筆者らが強調しているのは題名にもある通り、国家の起源は(農業の)生産性にではなくAppropriability、つまり「私物化のしやすさ」にあるというものだ。穀物のように保存、貯蔵しやすい農産物は私物化も容易だが、イモ類(バナナを含む)は長期保存に向かず、私物化しにくい。だからそういったものを栽培している地域では国家は生まれにくく、逆に私物化しやすいものなら別に農産物でなくても国家のような階層的社会を生み出す要因になり得る、と著者らは主張している。
彼らによれば、一般的には農業革命によって余剰生産物が生まれ、それによって食糧生産に携わらないエリートが登場し、そうした階層社会から国家が出てきたと理解されているそうだ。その例としてジャレド・ダイアモンドの文章が引用されている。彼の主張が通説だと理解していいのかどうかは不明だが、影響力のある主張であることは確かだろう。
これらのデータを活用し、筆者らは世界のどの地域でどのような農作物が栽培され、またどの地域で階層的な社会が生まれているかについて調べている。まず階層的な社会については、植民地化前の社会がどのくらい階層化されていたかのデータを調べ(論文のFigure 1)、より古い時期についてはローマが崩壊した紀元450年頃に既に国家を形成していた地域がどこかを現代の国境に合わせて図示している(Figure 5)。そしてさらに古いデータとして、都市に関する考古学データについても地図にまとめている(Figure F.4、F.5)。
一方、農産物についても同じように何種類ものデータを集めている。産業化前の主要な農産物についてまとめた地図(Figure 2)、地域別に見た穀物とイモ類の生産能力の差(Figure 3)、農作物の野生種についての分布(Figure 4)、そして農業が始まった地域の分布と古い都市の記録とを組み合わせた地図(Figure F.13)などだ。基本的に温帯では穀物が、熱帯ではイモ類が栽培され、階層的な社会は主に温帯で広まったという傾向が見て取れる。
実際にはデータの相関なども調べたうえで、著者らは地理的な要因が私物化のしやすさを通じて階層的な社会の差をもたらしていると結論。現代において国家の能力が低い地域においては、生産性は高いが私物化のしにくい農産物がその要因になっているとしており、生産性と余剰生産物が階層的社会を導く前提になっているとの説明は間違っていると指摘している(パワーポイントのp77)。環境要因が現代における世界各地の格差をもたらした一因という点ではダイアモンドと同じ見方だが、具体的なメカニズムについては異論を述べている、といったところだろう。
確かにこの指摘は面白い。論文のFigure F.13を見れば紀元前500年以前の古い都市は穀物の故地周辺にほとんどが集まっており、逆にイモ類の故地にはアンデスを除いて古い都市は存在しない。ただし
アンデスでは7000~6000年前にはトウモロコシの栽培がメソアメリカから伝わっていたそうで、その意味ではやはり穀物が階層的社会をもたらした可能性がある地域だとは言える。Figure F.4に載っている紀元450年以前の都市も、その大半が穀物の野生種が広がっている地域と重なっている。
ただし論文に使われているデータの中には違和感を覚えるものもある。典型例がFigure 1で、論文では階層的社会がアジアに多い一方、北米やアフリカ中央では階層度合いが低いと書いているものの、地図をよく見ると変な部分も色々とある。例えばブラジルやシベリアなどが極めて高い階層性を示しているのだが、これはどう考えてもロシアやポルトガルの支配下にある点が反映されているとしか考えられない。征服による階層社会の成立と地域の農業とを単純比較するのはまずくないだろうか。さらに謎なのは朝鮮半島が「大きな首長社会」になっている点で、紀元前から中国の郡が置かれていた地域を単なるchiefdom扱いするのはさすがに変だろう。
また、穀物とイモ類とではそもそも同じ土地から得られるカロリー量に差がある点も見逃せない。耕作可能な地域のうち99%では穀物を育てた方が高いカロリーを収穫できるそうで、イモ類の方が収穫が高いのはシベリア、ブラジル東部、中央アフリカ東部という限られたエリアしかないそうだ(論文p15)。穀物の方が階層的社会をもたらせたのは、「私物化しやすい」からではなく、そちらの方が余剰生産物を生み出しやすかったから、とも考えられる。
一方、穀物の影響に否定的なSeshatのデータにしても、
必ずしも正確ではないところはある。それに三十数か所しかないSeshatのデータに比べれば、この論文で取り上げているデータの方がずっと粒度は細かい。Seshatで穀物の影響について調べる際に、主要なカロリー源が穀物なら1、イモ類なら0という単純な二分法を採用している部分も、やはり粒度という意味では弱い。Seshatの場合は他の要因と組み合わせて調べていたからそれで十分だったかもしれないが、穀物の影響という切り口だけで調べると弱いのはたしかだ。どちらが正しいのか、正直判断は難しい。
それでも、穀物の持つ「私物化のしやすさ」という要因が複雑な社会にもたらした影響はある、との考えに一定の説得力があるのは否定できない。これはもしかしたらスコットの言い分が意外に正しく、彼の言う通り穀物こそが人々の自由を奪った「悪魔の種」であった、という結論になるのではないか。そして今こそ人々は反穀物の狼煙を上げ、トウモロコシや小麦やコメを燃やして各種のイモやバナナを中心とした生活にシフトし、最終的には国家のくびきを断ち切るべきなのだろうか。
残念ながらそうはならない。Seshat論文にもある通り、スコットは穀物が内部紛争(エリートによる生産者からの収奪)の要因となることで国家が生まれたと主張しているのだが、今回紹介した論文筆者はそういうメカニズムで国家が生まれたなどとは一言も言っていない。むしろ「国家は生産者を守るために生まれた」というのが彼らの主張だ。
パワーポイントの中では穀物生産をしている地域で、階層社会が生まれない場合と生まれた場合とで農民の収入がどう変わるかをモデル計算している。階層社会が生まれる場合、国家に税を払って生産活動をしないエリートを食わせる必要があるが、一方で国家は農民たちを守る。階層社会がなければ税は払わずに済むが、代わりに強盗が跳梁跋扈して食糧を盗みにかかる。そしてこの両者を比べると階層社会の方がパレート最適であり、生産者の収入は僅かながら多く、国家は余剰生産物を生み出すことができる(p44)という結果になっている。
何のことはない、筆者らが主張している「穀物が要因」説は、スコットとは全く逆の「外部紛争説」(対外的な競争が複雑な社会をもたらすという説)の1バリエーションなのだ(スコット自身も著作の脚注でそのことに言及している)。泥棒どもに奪われるくらいなら徴税人に払ったほうがマシ、という意味で、この話は
三十年戦争後に君主が傭兵から常備軍へシフトしたのと同じメカニズムが働いているのが分かる。よそ者にくれてやるくらいならお偉いさんに奪われる方が被害は少ない、とも言える。
同時に現代社会にはびこっているトライバリズムの淵源みたいなものも、ここから窺えるかもしれない。過激な主張に傾いている人たちの中には、利己的なリーダーとそれに騙されているようにしか見えないフォロワーが存在する。だがフォロワーたちに声をかけても、彼ら彼女らの多くは聞く耳を持たない。もしかしたらフォロワーたちの心中では、長年の農耕社会の中で身についた「仲間に騙される方がよそ者にしてやられるより損害が少ない」という経験則が働いているのかもしれない。
ロシアとアボカド経済で指摘したプーチン率いる「泥棒国家」がなお生き延び、それどころか
足元では支持率を高めているのも、そうした過去の経験則が多くの人に影響を及ぼしているからかもしれない。またプーチン取り巻きのカルテルたちが石油や天然ガス産業に集まっているのも、それらが「私物化」しやすい産業だから、とも考えられる。今回紹介した研究は、そういう意味では現代にまで色々と応用が利きそうだ。
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