中越戦争とウクライナ

 侵攻開始から1ヶ月が経過し、当初計画は失敗に終わったと言われているロシア軍が、方針の変更を言い出した。もちろん失敗など認めようはずもなく、あくまで「軍事作戦の第1段階が完了し、今後は同国東部ドンバス地方の『解放』に焦点を当てる」という理屈である。米国防省はまだ「戦略目標の変更とみるかは明言できない」と慎重な言い回しをしているようだが、今までよりはずっと達成可能性の高そうな目標を出してきたのは否定できない。
 大国が隣国を侵略しながら上手くいかず、途中で方針を変えた例は過去にもある。1979年の中越戦争だ。ベトナムがカンボジアに侵攻して親ベトナム政権を打ち立てたのに対し、ポル・ポト政権を支援していた中国がベトナムに圧力をかけようとして行われた戦争だったが、短期間(ほぼ1ヶ月)のうちに中国は撤退を決断しており、長期化することはなかった。なおどちらも勝利宣言を出した戦争でもある。
 The Sino-Vietnam War's Thirtieth Anniversaryによると攻め込んだ中国側の戦力は8万人から60万人までと幅広い説があり(20万人説が多い)、損害は双方合わせて2万人未満から10万人以上までと、こちらも数字がバラバラ。中国側の主張によれば死者は6000人、負傷者は1万5000人になるそうで、ベトナム側の被害の方が多かったのは事実のようだ。
 ただしこの戦争に関する英語圏の報道は限られていたという。ちょうどイランでイスラム革命が起きた時期であり、米大使館員が人質になっていた。またこの少し後にはソ連のアフガン侵攻が起きている。さらにニカラグアでのサンディニスタ政権成立、エチオピアとスーダンの戦争、スリーマイルの原発事故など、他にもニュースは満載だった。ベトナム戦争で負けたばかりだった米国にとってインドシナの戦争はあまり聞きたくない話であり、また中国とベトナムもあまりこの戦争について語りたがらなかった。
 中国側の不手際は人民解放軍があまりに平等主義的な毛沢東の方針に従っていたためで、例えば上官が戦死しても兵たちはその後を誰が継ぐのか知らず、混乱状態に陥ったという。鄧小平はその後、軍の専門性を高める方向に舵を切り、さらに軍事より経済成長を重視するようになった。一方、ベトナムの周辺国は彼らの拡大主義的な姿勢に懸念を抱いていたようで、この時期に中国はASEANとの関係を深めている。
 より興味深いのは、この戦争を通じて中国がソ連を「張り子のホッキョクグマ」であると認識するようになった点だそうだ。前年にソ連はベトナムと防衛条約を結んでいたにもかかわらず、この戦争ではベトナムを十分に支援しようとはしなかった。またこの戦争で多額の経済的負担を背負ったベトナムはカンボジアでの軍の駐留を継続できなくなり、彼らの軍事的覇権の恐れはなくなった。中越両国の関係はその後も10年ほどは緊張を続けたが、天安門以降は互いの経済的利益のために協力関係に戻ったという。
 この戦争は米国にとっては「価値観のまた裂き状態」に追い込まれるような戦争でもあった。ベトナムによるカンボジアの属国化は第二次大戦後の国際秩序に対する大きな挑戦であった一方、ベトナムが倒したポル・ポト政権は米国が当時主張していた「人道」重視の外交という観点では論外の存在だった。米国がこの戦争に対して非常に中途半端な姿勢だったのも、そういう問題があったからではないかとこの文章では指摘している。
 そう、中越戦争は足元のウクライナ侵略とある面では似たような状態で始まったが、別の面では全然異なる条件下で起きた戦争だった。はっきり言うなら中越戦争の方が「どっちもどっち」感の強い戦争だったわけだ。比べて今回は圧倒的にロシアが悪役的な動きを自ら押し進めており、米国は明白に彼らの行為を「戦争犯罪」と規定している。またロシアの戦争へのコミット度合いは中国よりもずっと深刻に見える。かつての中国のように「こんくらいで勘弁したる」という捨て台詞とともに手を引くことは、おそらく容易ではないだろう。実際、ISWはロシアの現状について「実際はドンバスだけで満足しないだろう。他地域での戦闘をやめていない」とも指摘しており、本当に方針が変わったかどうかはまだ判断できない。
 むしろ過去の歴史と比較するなら、豊臣秀吉の朝鮮役になぞらえた方がいいかもしれない。だとすると地獄のような戦場が長々と続いた挙句、グダグダになった侵略側の独裁者死亡後に政変が起きるというパターンを想定する方がいいのだろうか。ロシアの未来についてこちらの記事では「モスクワの春」「傷を負った巨人」「ボルガ川のテヘラン」という3つのシナリオがあるが、可能性が高いのはグダグダが続いて中国への依存が強まるシナリオだと指摘している。また長期的にロシアの凋落は早まるとの見解もある。中越戦争のように「争いより商売の方が望ましい」、という方向に切り替わる可能性はあまりなさそうに見える。

 将来の可能性はともかく、目下の動きとしてはそもそも当初目標のままの野心的戦争を継続するのは無理がありそうに見えるのは確かだ。一説によればロシアの大隊戦術群の損害を見る限り、彼らは既に実効兵力の6分の1から5分の1を失ったとの指摘もある。ロシアの牟田口中将と呼ばれていた将軍の戦死が伝わり、例の戦車で轢かれた上官についても動画がアップされ、ネタではなく事実の可能性が出てきた。将官クラスの死亡が7人、解任が1人との報道が出ているほか、佐官まで含めた戦死数はかなりの数に上っているらしい。さらに自殺した連隊長もいるようだ。
 そもそもロシアでは足元短期間での出生率回復は見られても、長期的には若者が少なく、かつてのように「兵士が畑でとれる」などと言っていられない状態なのは間違いない。足りない兵士を穴埋めするため少数民族の若者を駆り出して前線で死なせているという話もあり、とても持続可能性のありそうな方法には見えない。アルメニアがあれだけ仲の悪かったトルコとの国交樹立に動いたのは、アゼルバイジャンを含め「ロシアのヤバさに不安を感じた」ためだとの説があるが、確かにやっていることは明日なき暴走に見えてしまう。上で朝鮮役に例えたが、プーチンが晩年の豊臣秀吉に似ているとの意見も見かける。
 もちろんロシア軍が完全に破綻しているわけではなく、だからまだ恐れるべきだとの見解もある。彼らは現代の対反乱作戦においては世界で最も効果的な軍の1つだという指摘も一例だろう。もちろん効果的だからといって人々を誘拐しシベリア送り(サハリン送り?)にすることが人道的に許されるわけもなく、単にウクライナ人の憎悪と世界の顰蹙を買っているだけにすぎない(おかげで仏土希が連携した人道作戦の話まで出てきた)のだが、ロシアとの戦争がこれで終わるどころかこれからさらに過酷な長期の消耗戦に入ることは覚悟しなければならない。
 それにしても改めてロシアがここまで残念な戦争を続けるそもそもの原因は何だろうか。プーチンが豊臣秀吉のように「頭プーチン」(あるいはフォーク准将)になってしまったためか、ブレーキの利く民主主義ではなく専制政治になっていたからなのか、それとも前に書いたロシアのエリート内競争のためなのか。
 実のところ最後の件については「エリート過剰生産を万能理論的に使いすぎ」という批判があるし、それはまさにその通りと頷くしかない。米国のようにデータが充実している事例、あるいは中国のように政治ストレス指数を実際に計算している事例と異なり、ロシアについては格差が大きいという点を除けば具体的にエリート過剰生産が起きているかどうかを示すデータはない。自身を省みる意味でも、ロシアでエリート内競争が激化しているというのはあくまで仮説にすぎず、もっと具体的なデータを調べるまで結論を出すべきではない、という点を改めて強調しておきたい。

 あと今回のネタ。スケキヨ
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