農業の故地 3

 ここまで分析してきたが、さらに詳しく見直す必要があるのが、肥沃な三日月地帯の解釈だ。オオムギの最古の遺跡は確かにイラクにあるのだが、これが例えばヒトツブコムギだとトルコの南東部に最古の遺跡の1つがあるとされている。これに近い町としてはトルコのディヤルバクルがあり、平均気温15.9度、夏場の降水量が月平均で10ミリを下回る地中海性気候となっている。エンマーコムギの場合はシルロカンボス遺跡なども候補地であり、これまた近くのリマソルが地中海気候となっている。
 またオオムギの故地の近くとして紹介したキルクークの数値だが、もし年間降水量が今より85ミリ多かったなら乾燥帯ではなくなり、やはり地中海性になる可能性がある。そして、肥沃な三日月で農業が始まった当初は今より降水量が多かったとする研究がいくつかあるのだ。例えばマイアミ大の研究者は、今から6000年前に中東では乾燥が激しくなったものの、それ以前はより湿度の高い気候が存在していたと指摘している。
 こちらの論文でも同じく初期完新世の頃は降水量が多かったと指摘しているし、こちらの論文は今から5000~6500年ほど前に、中東は湿潤な気候からより乾燥した気候に変化したと指摘している。現在の気候だと肥沃な三日月の中にステップ気候に分類されている地域があるが、実際にはこれらはもっと降水量が多く、乾燥帯からは離れていた可能性がある。
 ただし、降水量が今より多かったからといって、乾季がなかったとまで考えるのはさすがに行き過ぎだろう。先ほど紹介したディヤルバクルの場合でも雨の少ない夏場には月間降水量が10ミリ以下になる時期が存在しており、前回までに検討した「乾季の存在」という条件は引き続き満たしている。また、肥沃な三日月で実際に文明が立ち上がったのは乾燥が始まった6000年前より後の時期であり、となれば乾季の存在はいよいよ確実だったと思われる。
 もちろん古くから農業が行われていた他の地域についても、可能なら同様の調査をした方がいいかもしれない。ただこれまでの傾向を見る限り、他の気候帯については少なくとも複数の「農業の故地」がある(亜寒帯なら黄河と北米、熱帯ならペルー沿岸とサヘル)。元々ケッペンの気候区分でも「無樹木気候」に分類されている寒帯と乾燥帯は、植生にとって条件が厳しいため農業が困難な土地であると考えてもよさそうだ。

 農業発祥の地としてふさわしいのが「樹木気候」に相当する熱帯、温帯、亜寒帯だとして、しかしその中でも温帯の方が有利なのは間違いないだろう。コムギ、コメ、トウモロコシという3大穀物がいずれも温帯(もしくは温帯相当の高山気候)で生まれているほか、ジャガイモ、タロイモ、そしておそらくオオムギも実際には温帯気候で生まれたと思われる。
 一方、亜寒帯で誕生したのは雑穀とヒマワリ、熱帯ではソルガムとカボチャとなる。コメが世界で7億5000万トン、コムギが7億6000万トン、トウモロコシに至っては11億5000万トンも生産されているし、ジャガイモも3億7000万トン、オオムギは1億4000万トンを生産しているのに対し、ソルガムは6000万トン強、雑穀は1億トン、カボチャはたったの2000万トンほどしか生産されていない。後の時代に与えた影響力まで見ると、温帯の農作物の影響が圧倒的である様子が窺える。
 ただし温帯が強いのはそこで作られる作物の影響力であり、温帯の文明が強いとは限らない。前にも書いた通り長江流域は政治的には黄河流域に服属した格好となっているし、トウモロコシを生み出したオアハカ(温暖冬季少雨気候)は最終的には欧州勢に征服された。ニューギニア高地はそもそも複雑な社会を生み出すことなく歴史を重ねていった。
 農業を生み出した故地が、その後の歴史でどう変化していくかを見る際には、まず上にも述べた通り乾季があるかどうかを見る必要があるんだろう。またTurchinらの研究で農業生産性も複雑な社会の成立に影響することが分かっている。現在大量に生産されている穀物はおそらく生産性の高さから選ばれていると思われ、これらを産する土地が文明の興亡において有利になった可能性はある。温帯の方がそうした植物に出会う可能性が高い、くらいは言えるかもしれない。
 農業が始まってからの時間が問題ということは、いつ農業が始まるかも重要な問題となる。こちらの論文では農業が始まるために2000年にわたって気候が安定する必要があり、実際にその条件が整ったからこそ世界各地で同時多発的に農業が始まった可能性を指摘している。調べている対象は肥沃な三日月、中国、メソアメリカ、アンデスだが、これにニューギニアを加えてもいいだろう。一方、北米とサヘルは時間を置いて農業が始まった地域として別扱いした方がいいのかもしれない。

 これまでも書いてきたナーロッパ世界の設定にも、こうした農業の始まりと文明の発展に関する知識を生かせばそれらしいものができるかもしれない。プレートテクトニクス、大気と海洋の循環などを踏まえて生物相を想定し、さらにいくつかの地域(主に温帯だが、亜寒帯と熱帯も可能性はあり)で農業を始めさせる。熱帯であっても高山気候の地域なら農業を始められるだろう。
 そのうえで明確な乾季が存在する地域で複雑な社会が発展すると想定する。乾季のない地域は、近くに文明社会があればそちらに飲み込まれる(長江流域)し、なければ孤立した状態で国家を形成しない農業社会がずっと続く(ニューギニア)。一方で、農業が広まった結果として農業ノウハウを持つ人々が移動した先で新たな農業発祥の地が生まれるという展開も考えられる(サヘル、北米)。
 さらに時間が経過すると、具体的な国家が生まれ始める。そうなれば今度は外部紛争を要因としたメカニズムが働き始める。このあたりから農業ではなく他の自然条件が問題になってくる。つまり青銅器や鉄器の登場、そして馬の家畜化だ。銅はマグマの冷却固化によって生まれる火成鉱床や、マグマの内部あるいは近くの水によって作られる熱水鉱床の付近で見つかる。鉄はそれらく加え、マグマと関係ない堆積鉱床でも発見される。地球と同じような元素構成なら鉄は圧倒的に多く、銅はかなり希少な存在だ。ただし加工は銅や青銅の方が簡単であり、鉄は難しい。
 金属についてはこちの動画で銅、鉄だけでなく石炭や石油、天然ガス、金、ニッケル、亜鉛、アルミなどの地下資源がどのような場所で見つかるかについて簡単に説明している。これまたどう設定するかについて、これらの理屈を持ち出すことができればもっともらしさが増すだろう。ただ歴史を考えるうえでは銅や鉄がよほど数が少ないと設定しない限り、それほど深刻に考える必要はなさそうにも思える。
 問題は馬匹だ。こればっかりは影響が大きすぎ、存在すると考えるか否かによって世界が大きく変わってしまう。加えてどの大陸に存在しているかも重要。存在している大陸では馬がもたらす軍事革命によって複雑度が一気に増す可能性がある一方、存在しない大陸では明白に立ち遅れが生じる。個人的にアメリカで家畜化された大型動物がリャマやアルパカではなく馬であり、旧大陸では代わりにリャマやアルパカが家畜化されていた場合、歴史がどう動いただろうかについて興味がある。
 もちろん軍事革命のもたらす影響が大きかったからといって、それだけで歴史が動いたわけではない。Turchinの論文で「併合」の次に複雑さの閾値の超え方が多かったのは「二次的」、つまり他地域の文明の影響を受けた形での複雑さの進化だ。北米やサヘルの農業ももしかしたらその一種かもしれないし、彼らのように地元独自の植物を栽培するのではなく、他の地域から持ち込んだ作物をそのまま栽培する例もある。そして後者の方が農業の導入方法としてはおそらく圧倒的に早い。前者のやり方ができるのは割と孤立した地域(ユーラシアとサブサハラアフリカの間だけでなく、メキシコと北米の間にも砂漠がある)でないと難しそうだ。
 そして持ち込んだ作物が容易に栽培できるのは似たような気候条件、似たような緯度にある地域だ。ここで大陸の形状(東西と南北のどちらに長いか)が意味を持つ。東西に長いと短期間に農業が広まり、その継続期間が長くなるうえに、範囲が広くなるために競争する政治体が生まれやすくなる。複雑な社会を生み出す動因がより多く存在するようになるのだ。かくして大きな流れが見えてくる。
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