ゲノムとロシア史

 ウクライナ侵略に絡んでロシアについて語る文章はネットのあちこちで見かけるようになったが、変わり種の一つとしてRazib Khanが書いているゲノム分析を使ったロシア史の話がある。Getting a sense of the Russian soulと題したこの文章では、冷戦時代の思い出話とその後の経緯について言及したうえで、ルーシ以降の1000年の歴史を通じてロシアとその周辺の人々がどのように枝分かれしていったかをゲノムを使って調べている。
 調査したのは北スラブ系で人口の多いロシア人478人、ポーランド人419人、ウクライナ人142人と、北欧関係の英国人91人、フィンランド人99人、ドイツ人13人、南欧関係のギリシャ人20人、サルディニア人28人、南スラブ系のセルビア人19人、フィンランド系であるカレリア人(フィンランドに接するロシア地域の住人)15人、マリ人(ウラル西斜面に住むフィンランド系住人)15人で、さらに非欧州系の代表としてジョージア人30人、タタール人23人、モンゴル人12人、ヤクート人28人を対象としたそうだ。ただしアシュケナージは除いている。
 彼らの系統についてはまず枝分かれした図が紹介されている。興味深いことにドイツ、ポーランド、ウクライナはほぼ同じ系統にまとめられており、ロシア人はそこから少し離れたところにいる。ロシア人と近い枝としては他にフィンランド人とカレリア人がいる。ただしこちらの図は調査対象となった人々をグループ単位で見た場合の系統図であり、個人単位で見ればまた話が変わってくる。
 それを表した主成分分析の分布図が次に出てくる。X軸(PC1)は東西の軸であり、Y軸(PC2)は南北の軸を示す。ユーラシアの東方にいるモンゴル人やヤクート人は右側におり、南欧のサルディニア人やコーカサス地方のジョージア人は左下の方にある。欧州で北寄りの国民は左上の方に集まっており、ロシア人もその近く(フィンランド人とポーランドやウクライナ、ドイツ人の間)に主にいるが、そこだけでなくフィンランド人に近いところ、タタール人のクラスターと重なるところ、さらにそれより右に寄っているものなど、色々な分布を示している。
 さらに各国民の先祖に南欧、北欧、東欧、東アジアの血がどのくらい混じっているかを記した図もある。ロシア人の中にはポーランド人やウクライナ人と似た混じり方をしている者がいる一方、北欧の度合いが高い(フィンランド人に近い)人や、東アジアの血が多く入っている人もおり、多様性が高いことが分かる。ロシア人は他の北スラブ人と比べてもより「帝国」的な構成になっているわけだ。
 このあたりの流れは最後の図に示されている。ポーランド人とルーシ人が分かれた後にヴァイキングがルーシを支配し、その後でルーシの一部はポーランドに、他の一部はモンゴルに支配された。前者がウクライナ人となり、後者がロシア人となった。ウクライナ人はエリート階級(ポーランド人、後にロシア人)と大衆との民族的なずれが長く続き、ロシア人はジョチ=ウルスの後継国家としての道を歩んだ、というのがこの文章の説明だ。
 支配者と大衆とのずれが長く存在していたウクライナが、ようやくまとまった「ネイション」として生まれつつあるのが、まさに今この時だとの指摘はあちこちで見られる。ネイションという共同体が戦うべき敵の存在によって生み出されるあたりは、いかにもTurchin的な話。一方、ゲノム的に見ればウクライナ人が特に孤立したグループとして存在しているわけではなく、ポーランド人とはもとより、ロシア人の一部ともかなり重なった特徴を持っている。そしてロシア人がゲノムという点では非常にバラバラな存在であることも分かる。
 しかしながら正直、この分析に基づいて今の戦争について何かを語ろうとするのは難しいように思う。今回の戦争はプーチン個人の野心やロシア政府の判断ミス、ロシアがチェチェンやシリアでやって来たことを止めてこなかった過去の国際世論などがもたらしたものであり、ゲノムを通して説明されるようなものではない。歴史を見るうえでは興味深い話だが、あくまでそれだけだろう。

 歴史から現在へと話を戻す。こちらの一連のツイートでは、ウクライナの戦況についてミコライウ、マリウポリ、ドンバス地域、キーウという4つのエリアに注目して分析している。ミコライウではウクライナ側が踏みとどまり、ロシアを押し戻しているとの話も出ている。マリウポリはロシア軍が進んでいるものの動きは遅く損害が大きい。それでもマリウポリを奪えばそこに投じられているロシア軍を他の戦線に差し向けられるという意味で重要だと言っているが、ISWによればマリウポリを制圧し他の戦線に戦力を回しても戦況を変えられるほどではないそうだ。
 ドンバス地域で戦っているウクライナ軍をロシア側が包囲する可能性はまだある。一方、キーウの包囲についてはロシア側はかなり苦戦続きであり、またロシア側は全戦力の9割を維持しているとは言われているものの損害の大半はエリート部隊に集中している状態。今後2週間のうちにどこかの戦線で大幅な成功を修めない限り、この戦争でロシアがウクライナから大幅な譲歩を勝ち取るのは難しく、戦争は長期の消耗戦へと移っていく、というのがその判断だ。
 こちらのツイートでも、ロシア軍の戦況について分析している。こちらでは主戦線を北方、南方、ドンバス地域の3つに分け、前者2ヶ所では動きが止まっているとしている。今後ロシア軍は僅かずつだがドンバス地域のウクライナ軍を包囲するように動くのではないかと見ているが、一方彼らが政治的目的のため不健全な軍事戦略を推進しているとも指摘している。もしロシア軍が「第二章」を始めようとするなら、ウクライナの防衛産業や重要な軍事インフラを破壊しようとするのではないか、とも記している。
 こちらではこれから態勢を立て直したうえでロシアが何をしてくるかを推測。戦略目標の再設定や部隊及び兵站の修復、国内の臨戦態勢再構築、長期戦に向けた対応などが想定されるとしたうえで、長期戦に向かわない場合はエスカレーションに踏み切る可能性も指摘している。一方ウクライナ側も、ロシアの動きが止まればそれを利用して次の防御に向けた準備を進め、あるいはロシアとの間で許容可能な休戦条件を考え直すといった行動を取り得るという。
 共通しているのはロシア軍の攻勢がいったんは頂点に達したか達しつつあるとの見方だ。ISWではこの戦争について「ロシア軍の初期の作戦は失敗に終わった」と指摘。英国防省の報告でも「停戦もできず勝利もできないロシアが、軍事的効果が不明の都市部への攻撃を繰り返す」という最悪の展開を予想している。ロシア側はキーウ付近で塹壕を掘り始めているそうで、短期決戦から長期の停滞を想定し、防衛的な作戦への移行を図っているとの説も出てきているが、これについては否定的な見解もある。また英国防省はロシアが今後数週間も引き続きキーウ包囲を優先すると見ている。
 そもそもSNS上の情報をどこまで信じるかは難しい。例えば前に紹介したこちらの地図だが、ネット上ではロシア側の支配域をもっと「点と線」状に描いている地図もあるし、一方でフランス外務省が出している地図はロシア側の支配域がもっと広い。「西側」で出回っている地図を非難するツイートもあるが、正直言ってロシアのプロパガンダ臭が強いために信用できるかどうか分からない、といった具合に、素人にとってはやっかいな状況が続いている。
 ただロシア軍にとって状況は厳しいとの情報があふれているのは確かだ。指揮官死亡関す情報が相次ぎ、死傷者は戦力の1割以上に達し米が数年かけて出したイラク死者数に到達したとの見方も出ている。誘導爆弾はほとんどなくミサイルの在庫も枯渇しているという。車両の損失は続きハルキウを攻撃していた砲兵隊の弾薬が切れているとの話も表れた。
 彼らの兵器の使い方に対する疑問も引き続き指摘されているし、トラックの整備不良による兵站の破綻も変わらずだ。4月末から5月半ばにはウクライナ軍が全戦線で反撃に出られるとの主張すらある。背後で戦争を支える経済についても同様で、ロシアの半導体産業は現代戦を戦える能力を持たず航空戦力はいずれまともに戦えなくなりハイテク製品は西側に頼り切りで自給自足はできない。あまりに残念すぎるその現状から「ロシア軍最強伝説」なるネタツイートが反響を集めたほど。まあさすがにその内容については「並べられた話題の6割位が真偽不明」との指摘も出ている。
 そんな中でプーチンはロシア国内での締め付け強化に向かっているようだ。本当はウクライナ支配達成イベントだったのではないかと言われているクリミア編入イベントで演説し、長期戦に備えてロシア国内では17~18歳の若者の動員を図っているという。ロシア正教会の総主教もそれを応援しているため、正教会内部で対立が起きているのだが、ロシア軍は容赦なくウクライナ正教会の修道院を空爆しているようで、そのやり方をかつてのモンゴル帝国になぞらえる見解も出てきた。そしてウクライナ人の中にはプーチンだけでなくロシア人全体を非難する声も広がっているという。
 悪いのはプーチンとロシア政府であり、ロシア人やロシア文化ではないとの指摘は多い。だがこちらのツイートでも指摘されている通り、戦争が激化すれば「ロシア全体への憎悪が増す」のは避けられないだろう。戦争開始以降にプーチン支持率を高めたロシア人が、ウクライナだけでなく世界中でヘイトを集めなかったとしたら、むしろその方が不思議だ。傍から見る限り、プーチンはロシア人を道連れに地獄へ突進しており、ロシア人もそれにおとなしく(もしかしたら喜んで)つき従っているように思える。
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