑さに関する情報処理の閾値はPC1で-0.5付近にあり(Fig. 2)、それより高い複雑さを達成しているこの新世界の社会は、実は閾値を超えているように見える。そう解釈し難いのはPC2の数値が-2未満にとどまっており、普通なら超えなければならないPC2の閾値(+1付近)に全然到達していないからだ。複雑さを高めるうえでまず規模の、次に情報処理の閾値を超えなければならないという分析結果が正しい場合、この社会は情報処理の閾値を超えることなく複雑さを高め続けた計算になるわけで、分析結果に反する結果をもたらしていることになる。
 この閾値を超えた場所はどこか。論文のSupplimentary Informationを見ると、南北アメリカでPC1がゼロまで上がった地域は南米のクスコであることが分かる(Supplementary Figure 10)。情報処理が低レベルであるにもかかわらず、規模を含めた複雑さで旧世界に次ぐほどのレベルに達した社会とは、クスコを拠点にしたインカ帝国だったのだ。
 今回、Journal of Social Computingに載った論文では、スペインに支配される前のインカが、大規模で複雑な政治経済構造を持っていたにもかかわらず、他の社会で見られるような「カギとなるテクノロジー」(ここでは情報処理能力がらみ)を欠いていた理由について論じている。アンデス地帯は情報処理の閾値を超えていないのに複雑さを増した、いわば「モデルに反する」例のように見えるが、筆者は実際にアンデスで進んだ高度な情報処理をSeshatがきちんと捕捉できていないのではないか、と主張している。

 筆者はまずSeshatの取り組みや、そこから閾値を導き出した先行研究を紹介する。その中でデータベースに関する懸念点を2つ示している。1つは、そもそも各データの証拠となる根拠がまだ不十分であること、もう1つはこうしたデータの粒度はどうしても粗いものにならざるを得ない点だ。そして、閾値分析の例外としてインカが存在していることを指摘。実際にはインカが情報処理の閾値を超えることなく規模や複雑さを拡大したのではなく、インカが行った情報処理についてSeshatのデータ処理の方法に限界があったのだとの見方を示している。
 どこに問題があったのか。1つは文字ではなくキープと呼ばれる紐を使った情報伝達方法だ。Seshatはキープを持っていたインカ帝国について、そのデータの中で筆記システムは「書かれたものではない記録」の段階にあったとして、文字を持っていた社会よりも発展度が低かったとしている。またマネーについても貴金属などを使った貨幣はなかったとしており、結果として経済の発達についても低評価となっている。
 論文でこのあたりを分かりやすく示しているのがTable 1だ。Seshatでは文章絡みや貨幣絡みの様々なデータでその多くが「不在」と記されていることが紹介されている。Seshatでは旧世界に特有かもしれない性質をメルクマールとして使ってしまっており、本来はもっと多様な情報処理の解決法についてすくい切れていない。だから多様性を認めるように基準を変更するか、あるいは変数を追加して人間の情報処理が持つ様式の多様性に近づける必要がある、と指摘している。
 そのうえで、実際にインカの社会が情報処理についてどう処理していたかを説明している。筆者によればインカで通貨がなかったのは実は「必要なかった」からだそうだ。どうやらインカでは支配者と臣下の双方が持つ義務によって社会が構築されており、その義務関係が経済を回していたようだ。実際、インカの外とは貨幣らしきものを使った取引が行われていたが、それがインカ帝国内まで届くことはなかった。帝国内では義務であった労働と、そこから生み出された余剰を行政官が戦略的に再配分する形、つまり「需要と供給」ではなく「命令による供給」が成立していたそうだ。
 とはいえこれらを中央集権的な政府が取り組んだ「統制経済」と見なすのはどうも違うように見える。あくまでインカを中心としたパトロン=クライアント関係に基づく社会がこのような形で回っていたということのようだ。むしろ封建制度に見られるような「御恩と奉公」という関係がより大規模に構築されていたと見た方がよさそうに思える。モースの唱えたポトラッチのようなもので、実際こうした制度は決して安定したものではなかったとも指摘されている。
 キープもまたアンデスでは重要な役割を果たしたようだ。特にインカという複雑な国家が出来上がった時にその使用は急激に増えたそうで、行政的な情報管理のためにキープと、キープを読む人間とが国家機構と結びつく形で配置されていたという。このキープを使って、上に説明した強制労働と、そこから生み出された余剰の分配とがなされていた。そしてどうやらキープは言語の発音に対応した「文字」的なものではなく、むしろ意味をそのまま表す機能を持っていたらしい。キープは植民地時代にも使われ、例えば法廷での証拠能力を認められていた。
 そして、キープは会計的な目的以外にも使われた。残されたキープのうち3分の1は「ナラティブ」「手紙」「書簡」といった機能を果たしていたそうで、キープが読める者が語った歴史が植民地時代に記録されたし、一部地域では植民地時代を通じて遠距離コミュニケーションにキープが使用されていた。まだ解読作業はこれからのようだが、キープを単なる数字の記録とだけ見なし、そのようにデータ化するのは実情に合っていない可能性がある。
 インカの代表的インフラと言える「インカ道」についてもこの論文で言及されている。このインフラが持っていた能力については割と知られているが、論文ではこの道について単なる物流ルートではなく、人や物の流れを国家がコントロールする機能まで持っていたとしている。この道を通じてインカは地方にまで支配権を伸ばしていたわけだが、どうやらこのネットワークは地方の実情を細かく把握できるほどの能力はなかったようで、植民地化前夜には地域間の摩擦が色々と生じていたという。
 最後に筆者はSeshatのデータがインカの実情を十分に反映できていないと指摘。インカは13~15世紀に一定の閾値を超え、そこからさらに拡大するには情報処理の進化が必要になっていた。そして実際に15世紀半ばにはその進化によって爆発的な領土の拡大を達成しており、その際にはキープ専門家が運営する官僚制が十進法、インカ道、地方拠点のネットワーク、国営農場、司法や中央財政システムを生み出していた。要するに筆者は、インカもまた情報閾値を超えてグループ3にたどり着いた社会の1つだと見ているようだ。

 以上、新大陸の社会について詳しくない立場から見ると非常に興味深い指摘であった。と同時にSeshatの課題が分かりやすく見えているという点でも面白い論文だ。例えば通貨に頼らない経済活動についてだが、関西がグループ3に相当するだけの複雑さを手に入れたのは古墳時代の紀元500年だが、この時期には外国製の貨幣はあったものの通貨として使用されていた形跡はないとしている。複雑さを達成するうえで、通貨の必要性はそれほど高くない可能性がある。
 キープの性格については西欧的な観点、つまり文字は発音を記号化したものという視点が強すぎるのがSeshatの弱点かもしれない。実際にはユーラシアでも、初期の楔形文字や漢字のように発音ではなく意味を記号化したものはあったし、またインカがそうだったように方言の多い中国でもそうした文字は広い範囲で使用するのに向いていた可能性がある。いずれにせよキープの解読が進めばSeshatのデータも見直す必要が生まれそうだ。
 同時に、新世界でも情報処理の閾値を超えた社会が生まれていたかもしれない、という点に注目すべきだろう。2つの閾値について指摘した論文では、家畜化した動物が少なかった新世界では移動能力が限られていたために情報処理の閾値を超えなければならないような局面がなかったのではないか、と指摘していた。だがアルパカとリャマくらいしかいなかったインカで情報の閾値を超えていたのだとすれば、帝国が生まれるうえで移動手段としての家畜(馬)は必ずしも必要条件ではないという結論になる。ホースパンクでない社会がどうなるかについても、色々と考えるヒントになりそうだ。
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