以前
こちら で、社会が複雑さを増すためには2つの「閾値」を超える必要があるのではないか、という論文を紹介したことがある。このテーマな実はけっこう色々な人に刺さったようで、最近になってこの論文に刺激を受けたと思われる特集が
Journal of Social Computingに掲載された 。特集のテーマはEvolution of Collective Computational Abilities of (Pre)historic Societies、つまり「歴史(先史)社会の集合的計算能力の進化」だ。集合的計算能力とは、上の論文で述べていた「情報処理能力」と似たような意味と考えていいだろう。
そのうえで論点整理し、この特集に掲載されている論文を紹介しているのだが、4.6に出てくるIan MorrisのScale, Information-Processing, and Complementarities in Old-World Axial-Age Societiesという論文だけはこのサイトには掲載されていない。Morrisは紀元前1千年紀のギリシャを取り上げ、この地域では情報処理能力の高い政治体が必ずしも規模の巨大化を達成していたわけではないと指摘。情報処理と規模の拡大の間に正の相関が出てくるとは限らないと指摘しているようだ。ただし規模の増大の中には人口増もあり、そして古典期ギリシャでは人口密度は高かったそうなので、それも踏まえるとまた異なる結果になったかもしれない、という。
こうしたストレスを軽減する方法はピラミッドの階層を増やす以外にもある。儀式を行なうとか、共同での宴会を開催する、道路や郵便などのコミュニケーションインフラを整備するといった方法だ。Johnsonによれば文字の発明はコミュニケーションのパフォーマンス低下を相殺するために生じた可能性があるらしい。もちろん、無理して規模を大きくするのではなく、集団が分裂する形でこのストレスをなくすという手段も取られた。
ただこうしたJohnsonの原則を実際にモデルとして使用する事例は多くなかった、というのがこの論文の指摘だ。そのうえで、ではSeshatのデータや上に紹介した「閾値」の概念を使えば、Johnsonのコンセプトが実際にどのくらい当てはまるのかを調べられるのでは、というのが筆者のアイデア。そのためにまずはSeshatのデータを2つの閾値を境目に3つに分割。PC1が-2.5未満をグループ1、-2.5から-0.5未満をグループ2、それ以上をグループ3に分け、グループごとに重回帰分析をして社会の階層が他のどの要素と相関しているかを調べている。
まずは各グループがどのような規模の政治体であるかについての簡単なまとめがある。グループ1は人口規模で言えば平均3162人、領土面積は1585平方キロ(浜松市より少し大きい程度)であり、Seshatデータでは欧州と接触する前のカホキア、初期のオアハカ、初期と後期のモンテ=アルバン、初期上エジプト(バダリアンやナカダI期)がこれに相当する。グループ2になると平均人口は3万1622人、面積は1万2589平方キロ(ほぼ新潟県並み)に膨れ上がり、ナカダII期の上エジプト、ローマ王国、ペルーのワリ帝国などが対象だ。そしてグループ3はいきなり人口が2桁大きい316万2278人、面積は39万8107.2平方キロ(日本より少し大きい)に達する。新世界ではインカ帝国のみがこの規模に達し、旧世界ではローマ共和国や教皇領などがこの範疇に入る。
グループ1の重回帰分析についてはTable 1からTable 5までに結果がまとめられている。最初の規模の閾値すら超えていない単純な社会において階層のComplexity Componentと相関が高いのは首都人口、政治体の領土面積、そして専門兵、専門司祭、フルタイムの官僚、国家試験、実績に基づく昇進、専門の政府建物、公的な法律、判事、裁判所、専門の弁護士といった要素がどのくらい整っているかを示す「政府」指標だ。筆者の事前予想では、この段階では規模関連のComplexity Characteristicsの寄与度が高いと想定しており、実際に3つの要素のうち2つはそれで占められている。
さらに筆者は社会階層の中身を個別に見て同じく相関を調べている。まず行政階層は地方階層、マネー、軍事階層の3つと相関している。軍事階層は行政階層、政府指標、政治体領土と、宗教階層は共同体階層、政府と、そして地方階層は首都人口と宗教階層に相関している。
続いて規模の閾値を超えているが情報処理の閾値は超えていないグループ2だ(Table 6-10)。こちらの全体階層との相関が高いのは政治体人口とテキスト。このグループだと情報処理関連との相関が高いのではと筆者は事前に予想していたが、最終的に情報処理の閾値を超えられなかった社会も含まれているためか、そこまで明確に傾向は出ていなかった。行政階層はテキスト、軍事階層と、軍事階層は人口、行政階層と、宗教階層はテキストと、地方階層はインフラ及び宗教階層と相関していた。
グループ3はより多くの指標と相関しているものが目立つ。全体階層が相関しているのは首都人口、政府、インフラ、政治体領土で、行政階層は軍事階層、地方階層、政府、首都人口と、軍事階層は宗教階層、行政階層、地方階層、政府、政治体領土、首都人口と、そして最後に地方階層は行政階層、軍事階層、地方階層、政治体人口と相関している。これだけ大きな社会になると社会の様々な要素が密接に絡み合いながら複雑さを増やしている様子が窺える。
以上を踏まえたうえで筆者は、Jonhnsonの考えは全体としてSeshatのデータによって確認されたと評価している。もちろん筆者の事前想定とは違う結果も出ているが、基本的には規模が大きくなるほど階層化が進むという傾向は窺える。ただし階層の中身を細かく分類(行政、軍事、宗教、地方)すると、相関関係はあまり明白には見えてこない。筆者はSeshatのデータ不足があると考えているようで、例えば集会の規模や儀式への参加度合いといったデータがあれば、よりJohnsonの考えを実証できるようになるというのが筆者の見方だ。
こうした分析はSeshatを作成した当初の狙いを上手く反映したものと言えるだろう。Seshatを主導したTurchinがやっているのは、
データを使って理論の妥当性を調べる取り組み だ。この論文でも1980年前後に打ち出されたJohnsonのアイデアについて総括的に分析し、そのアイデアの妥当性がどのくらいあるかを調査しているわけで、こうした使い方をしてもらえるならSeshatを作り上げた意味もあるってもんだろう。
もちろん結論はそんなにすっきりとしたものではない。全体としては当てはまるものの、細かいところではそこまできっちりと仮説通りの結末が出ているわけではない。でもそのくらいは想定範囲内だし、これを踏まえたうえで、ではデータの粒度や切り口を変えるべきか、あるいは仮説そのものを見直したらいいのかといった、今後の方向性が見えてくるのであれば「一歩前進」と言える。それだけでも意味のある分析だろう。
また研究者でない立場から言わせてもらえば、単純にグループ1から3までの社会がどのようなものかが見えてきただけでも十分に面白い。それぞれの規模感や、各種階層と相関する要素が見えてきただけで、色々と考える材料になりそうだ。何よりテキストの持つインパクトの大きさが見えてくるのが興味深いところ。言葉の誕生とヒトの「行動的現代性」との間に密接な関係があるとの説が存在するが、文字の誕生と社会の複雑さとの関係についてもやはり密接なものがありそうだ。
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