ロシアと資産課税

 Pikettyらが今回の戦争を受けてEffective sanctions against oligarchs and the role of a European Asset Registryという覚書を記している。ロシアに対して現在行おうとしている経済制裁は必ずしも有効ではなく、むしろオフショアに置かれているロシアの資産をきちんと把握するシステム作りの方が大切だ、というのが基本的な主張。なかなか興味深いので紹介しよう。
 まず冒頭に触れているのは、前にも記したロシアの格差問題。トップ10%で見ても、1%で見ても、ロシアの富の占有度は他国よりも高い(Figure 1)。またその資産の大半がオフショアにあるのも特徴的で、特にトップ0.01%の資産を見ると他の国に比べロシアはオフショアに財産を置いている割合が圧倒的に高く、半分を超えている(Figure 2)。オリガルヒたちはため込んだ金を海外に移転し、そこでそれこそヨットなどの資産に変えているわけだ。もちろんタックスヘイヴンも使われているだろう。
 一方、西側がロシアに対して課している経済制裁の影響を主に受けるのは預金者、賃金労働者、そして年金生活者となる。もちろんこれらの制裁はロシア社会に多大な負荷をかけるが、政府は国民に低い生活水準を強いることで乗り切ろうとする可能性がある。一方、ロシアでも大金持ちの個人に対する制裁はかけられているが、まだ不十分。過半を超えている彼らの資産については、そもそも西側の政府当局によって十分に把握されているとは言いがたく、彼らは既に制裁を行っている国からこれらの資産を動かそうとしている。
 ロシアの金持ちに目標を定めた制裁を効果的に実行するには、財産の動きを追跡するデータベースが必要であり、金融面での透明性を高めるような登録制度を欧州全体で整えるべき、というのがPikettyらの主張だ。彼らは欧州資産登録制度(European Asset Registry)を作り上げるべく、EU内での隠された資産に関する情報を集めるタスクフォースを発足させることを提案。長期的にもこの制度によってマネーロンダリングや汚職に対する対応がやりやすくなると指摘している。
 ロシアの資産格差の大きさについては知られている話だが、その資産がこれほど高い割合でオフショアにあるのは少し意外だった。いやもちろんロシアの金持ちが欧州のリゾート地などに資産を置いているという話は聞いていたが、半分以上が海外というのはなかなか象徴的。ロシアの政治体制が国内の富を奪って国外に持ち出すという、典型的な収奪型である様子がよく分かる。まさにアボカド経済の面目躍如といったところだ。泥棒国家にダメージを与えるには、収奪されている人々ではなく収奪している「カルテル」を直接たたかなければならない、というのは理屈だろう。
 一方で資産の動きを完全に把握すべきという彼の主張は、以前から言っている資産への累進課税に実効性を持たせるうえでは有効な手段でもある。つまり、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として一気に欧州での資産税導入まで進めてしまえ、という発想があるのではないかと思わせる主張だ。オリガルヒを一網打尽にして彼らの資産を取り上げてしまえば、ロシアの継戦意欲を奪えるだけでなく、ロシア以外の地域における将来的な格差縮小のための具体的な手を打つことも可能になる、というわけだ。さて、果たしてこのアイデアはそう簡単に受け入れられるだろうか。
 個人的には疑問だ。この手を導入すればオリガルヒだけでなく西側の金持ちにとっても不愉快な事態が生じることになるし、政治力を持つ彼らがそれを安易に受け入れるとは思えない。ロシアでも撤退企業の国有化という話に経済界が反対して棚上げされたという話が伝わっているが、同じようにオリガルヒへの資産課税には西側経済界が反対する、という流れになるのではないかと思う。別に彼らが利他的であり他国の富裕層に同情するからそう動くのではなく、自らの利益が危険にさらされているという危機感を持てばそれに対して対抗策を打つだろうと予測できるからに過ぎない。
 この抵抗を打ち破って資産課税にまで踏み切るには、Scheidelの言うように大量動員を伴う(つまりもっと悲惨な)戦争が必要になるのだろう。ロシアとウクライナの戦争だけだと、この両国では戦争を経て今より格差の小さな社会に至る可能性はあるが、それ以外の国々がより平等になるとは考えがたい。Pikettyらの主張は実現すれば確かに対露経済制裁を効果的にするかもしれないが、実現可能性は低いんじゃなかろうか。

 実際問題、ウクライナ戦争が拡大する可能性として、現時点ではロシアがやけを起こしてエスカレーションに踏み切る以外の道筋は確率が低そうに見える。少なくとも中国がロシア側に立って参戦するには、第二次大戦でドイツの初戦の勝利を見て日本がそちら側に立って参戦したように、序盤でのロシア側の優勢が存在していないと難しいだろう。だが現実のロシアは、伝えられる情報を見る限り惨憺たる有様だ。
 何より問題はキーウ付近の動向。北西部に迫っていた(ものの補給その他の問題で動きが止まっていた)ロシア軍に対し、西方からウクライナ軍が反撃。23日時点では少しずつロシア軍突出部を締め上げていたのが、24日には突出部を切断しそうな勢いになり、ウクライナのファレーズ・ポケットなる言葉まで登場した。というか地元では既にロシア軍を包囲したとの報道も出ており、英国防省もウクライナ軍がロシア軍を包囲する「現実的な可能性」があると分析するに至っている。ただしウクライナ当局が言うほどの戦果は確認できないとの指摘もある。
 キーウ北西だけではない。東から近づいていたロシア軍部隊も「およそ55キロの距離」まで押し戻されたとの情報もある。ISWの情報でもウクライナ軍の反撃によって「著しい変化があった」と指摘しているし、米軍高官もウクライナ軍の占領地奪回の兆候に言及している。戦争が始まって1ヶ月。ここまでは進軍速度が遅いとはいえ基本的にロシアの一方的な攻勢が続いていたが、ここに来て状況が変わってきた可能性があり、もしかしたらウクライナが全面的に押し返すことも考えた方がいいかもしれない。
 ロシア側の被害についての報道もかなり深刻に見える。例えば親政府系のサイトが1万人近い死者が出ているとの数字を出したことが話題になっていたが、この数字については妥当な推計との指摘もあり、負傷者や捕虜なども含めればその損害は累計4万人に達しているのではとの声も出ている。実働兵の損害比率はもっと高いかもしれない。もちろんこれが事実なら「ロシアの野戦軍は来月中に消滅」してしまいかねず、だから過大な見積もりだと見る向きもあるが、来月どころか月内に既に反撃を食らっているところを見ると、もしかしたら本当に兵力の2割を失っているのではとの懸念も浮かぶ。相変わらず指揮官の死亡も伝えられている。
 ロシア側の窮状を伝える一例として話題になっていたのが、傍受されたロシア軍士官の嘆きとされる音声データこちらでまとめられている翻訳によると、兵の半数が凍傷になり、暖房はなく、衛生兵は包帯しか持っておらず、空軍機は味方を誤爆し、町や村を避けて前進したら側面や背後から攻撃されているという。防弾チョッキがないと上官に伝えたら「息子よ、強くなりなさい」と言われたそうで、「ロシアに牟田口中将がいる」と言われてしまっている。別の場所では上官に見捨てられた戦車乗員の唯一の生き残りが戦車ごとウクライナに投降したとの話や、さらには怒った戦車兵が上官を戦車で轢いたという話まで出てきている。
 そもそもウクライナに攻め込んだロシア軍は全体を統括する司令官がいないそうで、各部隊は調整もなく勝手に行動しているらしい。それぞれがリソースの奪い合いをしている結果、軍の兵站や規律、士気はがたがたになっている模様。それでもロシアは当初計画通りと主張している(そのため大本営クレムリン部と揶揄されている)。中にはプーチンがまだ5月上旬までに勝つつもりだとの話も出ており、ショイグ国防相が未成年の兵役を可能にする法律に署名したとの情報もある。
 プーチンは失敗した軍指揮官を粛清して引き締めを図っているようだが、軍上層部でも士気が下がっているという。黒海艦隊は燃料がないから動けないとの指摘もあるし、加えて一部の艦船はベルジャンスク港で炎上している(原因不明)。あとショイグは心臓を悪くして公に姿を見せていないという話も伝わっている。ロシアの戦車メーカーは部品不足で生産を停止し、現在使用中の戦車も「マッチ箱」と呼ばれている。中国の報道はどんどんウクライナ寄りにシフトしており、挙句にFSBが反乱を計画しているという怪情報まで出てくる状態。今やロシア軍は恐れられるというより憐れまれる対象と化している。
 もちろんロシア以外の国からも色々とアレな情報は入ってきている。昨年の米国会議事堂襲撃犯がベラルーシに亡命したとか、フロリダ大がなぜかマルクスの共産党宣言を図書館から排除した(ロシアは資本主義国家のはずなんだが)とか。あと本当かどうか知らないが、日本ではウェストファリア体制から脱却せよと言っている人がいるらしい。戦争は悲劇だが、悲劇の中にはギャグとしか思えないものも混じっているっぽい。
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