テンポとモード

 前回紹介した「複雑な社会の原因」について分析した論文も踏まえ、Turchinらはさらに新しい論文を記している。Tempo and Mode in Cultural Macroevolutionというものがそれで、今までSeshatのデータを使って調べてきた様々な知見をまとめ、改めて歴史を分析・理解するうえでの視点をまとめなおしたような論文である。
 アブストにある通り、Turchinらが行おうとしているのは理論に関する議論に向けた材料提供であり、Seshatデータを掘り進めて新しい知見を見つけるといったものではない。アブストの最後には、文化的マルチレベル選択理論のカギとなる構成要素が、大規模な文化特性の変化を見るうえで大切だとしている。「文化的」マルチレベル選択が進化論のマルチレベル選択とどう違うのか私は知らないのだが、Turchinがマルチレベル選択大好きであることは前にも何度か指摘している通りだ。

 序盤で説明されている各種の理論については面白くないので飛ばそう。前に紹介した論文では紹介した後で各理論を次々と切り捨てていたのだが、今回の論文はそのような「データを使う立証」に力点を置いているわけではないからだ。論文の形式として先行研究を紹介するのは当然の手順だと思うが、研究者でない人間がそこを真面目に読み込む必要はどのくらいあるかと言われると、正直言って無理をする必要はないと思う。
 Turchinらがこの論文で新しく指摘しているのは、題名にもある文化的マクロ進化のテンポとモード(形態)が持つ特徴だ。論文ではまずテンポについて、前に記した主成分分析を使った複雑さについての研究を紹介し、社会の複雑さが時とともにどのように変化するかをグラフで示している(Figure 1)。このグラフ自体は以前から何度も紹介しているものだが、目新しいのはその次の棒グラフ(Figure 2)だ。
 このグラフは1世紀の間に複雑さの度合いを示すPC1がどのくらい変化したかを示している。見ての通り変化ゼロが圧倒的に多く(全体の7割以上)、一方で大幅な変化が起きている事例も少数ながら存在する。グラフに書き込まれている赤い線は「同じ平均と分散を示す正規分布の図」だ。変化ゼロ、つまり複雑さの度合いが変わらないケースが正規分布であり得るよりも圧倒的に多いのが、歴史上に存在する社会の特徴の一つだと言える。
 もう一つのモード(形態)とは、社会の変化がどのような形でもたらされたかを意味している。前回も紹介した応答変数のうち政府(Gov)の複雑さを0から1の間に並べ、中間点である0.5を閾値としてそれより低い政府が首長制、高いのは国家に分ける。そして各地域がその閾値を超えた時期などについてまとめたのがTable 1だ。中でも重要なのは右端の列にあるモードの部分。見ての通り、併合が最多で、次が二次的、そして最も少ないのが一次的となっている。
 併合は言うまでもなく、よその政治勢力に併合される形で国家への移行を成し遂げた事例だ。例えば北米のカホキアは合衆国に併合された時に初めて閾値を超えて「国家」へと移行している。パリ盆地がローマ帝国に併合されたのもこの一例だ。一方「二次的」と書かれているのは、隣接地域に存在する国家の文化や技術の影響を受けながら独自に「国家」へと移行した地域。関西は典型だし、それ以外にもいくつもの地域がここに含まれている。
 「一次的」、つまりゼロから自前で国家建設を成し遂げた地域は、Seshatのデータの中でも限られている。メソポタミア南部、上エジプト、黄河中流域、メキシコ盆地、そしてクスコの、たった5ヶ所だ。最初の2つはモリスの言う「西洋」、3つ目は「東洋」の発祥の地だ。さらに新大陸のメソアメリカ文明とアンデス文明の発祥の地が並んでいる。インダス流域のカチ平原はアケメネス朝に征服されるまで国家形成には至らなかったとの解釈だ。
 もちろん、ゼロから取り組む一次的な国家形成と、近くにモデルが存在する二次的な国家形成の間には色々な違いがある。典型的なのはかかる時間だ。「一次的」とされた5地域で中央集権化が始まってから国家の閾値を超えるまでにかかった時間は平均で1300年ほどになるが、日本も含む「二次的」な諸地域ではこの期間はたったの370年にすぎない。他人の猿真似をすれば成長戦略もうまく行く、という話は前にしたが、そうした猿真似が昔から各地で節操なく行われていたことを示すデータと言える。

 この2つの特徴から何が分かるのか。テンポの部分は前にも述べた「断続平衡説」的な変化が歴史上で見られることを示す一例となる。大半のタイミングで変化はゼロ、つまり複雑度は停滞した状況が続き、そしてごくたまに、しかし時には大幅に複雑度が変化する。その原因として想定できるのは、前回の論文でも述べていた「軍事革命」だろう。新しい軍事技術の登場によって社会の複雑さが増すという流れ自体は、これまでTurchinはあちこちで指摘していた。
 この論文で興味深いのは、その「軍事革命」を具体的に複数例示している点だろう。Figure 3は最も大きな3つの政治体の領土サイズ平均値について時系列での推移を載せているのだが、停滞の時期と大きく規模が拡大する時期が交互に来ているのが分かる。青銅器時代であった紀元前2700年頃、戦車が登場した紀元前2000年頃、鉄器と騎兵が登場した紀元前500年、そして火薬が登場した紀元1500年(Turchinは砲艦革命と呼んでいる)といった時期を経た後に、国家の規模がそれまでから大きく拡大している様子が窺える。
 このうちTurchinらが詳しく調べているのは鉄と騎兵の革命だ。Table 2では鉄の精錬、騎兵の登場時期と、大きな国家の領土が300万平方キロを超えるようになった時期とのずれをユーラシア各地について調べている。見ると軍事革命から300~400年のラグを経た後に国家規模の拡大がもたらされているのが分かる。論文ではさらに、砲艦革命が起きた15世紀から300~400年経過した1750~1850年になって、欧州はやっと世界の覇権を達成したとも書いている。確かにこの大航海時代と産業革命との時間差は色々なところで指摘されている。軍事革命の発生と、それが個別の政治勢力の規模拡大につながるまでには、一定の時間が必要なのかもしれない。
 もう1つのモード(形態)からはどんな推測ができるだろうか。併合が多いという点からは、当然ながら政治体間の対立や戦争の重要性が窺えるが、二次的な国家形成も結構多いところからは「文化変容や選択的模倣」が持つ意義も大きいと言えるだろう。純粋に内生的な要因だけで国家を作り上げた地域はこの地球上ではごく一部にすぎず、大半は「猿真似」もしくは「強制」を通じて国家にたどり着いたのだと考えると、こちらで指摘したような「外生的要因」の方がインパクトは大きかったと見てよさそうだ。
 テンポに影響を及ぼす軍事技術についても、外生的要因が大きい。既にこちらで書いたように、軍事技術を高める際には世界人口、情報交換のネットワーク、過去の技術の蓄積が重要であり、逆に個別社会の規模や洗練度はほとんど影響を及ぼさない。社会内ではなく社会外との関係により、社会の複雑さが変わるテンポやモードが決まってくるわけだ。

 もしこうした分析が正しいのだとしたら、それにどんな意味があるのだろうか。個人的には「社会の向かう方向性をその社会だけで決めるのは不可能」という結論が導かれるように思う。複雑さが急激に変わるタイミングは他地域での技術力などで決まってくるし、そもそも変化の在り方自体、内在的な要因のみで変わった社会はごく一部に過ぎない。そして「一次的」国家のうち他地域の政治体に支配された経験のない地域は1つたりとも存在しない。生まれた時からずっと自前でやってこれた政治体は地球上のどこにもないのだ。Turchinの分析は国家単位で見るものが多いが、長い目で見れば国家単位で完結するような文化的進化はあり得ないことになる。
 さらにテンポの問題は、社会の中で効率と多様性のバランスをどう取るかという問題も浮上せしめる。変化ゼロの時期にはその環境に合わせて究極まで効率性を高めた政治体を作り上げるのが適応的だが、急激な変化が起きる場合はむしろ社会に余裕や冗長性を持たせ、多様な価値を許している方が対応がしやすい。農業社会における大きな国家(中国やアジアの諸帝国)は当時の環境下では勝者だったが、産業社会へと環境が変わるともっと小さな国家(欧州)の方が適応は早かった。でも産業社会になって一定の時間が経過した今では、多様性より再び効率性の方が適応的になっている可能性はある。今後はより権威主義的な社会の方が、政治体の生き残りには有利、なのかもしれない。
 いつ変化が起きるかは事前に分かるものではない。複雑な社会の生き残りは、そうしたコントロール不能な領域にかかっているようにも見える。ちっぽけな個人の無力さは言うまでもないが、国家にしても実は歴史の中では結構「無力」な存在なのかもしれない。
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