ウクライナ情勢

 ウクライナ情勢が世界の耳目を集めている。なにせ背景についてよく分からないのであちこちの情報を見るくらいしかできないのだが、当然ながらSNSなどではプロパガンダ目的のうさんくさい話も多数ある。とりあえずここまでの経緯を踏まえても米国が出している情報がおそらく最も信頼がおけるようなので、基本的にはその報道を頼りにしつつ、他の本当かどうか分からない話も眺めている、といった状態だ。
 本当かどうか分からない情報の中には、たとえばこちら邦訳が書かれている「間違って公開されたとおぼしき」ロシアがウクライナ征服に成功していた場合の予定稿なるものもある。プーチンが異様な歴史認識を持っているという報道は以前からあったため、それを踏まえると何となく本物らしく思えてくる内容。ウズベキスタンのサイトにはまだこの記事も掲載中らしく、だとするとそれだけモノホンである確率も高いのだろう。
 さらにこの情報を受け、今のプーチンは「久しぶりに実家に帰ったら親がYouTubeの政治チャンネルを見すぎて頭おかしくなっていた」状態ではないかとの説も出てくる有様だ。陰謀論との親和性も高そうだが、以前にも書いた通り、陰謀論が政治と結びつくと危険度は増す。
 西側の経済制裁が既に(ロシア国民に)効いているという報道も出てきた。対外債務のデフォルトや2桁のインフレといった混乱の可能性、預金流出の加速していたロシア大手銀行の欧州撤退なども報じられている。一方の西側諸国はこれまでの内輪もめを止めてあっという間に一致団結している様子があるし、中国ですら腰の引けた姿勢を見せている。たったの1週間ほどでロシア政府は悪、プーチンはヒトラーの同類、という認識が世界中に広まっている印象だ。
 さらに、どこまで信頼できるかは不明だが、いろいろな「分析」と称するものがネット上を飛び交っている。こちらのツイートでは、ロシア軍は過大評価されウクライナ軍は過小評価されているという英語の分析ツイートを簡単に紹介している。こちらのツイートでは戦争開始から6日間のまとめとして、ロシア側に誤算があったと指摘している。そしてこちらでは「今後ロシアは孤立した北朝鮮もどき」にならざるを得ないとの見通しが示されている。
 戦況がこれからどうなるかはまだ分からないが、国際世論が完全に反プーチンになっているのはおそらく事実だ。日本国内でも最初に逆張りでロシア側に立った発言をしていた連中が慌てて手のひらを返している。そして、他国の惨状を材料に国内の「対抗部族」を叩こうとトライバリズム全開で動く連中もいる。というかそういう連中は相変わらず元気いっぱいと言ってもいい。外に共通の巨悪が生まれたからといって、そう簡単に不和の時代が終わるわけではないことを示している。
 その「不和の時代」について本を書いたPeter Turchinは見事なまでに沈黙している。元々、彼はツイッターの利用頻度がそれほど高くなく、しばらくツイートしないことも多いため、それ自体は別におかしくはない。ただ、ロシアのクリミア併合時にTurchinがいろいろと述べていた件を見る限り、個人的にロシアに関するTurchinの分析はあまり当てにしない方がいいんじゃないかという気がしている(Secular Cyclesのロシア関連分析はおそらくNefedovが行っている)。
 米国の分析に際してはあれだけ大量のデータを引っ張り出してそこから論理を組み立てていた彼が、この文章中で持ち出しているのは「地政学」という自身の本で批判していた分野の理屈と、そして「聖なる価値観」なるものだ。後者は実のところ「間違って公開された」予定稿にある「ロシアの歴史的な完全性」と同じことを別の言葉で述べているに過ぎないのではないか。せめて「ロシアのアサビーヤは南イタリアのようなブラックホール化までは至っていない」から、ロシア人はプーチンを支持するという主張ならまだ分かるのだが。
 もちろん、くり返しになるがロシアによるウクライナ侵略に対してTurchinはまだ何も述べていない。もしかしたら、後からロシアについて数字に基づく分析を始めるかもしれないし、あるいは何も言わないまま終わるかもしれない。彼がかつての祖国の現状をどう見ているかについて興味はあるが、具体的な発言が出てくるまでは断定的な論評は避けておこう。
 一方、Jack Goldstoneは、今回の件について既にいろいろと言及している。彼はロシアの誤算と国際世論の効果について述べ、たとえプーチンは戦争に勝てたとしても自らの体制を掘り崩すことになると指摘。勝利宣言して引き上げ、国際経済への復帰を図るのが最も理性的な選択肢だし、そのための「黄金の出口」を彼のために用意するのが世界の役割になるのだが、多くの独裁者と同じく彼にそうする能力がなければ最悪に備える必要がある、と記している。正直、ここまで事態が進めばこの指摘も「ごもっとも」だろう。

 それにしても今のロシアにアサビーヤは残っているのだろうか。世界を相手に喧嘩を売ることになったプーチンを、ロシア人はどこまで支えようとしているのだろうか。前に述べたロシアにおける格差の大きさ(米国や中国よりも格差は酷い)や、トップ1%相手に喧嘩を売る可能性が高いトップ10%の不遇っぷりを見る限り、あの国で政治ストレス指数(PSI)が大きく増加している可能性は高そうに見える。一方、大衆(ボトム50%)が持つ富のシェアは、World Inequality Databaseによれば3.1%。低い方なのは間違いないが、米国(1.5%)やブラジル(-0.4%)に比べればまだマシで、それだけ大衆の困窮度は低そうにも思える。
 アサビーヤという概念について、Turchinはまだ具体的に数値化して示した場面はなかったと思う。Tainterの限界利益という概念なら数値化しやすそうではあるが、具体的にどうやればいいかと言われると悩むところだ。単純にロシアの経済指標を見る手もあるのだが、それを見るとロシアの事態はかなりよろしくない。1人あたりGDPでは韓国はもとより、既にポーランドやハンガリーにも抜かれている。人口も1億4600万人と中国の10分の1強しかない。
 ロシアとしての人口ピークは1990年代半ばであり、それから既に四半世紀ほどが経過している。前にも書いたが、人口減はアサビーヤが尽きて複雑な社会が崩壊へと至る前段階に見られる現象でもある。もしロシアのアサビーヤが底に到達しようとしているのだとしたら、このタイミングで訪れる不和の時代はロシア社会そのものの崩壊につながりかねないだろう。ただし、過去の例からすると人口が減ってから永年サイクル1回分くらいは社会が持ちこたえるケースも多い。だとしたら足元ではまだプーチンなりその後継者なりの下にロシア人が集まるだけのアサビーヤは残されていると考えられる。
 一方ロシアのアサビーヤについては、こちらのツイートでも言及されている。それによると17世紀末から19世紀初頭までの近衛制、革命までの君主制、そして革命後の共産党という3種類のアサビーヤがロシアの歴史上に存在したらしい。今のロシアは共産党下のイデオロギー国家ではなく、むしろ「マフィア国家」になるらしいが、ソ連下と同じアサビーヤが継続しているのだとしたら、そちらの賞味期限がそろそろ終わりを告げる可能性もある。そうなった場合、後世の歴史においてプーチンの戦争はロシア革命以来続いたロシア人の連帯意識にとどめを刺した事例として紹介されるのだろう。
 どちらが正しいのか私には判断できない。そもそもプーチンがこの戦争に「全賭け」したら勝者はいなくなるとも言われているし、そうなるとアサビーヤどころではなくなるかもしれない。ただ個人的にはここまで繁殖しているヒトという生物が簡単に絶滅するとも思えない。ロシアの未来は暗いと考えてよさそうではあるが、その上で彼らの子孫やロシア以外の地域を含めて何が起きるかを考えると、おそらく可能性は非常に多岐にわたる。何が起きてもおかしくない時代に入った、のかもしれない。
 ベルエポックを終わらせた第1次大戦から100年ちょっと、次のベルエポックを終わらせかねない事態がここまで急速に進むというのは、なかなかに予想外だ。ある意味で刺激的な時代の到来なのだろう。
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