フェルミと同じようなことはスヴォーロフもやっていたそうだ。
こちら でも紹介しているが、彼は部下に対して「カスピ海には何匹の魚がいるのか? 空までの距離は? 天国にはいくつの星があるのか?」といった質問を投げかけていたという。変人元帥が何を考えてこのような質問をしていたかは分からないが、定量的な思考法の重要性を部下に求めていたのだとしたら、なかなか侮れない人物だ。
閑話休題。Bennettはフェルミの逸話を話の枕に持ってきているが、同時にこの手の定量的思考を人間が苦手としていることも認めている。だからこそコンピューターの活用が必要という話をしたうえで、彼自身がコンピューターを使って取り組んだ論文を取り上げている。そう、以前
こちらのエントリー で長々と紹介したプレプリントが正式に発表となったので、その宣伝のためにこのエントリーを記しているわけだ。
BennettはTurchinのblogで
ScheidelのEscape from Rome にも触れているのだが、Scheidelがこの本で使った
反事実を活用した議論 と似たような手法を、自身の論文内でより定量的に実行している点も強調したかったからだろう。この点も前に指摘している通り、Bennettは船やラクダが使われなかった場合、馬の家畜化が行われなかった場合など、さまざまに条件を変えてシミュレーションを回しており、それによってどのような変化が起きたかを紹介している。
そのうえで彼はblogの最後に、いくつかのフェルミ風の質問に対する答えを載せている。「ユーラシアの大規模な国家は、国家の存在しない地域に比べてどのくらい農業生産性が高かったのか」。答えは約3倍だが、中世後期以降は6倍まで拡大した。「遊牧民連合の脅威に対し古代国家の軍隊における兵站の効率性はどのくらい高まったのか」。約2倍。「とても大きな帝国はより小さな帝国に比べ、内部崩壊までどのくらい長く生き延びたのか」。ほとんど変わらなかった。
最初の問は、Turchinらが
こちら で述べていた複雑な社会と農業生産性との関係にも絡むと考えられる。複雑さの中には規模の大きさも含まれており、つまり帝国はそれだけ複雑な社会のカテゴリーに合致する。そして農業生産性が複雑な社会の原因になっていたというTurchinらの主張が正しいなら、大規模国家の生産性が高いのは当然。Bennettの論文で重要なのは、それがおよそ何倍だったかという数値を示している点だろう。3~6倍という数字は、国家と無縁の農民がどんどん姿を消していった歴史的な流れを説明する大きな理由になるだろう。
遊牧民に対抗した結果として農耕国家の兵站能力が増していった点は、やはりTurchinらが複雑な国家に対する「外部紛争」の影響を述べている点と平仄が合う。Turchinらの論文でも騎兵と鉄との相関が高いことが示されていたし、遊牧民がそうした変化の原動力となっていた面はあるのだろう。そして国家の規模と内部崩壊(不和の時代の到来)にかかる期間が変わらないという点は、改めて注目してもよさそうだ。残念ながらTurchinが「永年サイクルの短い事例」として紹介している遊牧民国家について、このシミュレーションでは農耕国家と異なるメカニズムで動かしているため、それを裏付けるような結果が出ているかどうかは分からない。
一方、論文の中で「歴史のif」を取り上げた部分については、色々と読んでいて思うところがあった。まずはblogでも触れられていたが、最初の国家がガンジスとメコンの流域に生まれたと設定した場合。デフォルトでは紀元前1500年にナイル流域と肥沃な三日月地帯、紀元前1200年に黄河中流域に国家が生まれるという設定でシミュレーションを行っていたのに対し、初期条件が異なっていた場合に結果がどう変わるかを調べたものだ。このケースだとステップの軍事技術はペルシャ→インド→メコン流域と経由して中国南部に到達し、そこから最初の中華帝国が生まれるという結果になったそうだ。
このあたりについてはSupporting informationのFigure S7やS8に記されている。確かに最初はまずガンジスとメコンに帝国が生まれ、それがそれぞれ中国南部を含む周辺地域に広がっていった様子が分かる。ステップの遊牧民連合はかなり後の時代まで誕生せず、欧州はいつまでたっても帝国とは無縁の地となっている。国家のサイズも史実に比べて大きくなりはじめる時期が遅く、ステップとの距離によって歴史の流れが大きく変わることを示している。
問題は、ガンジスとメコン流域に最初に国家が生まれるという想定が果たしてどこまで妥当であるかだ。
こちら で紹介したように、複雑な社会を「一次的」に生み出したのは農業そのものを最初に生み出した故地やその近隣であり、そうでないところは複雑な社会を既に生み出したところから「二次的」に情報を得るか、さもなくばそれらの国家に「併合」される格好で複雑さを増している。実際に最初に国家を生み出したのが肥沃な三日月地帯と中国だったのは、それらの地域が農業の故地であった点が大きい。
だがガンジスやメコンは、農業の故地ではない。比較的幅広い「故地」を認めている
こちらのPDFファイル を見ても、この両河川で栽培が始まった植物については全く触れていない。メコン流域もガンジス流域も、コメや小麦など他の地域で栽培が始まった穀物の生産が中心であり、つまり農業開始からの時間経過において肥沃な三日月地帯や中国には決して勝てない地域である。これらの地域で最初の小規模国家が始まるという設定は、歴史のifとして取り上げるにしても蓋然性の低いifかもしれない。
あと、プレプリントと少し内容が変わっているのは、農耕国家の人口増に対応して騎兵が生まれるという設定にした場合のシミュレーションだ。プレプリント時点では中国付近で紀元前1300年頃に騎兵が生まれる結果が多かったとしているが、これはアジアで大規模国家が紀元前1500年に生まれた場合であり、通常のシミュレーション設定ならむしろ紀元前1100年頃にやはりポントス=カスピ海地域で騎兵が誕生するのが通例だったという。騎兵や遊牧民の存在は大きな影響を及ぼしているが、同じくらい最初の農耕国家がどこで生まれたかも重要だった様子が窺える。
Bennettは論文の最後で、大規模な帝国の興亡を説明するうえでは、外部紛争と構造的人口理論を基盤に遊牧民の影響を加えるだけでかなりカバーできると指摘している。それ以上、説明要因を増やすメリットはあまりないわけで、オッカムの剃刀的に言うならこれらの要因以外は不要となるかもしれない。もちろん実際にはこのシミュレーションの基盤にある農業生産性も無視はできないし、最初の国家をどこに置くかが重要という点も踏まえるなら農業を行なってきた期間も大切だろう。
つまり複雑な社会を形作るうえで大切なのは戦争と農業であるという、
これまた何度も紹介してきた主張 を支持する論文が一つ加わったと考えればよさそうだ。やはりこのあたりの要因から、一種の「歴史の法則」らしきものが導き出される可能性はありそう。Bennettはあくまで今回の論文が取り上げている旧世界の帝国の興亡について「韻を踏む」ものであり、「くり返しはするが周期的ではない」と慎重な言い回しにとどめているものの、その「韻の踏み方」に一定の法則性が窺えることまでは否定しがたいのではなかろうか。
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