大国が隣国を侵略しながら上手くいかず、途中で方針を変えた例は過去にもある。
1979年の中越戦争 だ。ベトナムがカンボジアに侵攻して親ベトナム政権を打ち立てたのに対し、ポル・ポト政権を支援していた中国がベトナムに圧力をかけようとして行われた戦争だったが、短期間(ほぼ1ヶ月)のうちに中国は撤退を決断しており、長期化することはなかった。なおどちらも勝利宣言を出した戦争でもある。
ただしこの戦争に関する英語圏の報道は限られていたという。ちょうどイランでイスラム革命が起きた時期であり、米大使館員が人質になっていた。またこの少し後にはソ連のアフガン侵攻が起きている。さらにニカラグアでのサンディニスタ政権成立、エチオピアとスーダンの戦争、スリーマイルの原発事故など、他にもニュースは満載だった。ベトナム戦争で負けたばかりだった米国にとってインドシナの戦争はあまり聞きたくない話であり、また中国とベトナムもあまりこの戦争について語りたがらなかった。
中国側の不手際は人民解放軍があまりに平等主義的な毛沢東の方針に従っていたためで、例えば上官が戦死しても兵たちはその後を誰が継ぐのか知らず、混乱状態に陥ったという。鄧小平はその後、軍の専門性を高める方向に舵を切り、さらに軍事より経済成長を重視するようになった。一方、ベトナムの周辺国は彼らの拡大主義的な姿勢に懸念を抱いていたようで、この時期に中国はASEANとの関係を深めている。
より興味深いのは、この戦争を通じて中国がソ連を「張り子のホッキョクグマ」であると認識するようになった点だそうだ。前年にソ連はベトナムと防衛条約を結んでいたにもかかわらず、この戦争ではベトナムを十分に支援しようとはしなかった。またこの戦争で多額の経済的負担を背負ったベトナムはカンボジアでの軍の駐留を継続できなくなり、彼らの軍事的覇権の恐れはなくなった。中越両国の関係はその後も10年ほどは緊張を続けたが、天安門以降は互いの経済的利益のために協力関係に戻ったという。
この戦争は米国にとっては「価値観のまた裂き状態」に追い込まれるような戦争でもあった。ベトナムによるカンボジアの属国化は第二次大戦後の国際秩序に対する大きな挑戦であった一方、ベトナムが倒したポル・ポト政権は米国が当時主張していた「人道」重視の外交という観点では論外の存在だった。米国がこの戦争に対して非常に中途半端な姿勢だったのも、そういう問題があったからではないかとこの文章では指摘している。
そう、中越戦争は足元のウクライナ侵略とある面では似たような状態で始まったが、別の面では全然異なる条件下で起きた戦争だった。はっきり言うなら中越戦争の方が「どっちもどっち」感の強い戦争だったわけだ。比べて今回は圧倒的にロシアが悪役的な動きを自ら押し進めており、米国は明白に彼らの行為を
「戦争犯罪」 と規定している。またロシアの戦争へのコミット度合いは中国よりもずっと深刻に見える。かつての中国のように「こんくらいで勘弁したる」という捨て台詞とともに手を引くことは、おそらく容易ではないだろう。実際、ISWはロシアの現状について
「実際はドンバスだけで満足しないだろう。他地域での戦闘をやめていない」 とも指摘しており、本当に方針が変わったかどうかはまだ判断できない。
むしろ過去の歴史と比較するなら、
豊臣秀吉の朝鮮役になぞらえた方がいいかもしれない 。だとすると地獄のような戦場が長々と続いた挙句、グダグダになった侵略側の独裁者死亡後に政変が起きるというパターンを想定する方がいいのだろうか。ロシアの未来について
こちらの記事 では「モスクワの春」「傷を負った巨人」「ボルガ川のテヘラン」という3つのシナリオがあるが、可能性が高いのはグダグダが続いて中国への依存が強まるシナリオだと指摘している。また長期的に
ロシアの凋落は早まる との見解もある。中越戦争のように「争いより商売の方が望ましい」、という方向に切り替わる可能性はあまりなさそうに見える。
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