能う可からず

 前に「ちびの伍長」について調べたので、今回は「余の辞書に不可能の文字はない」でも調べようかと考えた。シェヘラザードさんの大陸軍千一夜"http://blog.livedoor.jp/sheherazade/"でも紹介していたように、原文はImpossible n'est pas francais. つまり不可能というのはフランス語ではないというものらしい。1813年にマグデブルクの指揮官だったルマロワに対して出した文書の中に書かれていたとか、1808年にフーシェが話したとかいう説がある。
 だが調査はあっさり挫折。まず1813年当時の書簡集を調べようと思ったのだが、なぜかgoogle bookでもそのあたりは閲覧できないままとなっている。フーシェの発言についてはそもそもどこから引用したのが不明だし、調べるにしてもあまりにも手がかりがなさ過ぎ。一方、上の説はこちら"http://forum.wordreference.com/showthread.php?t=179096"やこちら"http://www.rugulu.net/content/view/51/40/1/2/"などあちこちでコピペされ増殖している模様だ。きちんと裏付けがある説ならいいのだが、そうでなければまた伝説が広まっていることになる。

 手がかりがないものは仕方ないので別の切り口で。余の辞書に不可能の文字はないというフレーズが日本にどのように入ってきたかを調べてみよう。まず、大陸軍千一夜で指摘されていたスマイルスの西国立志編を見る。近代デジタルライブラリー"http://kindai.ndl.go.jp/"を見ると、明治3年(1871年)には既に中村正直の翻訳本が出ていたようだ。中には以下のような文章がある。

「士話婁(スワロー)マタ利式流(リシリウ)拿波崙(ナポレヲン)ノ如クイムポツシブル『能ハズ』ト云フ字ヲ字書ヨリ除キ去ラント欲セリ.ソノ他『我ハ知ラズ』『我ハ能ハズ』ト云フ語ヲ甚ダ嫌ヒ惡メリ.」
斯邁爾斯(スマイルス)著、中村正直訳「西国立志編第八編」(明治3年)

「拿波崙マタ『不能(アタハス)』ト云フ字ハ愚人ノ字書ニ見ユルノミト言ハレタリ.」
斯邁爾斯「西国立志編第八編」

 スヴォーロフがなぜか燕のような呼び名になってしまっているとか、当時はまだ不可能という訳語が定着していなかったようだとか、それにしても不能って書くと今の時代じゃ別の意味になっちまうよなとか、色々と余計なことが思い浮かんでしまうのだが、とにかく明治3年の時点で「能わず」という言葉を嫌う人物がいたこと、その中にナポレオンが含まれていることは日本にも知られていたようだ。
 また、明治12年(1880年)にはこちら"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/eijinbo.html"でも紹介している英人某の本が出ている。その中のロディの戦いについて触れた部分に、以下のような文章がある。

「老練ノ工兵ハ多クハ之ヲ渡ルヲ危シト云ヒシカトモ將卒皆奮テ止ムヘカラス」
英人某著「拿破崙第一世伝」第一冊、p40(明治12年)

 ロディでこんな話は聞いたことがない。一体この「老練ノ工兵」とは誰なのか、どんな史料に基づくものなのか英人某に問い質したいところ。でも、この本はまだマシである。次に紹介する本になると、これが実に奇妙な突然変異を遂げるのである。明治27年の本だ。

「一將校曰く『斯の如く劇烈なる發射に面し、彼が如き狹橋を過ぐること是れ能はざるの事なり、』と拿破崙叫で曰く、『何に、能はずとや、斯くの如き語は佛國の言語にあらす、』と」
野々村金五郎「拿破侖戦史」p50-51(明治27年)

 出た、Impossible n'est pas francaisだ。どういう論拠に基づくものかさっぱり分からないが、ナポレオンがこの有名な台詞をロディの戦場で話したことになってしまっている。そして、この話は後の本にも引き継がれているのだ。

「一將校曰ク此ノ如ク劇烈ナル射撃ヲ冐シテ此橋梁ヲ突進スルハ能ハサルコトナリト、Bonaparte將軍勵聲叱咤シテ曰ク何ニ能ハストヤ斯ノ如キ語ハ佛國ノ言語ニアラスト」
蠣崎富三郎「奈破翁第一世戦史」p110(明治40年)

 英語文献などではロディでナポレオンがこう話したという説は見かけないから、これは日本で独自に発展を遂げた「伝説」だと思われる。金五郎が間違えて富三郎がそれをなぞったのか、それとも彼ら以前にこの伝説をでっち上げた別の人物がいたのかは不明だが、ナポレオンとはおよそ無関係な場所でも伝説が生まれていた一例にはなるかも。
 幸い、かどうか分からないが、この伝説は長続きすることなく消え去ったようだ。代わりに日本で定着したのは原文にない「辞書」という言葉を含んだ言い回し。金五郎や富三郎よりスマイルスの文章の方が優れたミームだったようだ。

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コメント

No title

シェヘラザード
このトピックとは直接関係がないのですが、HPで書いておられたデュマの「赤いバラ」について少しだけ。デュマは主なものしか翻訳されていないと思っていたのですが、明治29年に「紅薔薇」山岸藪鶯訳として雑誌(?)に紹介されたようです。「明治翻訳文学全集 新聞雑誌編 26 デュマ父子集」(大空社)に収録されていました(まだ読んではいないのですが)。それにしてもロディでナポレオンが「不可能というのはフランス語でない」と言ったというのには驚きました。

No title

desaixjp
情報ありがとうございます。こちらhttp://homepage3.nifty.com/nada/page022.htmlによると「太陽」に掲載されていたようですね。明治翻訳文学全集は少なくとも国会図書館にはあるようですが、私の住んでいる地方都市の図書館には見当たりません。地方暮らしの最大の問題はこういったところにあります。
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