農業の故地 1

 少しニュースから離れた話を入れよう。

 複雑な社会の形成には農業を始めてからの期間が影響しているとTurchinらが述べていることを前に指摘した。もちろんそれ以外にも働いている要因はあるのだが、一次的な(つまり他地域の影響を受けていない形の)文明形成が、基本的の農業の始まった故地で行われているのも、農業実施期間の長さが持つ重要性を示しているのだろう。ただし農業の故地が全て文明を生み出しているわけではない。中には他の文明国家に併合されてしまっている例もある。
 なぜこのような違いが現れたのだろうか。農業を始めたとされるそれぞれの地域について、何か共通する特徴がないだろうかと調べてみた。農業を始めるのに必要な条件と、それが文明へと発展するうえでの共通する条件があるのかもしれない。とりあえずは生物相に影響を及ぼす気温と降水量に注目する。
 まず農業の故地がどこであるかを同定する必要がある。実はこれ、様々な見解があってまとまった通説らしきものが固まっているとは言い難い。例えばTurchinがツイートでまとめていた事例に従うのなら15ヶ所くらいで農業がスタートしたことになる。ただしこれらは農作物の原産地をまとめたという傾向が強く、農業というノウハウがどこで生まれたかという切り口で考えると多すぎる気もする。
 逆にほとんどの人が共通して同意する農業の故地となると、こちらの図に描かれている地域がその候補としては妥当だろう。ただサヘル地域(サハラ砂漠南方)の場合、具体的にどこで栽培植物化されたのかがはっきりしていないため、今回のところはここを除いた6ヶ所について検討するとしよう。なお栽培植物としては樹木は除き(これを入れると三内丸山遺跡なども入ってくる可能性がある)、短期間で収穫に至る植物に注目する。

 まずは肥沃な三日月地帯だが、ここではオオムギや、初期のコムギであるヒトツブコムギやエンマーコムギが栽培植物化された。時期としては紀元前9000~7000年に栽培され始めたオオムギが古そうなので、こちらを調べる。オオムギを最初に栽培した地域としては、イラクのジャルモ遺跡が特に有名だそうだ。
 この付近の気候を知るうえでは、近くにあるキルクークの気候を知るのがいいだろう。wikipediaによるとこの町はケッペンの気候区分で言えばBSh、つまり乾燥帯のステップ気候に位置し、気温は高いところとなる。年平均気温は22.3度だが、夏場は35度ほどまで上昇するようだ。降水量は乾燥帯にあるため少なく、年361.3ミリ。ただし夏の乾季には1ミリも降らない月がある一方、冬場は月に70ミリ近くの雨が降る。なお肥沃な三日月地帯にはこの他に地中海性と、一部高山気候が混ざっている。
 次に中国だ。こちらは黄河流域と長江流域という2つの農業の故地が近くに存在するのだが、どちらがより古いかと言えば紀元前8500年頃に遡る黄河流域のようだ。具体的には南荘頭の遺跡で雑穀の栽培を示す証拠があるそうで、このあたりが農業の故地の1つになるのだろう。
 近くにあるのは保定市。北京の南西にある町だが、年間の平均気温は12.9度と低く、降水量は512.5ミリとあまり多くない(さすがに乾燥帯にあるキルクークよりは多いが)。冬場は平均気温が氷点下まで下がる一方、夏場は20度台後半まで上がるという年較差の大きな気候で、冬に乾燥し夏に雨が降るという典型的な亜寒帯冬季少雨気候の土地だ。ただし雑穀の故地としては黄河中流域との説もあり、その場合は温暖冬季少雨気候の可能性もある。
 ユーラシア近辺ではニューギニアの高地もよく知られた農業の故地である。およそ9000年ほど前にタロイモやバナナなどの栽培がこの地で始まっている。有名な遺跡はクック湿地で、ユネスコの世界遺産にも指定されている。
 近くにはパプアニューギニアの西部山岳州の州都であるマウントハーゲンがある。パプアニューギニア全体は典型的な熱帯雨林気候なのだが、標高1600メートルを超えるマウントハーゲンは気候が冷涼で、wikipediaはむしろ西岸海洋性気候と似ている亜熱帯高山気候だとしている。年間の気温変動はほとんどなく、年平均気温は18.2度という常春の気候だ。一方で降水量は極めて多い2577ミリで、ユーラシアの他の2地域と異なり明白な乾季はない(雨の少ない冬でも月間100ミリ以上降る)。ニューギニアは高山地域が温帯で残りは熱帯だ。
 続いて新大陸だ。メソアメリカでは紀元前8000年頃からカボチャやテオシント(後にトウモロコシとなる)の栽培が始まっていた。最も古い遺跡の一つがギラナキツ洞窟だそうで、場所はメキシコの南方オアハカ州に存在する。オアハカと言えばSeshatがデータ化している場所だ。
 近くにはオアハカ・デ・フアレスという町がある。これまた標高1500メートルを超える高地にあり、低緯度(北緯17度)にもかかわらず気候はサバナ気候と温暖冬季少雨気候の境界線にいる。こちらによれば温暖冬季少雨だ。年平均気温は21.3度で、年間の変動は少ない。一方、降水量は夏場は月に100ミリを超える一方、冬はかなり乾燥する。合計の降水量は750.7ミリだ。メソアメリカは主に高地が温帯、低地が熱帯となっている。
 アンデス地方もまた高地にある文明として有名だが、農業が最初に始まったのは実はペルーの沿岸部だった。ラスヴェガス文化と呼ばれるものがカボチャ栽培を始めたのがそのスタートで、紀元前7000年頃には耕作が行われていた証拠が見られるそうだ。
 ラスヴェガス文化の遺跡があるサンタ=エレナに近いグアヤキルはサバナ気候だ。熱帯に属するため年平均気温は26.5度と、これまで紹介してきた地域の中で最も暑い。寒い時期でも平均気温は25度を下回ることはない。ただしサバナ気候であるため冬場の降水量は大幅に減る。年間の降水量は1263.2ミリに達するが、夏の大雨と冬の乾燥が特徴だ。ペルーでは海沿いが乾燥地帯、山脈が寒冷でその東に狭い温帯と、アマゾンの熱帯が広がっている。
 最後に北アメリカ。この地域で農業が始まった時期はかなり遅く、東部農業複合体でカボチャ(アンデスとは別系統)やヒマワリが栽培され始めたのは紀元前1800年頃となる。イリノイ州にあるリヴァートン遺跡が古い時期の農耕の証拠を残している。
 近くにある町としてはテラ・ホートが挙げられる。緯度の比較的高い大陸東部にあり、最寒月の平均気温は-1.8度。ケッペンの区分だと温暖湿潤気候だが修正区分だと亜寒帯湿潤気候となる。年平均気温は11.9度と農業故地の中では最も低くなるが、保定市に比べると年較差はそれほど大きくない。降水量は冬場が少な目だが極端に下がることはなく(月50ミリほどは降る)、年合計だと1037ミリと割と雨が多い。東部農業複合体全体でみればむしろ温暖湿潤気候の地域が多い。

 以上で農業の故地と思われる6ヶ所について、その周辺の気候条件を列挙できた。まず注意すべきなのは、これらはあくまで大雑把な推定でしかない点だろう。そもそも厳密に農業がどこで始まったかを規定するのは難しいし、取り上げたのはそれぞれの地域でおそらく最も古そうな場所であるが、その時期は推測混じりである。実は他の場所でもっと古い遺跡が発見されるようなことがあれば、それに合わせてさらに見直しも必要となるだろう。
 コメとジャガイモという、後の歴史に大きな影響を与えた作物の故地が入っていない点も問題かもしれない。コメを入れるなら長江流域が対象となるが、実は長江流域のどこが原産地かについてははっきりとしたことは分かっていない。ただし下流か中流のどちらかではあるようで、だとすればケッペンの気候区分では同じ範囲(温暖湿潤気候)に含まれるだろう。
 ジャガイモの栽培がどこで始まったかもよく分かってはいない。最も古いのは紀元前2500年のアンコン遺跡で見つかったものだが、チチカカ湖の北岸が起源だとする説もある。とすればこのあたりは亜熱帯高山気候の中でも温暖冬季少雨気候と似ていることになる。
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