農業の故地 2

 前回の続き。まずは調べた6ヶ所について確認しよう。それぞれの月平均気温をグラフ化すると以下のようになる。

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 寒暖の差がはっきり出ている地域が3つ、年間の気温がほとんど変わらない地域が3つある。年較差は農業を始めるうえであまり影響しないらしいことが分かる。気温の水準も亜寒帯に位置する黄河流域や北米、高山気候で温帯に相当するメソアメリカとニューギニア、乾燥帯に位置する肥沃な三日月地帯、そして熱帯気候であるアンデスとかなり広範囲に広がっている。農業の開始が認められる地域の温度の範囲にはかなり幅があるわけで、寒帯でもない限り農業が始まらないとは言えない。
 ただこのうちアンデスについては、ジャガイモに注目すべきだとの説もあるだろう。チチカカ湖に近いクスコは亜熱帯高山気候であり、温暖冬季少雨気候と似た性質を示している。この場合、寒帯だけでなく熱帯も農業開始にとってはあまりプラスにならないという結論が導き出される。
 寒帯の場合、そもそもツンドラか氷雪帯しかないため、農業に向かないのは当然だろう。熱帯が農業の故地にあまり向かない理由は、意外と土地がやせているのが理由かもしれない。あるいは元から多様な生物相が存在しており、無理に農業を始めなくても生きていける環境だったのかもしれない。アンデスの海岸部を農業の故地として認めた場合でも、6つのうち5つは熱帯や寒帯以外の地域であり、熱帯が農業にはあまり向かない可能性は残りそうだ。
 また亜寒帯となっている中国北部と北米は、個別の町はともかく、エリアとして見ればむしろ温暖湿潤気候が原産地とも考えられる。つまり亜寒帯についても寒すぎる場合は対象外と考えていいだろう。
 次に6ヶ所の月平均降水量をグラフ化する。

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 一見するとかなりバラバラに見えるが、実は大きく2つのグループにまとめられそうだ。1年でほとんど雨の降らない時期(10ミリ以下)があるか、もしくはないか(少なくても50ミリ以上)。そしてこの基準は、見事に「文明が花開いたか否か」という結果とつながっている。1年を通じて一定の雨が降り続けた地域は、農業を始めることはできてもそこから複雑な社会を組み上げるには至っていない(北米とニューギニア)。逆に肥沃な三日月、黄河、メソアメリカ、アンデスは、度合いはともかく大きく複雑な社会を「一次的」に作り上げるのに成功している。
 アンデスの事例を沿岸部ではなく高山のクスコにしても同じだ。クスコの雨温図は以下のようになる。

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 気温はニューギニアより少し寒いくらいだが、こちらも明白な乾季が存在するのが特徴。クスコや黄河、メソアメリカは冬の少雨(アンデスの海岸部も同じ)、肥沃な三日月は夏の少雨といった季節の差はあるものの、どこかの時期に極めて乾燥した気候になるところは、やがて複雑な社会を作り上げた。それに対し冬に雨が減るとはいえそれほど乾燥するわけでもなく、年中一定以上の降水量に恵まれたニューギニアや北米では、国家と言えるほどの複雑な社会はできないままだった。
 ある意味、この流れを補強するのはコメの原産地の気候だ。長江下流の上海は降水量が少ない12月でも月間40ミリは雨が降る。中流域の武漢でも30ミリには達する。中国では2ヶ所で異なる植物を使った農耕が始まったのだが、最終的に黄河の文明が長江の文明を飲み込んだのは前者に乾季が存在したのに対して後者にはそれがなかったからではなかろうか。
 なぜ乾季があると農業から文明が生まれるのか。理屈は複数考えられるだろう。乾季には植物が育たないわけで、その時期に備えて作物を蓄えておく必要がある。計画的な取り組みを進めるためにはそれを実行する複雑な社会が必要だったのに対し、乾季のない地域ではそうした複雑な社会を必要としなかった、というのが1つの考えだ。もう1つはダイアモンドの唱えた「貯蔵を可能にするのに十分乾燥した気候」説。この場合、乾季のない地域は作物の貯蔵ができないため文明を発展させそこねた、という理屈になる。どちらにせよ乾季がなければ複雑な社会は成長しないという結論が導き出される。

 気になるのはサヘル地域だ。サヘルのどこで農業が始まったかは不明だが、一例としてニジェール流域とかナイジェリアとカメルーンの間にあるサバナ地帯との説がある。要するにサバナ地帯だ。
 たとえばニジェール河畔のロコジャを見ると平均気温は27.3度とかなり高く、一方で降水量は少ない冬場になると月間10ミリを割り込む。アンデス沿岸部と似た数字になっており、だとすればこれらの地域も文明発祥の地となっておかしくないのだが、Turchinらの論文だとこれらの地域は「二次的」なエリアとなっている。つまり「乾季が文明をもたらす」説の反証として使えそうに見えるのだ。
 これを説明する理屈はいくつかある。まず「乾季が文明をもたらすわけではない」説。一次的な複雑な社会が生まれた要因は別にあるとの理屈だ。次にサヘルの農業は独自に生まれたのではなく、ノウハウ自体は他地域(具体的には肥沃な三日月)から伝わっていたとの説だ。単にソルガムの原産地がサヘルだったというだけで、彼らは最初から二次的な農業発祥地として活動していた可能性がある。実際、この地の農民たちは農耕を始める前に既に中東で家畜化された牛を飼っていた。
 もう一つは「温帯か否か」。乾季を持っていて文明を発展させた地域を見ると、黄河流域は亜寒帯だが南方に温帯が広がっており、肥沃な三日月は西側が地中海性の気候となっている。メソアメリカとアンデスは高山気候という形で温帯と同じような気候を維持している。だがサヘル地域はステップ(乾燥帯)とサバナ(熱帯)に囲まれており、唯一エチオピアに多少の温帯があるだけだ。逆に言うと文明を支えるには乾季が必要なだけでなく、温帯が望ましいとも考えられる。
 だがそれらよりもっともらしいのは、農業を始めてからの時間だろう。肥沃な三日月、中国、メソアメリカ、アンデスなどはかなり古くから農業に取り組んでおり、そして複雑な社会を発展させた。ニューギニアも農業を始めた時期は同じくらい古かったが、彼らは乾季がなかったため文明を発展させるには至らなかった。北米は乾季がなかったうえに農業開始後の時間が短かった。サヘルもそうだろう。彼らが農耕をスタートしたのは紀元前3000年頃であり、ユーラシア他文明の影響を全面的に受けた紀元1000年までの期間的余裕は4000年しかなかった。肥沃な三日月で5000~6000年かけて文明が生まれたことを考えるなら、時間が足りなかった可能性はある。
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