革命軍とプロフェッショナル

 以前紹介したDavid Parrottの本では、国民軍の誕生がフランス革命以降だと指摘していた。そこでは軍事活動を担うのが国家か民間かという切り口が問題になっていたが、もう1つの切り口として、兵士がプロフェッショナルの傭兵か、社会の成員から集められた国民兵か、という観点もある。軍の国籍と兵の国籍が異なっていても気にしない傭兵型の軍と、両者が一致することを最優先する国民兵型の軍の違い、と考えてもいいだろう。
 あるいは兵の集め方に注目する手もある。傭兵たちはそれが仕事だから、職を求めて自ら軍に志願する。一方、国民兵は本人の職ではなく国籍とかどの社会の構成員であるかを重視するため、しばしば志願者だけでは足りず徴兵に頼る場面が出てくる。歴史的に見れば前者の「民間」「傭兵」「志願者」で成り立つ軍隊の時代が圧倒的に長く、後者の「国家」「国民兵」「徴集」が成立していた時代は実はかなり短い、というのがParrottの指摘だ。
 いやそれどころか、Parrottが国民軍の登場時期だと述べていたフランス革命期になってもなお、少なくともその初期において、国民軍を集めることに対して革命政府が消極的だったと主張しているものもある。「フランス革命と徴兵制――革命軍のプロフェッショナルな性格について――」は、まさにそうした切り口で書かれた文章だ。

 バスチーユ襲撃が行われた1789年の暮れ12月、国民議会の議員デュボワ=クランセが徴兵制導入を試みた。だがこの提案はほぼ満場一致で却下されたという。1つは王政下でも評判の悪かった国王民兵と同じように強制的な徴集に対する反発が予想されたのが原因だが、もう1つの課題があった。それは「軍隊のプロフェッショナルな側面に関する問題」への懸念だ。
 要するに素人をかき集め、短時間だけ訓練させたような民兵だけでは、長時間にわたる訓練を受けた常備軍を相手に勝つことは難しいのではないか、という不安が関係者の中に存在していたようだ。典型例として紹介されているのが18世紀の有名な軍事理論家であるギベール。彼については1770年に出版したEssai général de tactiqueで国民軍の重要性を主張したことが知られているのだが、実は彼は途中でこの主張を撤回したらしい。
 1779年に出版されたDéfense du système de guerre moderneの中で、彼は「規律とあらゆる種類の技術」において民兵と常備兵の差があまりにも大きくなっていると指摘。たとえ民兵の数が多くても、常備兵と「無謀にも」対峙させようとすることはできないと述べている(p224)。兵士の国籍よりもプロフェッショナルとしての能力の方こそが戦争においては重要だというのが彼の結論だ。
 その後も彼は、内政業務を行なうための民兵組織については容認しているものの、外敵との戦闘は常備軍に任せるべきだと述べているらしい。最初に書いた書物で唱えた国民軍を後には否定しているにもかかわらず、いまだに彼が国民軍提唱者として取り上げられることが多いのは、例えばカイヨワあたりがそうした紹介をしている影響もあるのだろう。だとしても実際には彼は途中で考えを変え、プロフェッショナルな兵士の方が役に立つという主張に切り替えたのは確かなようだ。
 彼の懸念は革命後にもキュスティーヌやヴァンファンといった軍人たちによって主張されたし、だからこそ1789年の国民議会では徴兵制が否決された。そして実際、革命戦争初期の戦闘について見る限り、ギベールや軍人たちの懸念には論拠があったと考えていいだろう。ヴァルミーでプロイセン軍の砲撃を相手に踏ん張ったのは正規軍の兵士たちが中心だったし、1792年4月の最初の戦闘でフランス側が惨敗したのは、動揺しやすい革命志願兵たちが反革命派と思われる者たちの「逃げろ」という叫びであっという間に壊走したのが大きな理由だ。
 つまり、革命開始当初の時点では「国民軍」が本当に強いと思っている関係者は、一部を除いてあまり多くなかったと見られるわけだ。実際に革命戦争と、それに続くナポレオン戦争期を経た後になると、国民軍こそが強さの源泉であるという見方が広まっていったのだが、それは必ずしも自明の理ではなかったことになる。いや、革命戦争の成功が、本当に国民軍の強さの証明であったかについても、実は必ずしも明確ではない。この文章の後半にはそういう指摘がある。

 革命軍の実情がどうだったかについて「フランス革命と徴兵制」では年齢と従軍期間という切り口で、革命時の義勇兵と正規兵を比べている(p130-131)。多分この文章で一番面白いのはここに載っている各種の表だ。まずこの時代、一部の士官については兵士たちからの選挙制で選ばれていたが、一部については経験を重視した年功序列で決められていた。サン=ジュストでさえ、軍人の持つ専門性を踏まえ、上級の士官までが選挙制で選ばれるのは危険だと述べていたことが指摘されている(p124)。
 加えて、義勇兵と正規兵を年齢や従軍期間で調べたところ、アマルガムが行われた1793年時点になると両者の間に実はあまり差がなかったことが分かる。1791年と92年の義勇兵は非常に若く(表1)、一方その士官たちは中隊長(大尉)はともかく連隊長(大佐)になるとそれなりに高い年齢の士官の割合が高かった(表2)。そして1793年の正規兵たちはこれまたかなり若く、義勇兵とそれほど違わない。下士官もそこそこ若く、差があるのは士官クラスくらいだった。
 従軍期間を見ると義勇兵たちは圧倒的に経験は少ないものの、兵ではなく士官たちを見るとむしろベテランの比率がかなり高い(表4)。革命期に出世した将軍たちの中には、志願兵となるまで全く軍務の経験がなかったグーヴィオン=サン=シールのような人物もいるが、これはどちらかというと例外。ジュールダンのように王政期に軍人として従軍していた人物が、そのまま士官として選ばれたパターンの方が多い印象があるし、このデータはその印象を実証していると言える。
 では正規軍はどうだったか。実は兵士たちの多くは従軍期間もさして長くなく、革命以降に入ってきた新兵が大量に含まれていた(表5)。下士官より上になるとさすがにベテランが増えるが、そういったリーダークラスを除けば義勇兵と実態はあまり変わらなかったわけだ。この文章では「プロフェッショナルな意味での両者の格差は、実際には予想されたよりもかなり少なくなっていた」と指摘している。
 正規軍側で起きた変化が、こうした事態を招いたというのがこの文章の主張だ。革命後に多くの貴族士官が国外に亡命してしまったこと、また兵士の脱走や不服従が原因で実働兵力が減少したことなどにより、旧体制下での「プロフェッショナルな軍」はその実態がかなり変化していた。その後で新兵を補充した段階では、既に質的な意味でのプロフェッショナルな度合いは前よりも低下しており、義勇兵とあまり変わらない状態になっていたのだろう。
 一方、義勇兵側には旧体制下での軍人たちが士官として顔を並べていた。旧軍人たちの中に革命支持者が一定数いたのだろうし、また彼らの持つノウハウは義勇兵たちにとっても頼りになるものに見えたのだろう。尉官クラスだと手工業者などの出身も多かったが、佐官になると実は中小の貴族たちの割合が結構高かったそうで、彼らが軍のプロフェッショナリズムを革命前から後へとつなぐ役割を果たしたのかもしれない。
 つまり革命を機会に「国民軍」が登場したのは、単にそれ以前の「傭兵軍」が質的低下に見舞われたための苦肉の策だった、と解釈することができる。使える軍が手元にあるのならともかく、それがないなら素人に毛が生えたレベルだろうが何だろうか、とにかく兵を集めて戦場に送り込むしかない。そういう泥縄な対応以外に道がなくなったことが、結果的に国民軍の誕生につながった、という解釈だろう。もちろん、結果として見ればそんな国民軍が対仏大同盟を跳ね返したのだから、彼らが恐れていたほど機能に乏しかったわけではないのは確かだろう。それでも、傭兵から国民軍へのシフトというのは、それほどきれいに分かりやすく進んだわけではない点は踏まえておいた方がよさそうだ。
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