英語ではCapitol riot(議事堂暴動)と書かれることが多い
2021年1月6日の米国会議事堂襲撃事件 から1年になる。ちょうどいい機会でもあったので、ワシントンポストの有名記者が書いた本の邦訳
「PERIL 危機」 を読んだ。注も合わせると600ページを超える分厚い本だ。邦訳には少しばかり違和感もあるが(
Crimson TideのHC はサバンじゃなくてセイバンでは)、米国で9月に出版された本をこれだけ短期で翻訳したことを考えれば十分なレベルだろう。
内容的にはいかにも政治部記者が書いたものらしく、政治家や周辺人物の具体的な動きや発言を並べている。話題になっているのは冒頭に出てくる
米統合参謀本部議長と中国軍トップとのやり取り の部分(議事堂襲撃の直後に米軍が中国を攻撃することはないと弁明した)だが、本が対象としているのは2017年に起きた
シャーロッツビルでの事件 から、バイデン大統領がアフガン撤収を宣言した時期までであり、1月6日の描写はその一部に過ぎない。もちろんこの本の一番の見せ場であることは間違いないが。
大きくはトランプ陣営とバイデン陣営それぞれの関係者の動きを追う形で話を進めているのだが、それ以外にも民主共和両党の政治家が多数顔を出し、周辺人物まで入れると登場人物の数はものすごく多い。米政治に興味がない人にとっては、次々と出てくるカタカナの名前だけでうんざりする可能性が高そうだ。それに、政治家以外の姿はほとんど書物に登場してこない。ほぼ一貫してワシントンのインサイダーに焦点を当て、彼ら彼女らばかりが動き回っている書物に見える。
もちろん政治部記者として政治を取材している人物が書いたのだから、そういう話になるのは当然。大半の読者にとっては、普段触れることのないそうした「インサイダー」たちが何を考えてどのように行動しているのかが見えてくる点が面白さの1つになるのだと思う。言い方は悪いが、動物園や水族館で自分たちとは異なる生態の生き物を観察するような読み方だ。著者の1人は長年ワシントンで取材しており、そうした政治家たちの生態について細かいところまで記している。
だが同時にこの本は、そうしたインサイダーたちの世界に亀裂が走っていることも示している。1月6日という極めて特殊な日を記述対象に加えたことで、彼らインサイダーの世界にアウトサイダーである暴徒たちが文字通り土足で踏み込み、その生態系を乱雑に引っ掻き回した様子が描かれている。いやそもそもそれ以前から
オーバルオフィス の真ん中に腰を据えていた
トランプという対抗エリート の存在によって、この生態系はかなり混乱をきたしていたのだが、それが決定的になったのが1月6日だった。
そのトランプがホワイトハウスから排除された後には再びワシントンの日常、つまり政治家同士の駆け引きの世界が戻ってきたことも、この書籍には描かれている。バイデン政権最初の大型経済対策を巡る民主共和両党間の、上院と下院の間の、政党内の各派閥間の、大統領と議会の間のやり取り――牽制や妥協など――が細かく記されているのだが、これこそがまさにワシントンのインサイダーたちが作り上げてきた世界だったのだろう。一見するとトランプ排除で世界の秩序は取り戻されました、めでたしめでたし、という風に読めなくもない。
エピローグでは著者らが2016年にトランプを取材した際に彼が「ずばぬけた政治勢力である」ことを認識したと指摘。その事実が2021年を経ても変わっていない可能性をにおわせながら「危機は残っている」の一言で締めくくっている。
現状のバイデン政権支持率 を見ても、中間選挙の年となる2022年はむしろトランプ復権の流れが強まる可能性すらありそうだ。
そしてまた足元の米国政治が、GoldstoneやTurchinらが唱える
「不和の時代」 の特徴を色濃く示している点も、この本から確認できる。そうした事例があちこちに顔を見せているのだ。もちろん代表例はトランプの存在そのものであるが、それ以外にもいろいろと興味深い話がある。
たとえば共和党のマコネル上院院内総務に絡む話。上院における共和党の中心人物であるが、彼と民主党とのやり取りについて、例えば40ヤード以内なら妥協可能といった表現が出てくる。アメフトでのミッドフィールド(50ヤード地点)を挟んで前後10ヤード以内にボールがあれば、両党が互いに歩み寄ることはできるが、残る80ヤード分では妥協不可能という意味にも取れる。マコネル自身が、結局のところ政治は非情なまでに党派主義だと考えていることも示されている。かつて
クロスボーティング が当たり前だと思われていた米国の政治が、今や
トライバリズム によって分断されていることを示す話だ。
断絶は民主共和両党の間にだけ存在するわけではなく、それぞれの党の内部にもある。例えば民主党内の分断は、大型経済対策の成立過程で浮き彫りになる。下院議長のペロシは党内にいるオカシオコルテスら「進歩派」を納得させるための法案作りを試みるのに対し、上院では典型的な
「赤い州」 出身の民主党議員がより保守的な法案にしなければならないと主張し、バイデンまで巻き込んで調整に四苦八苦している様子が描かれる。
さらに言えば、これらの党内対立は時に外見的な建前と実際の主張との間に矛盾すら生ぜしめている。分かりやすいのは経済対策立案に際し、サンダースをはじめとした「進歩派」が所得10万ドル以上(日本円なら1000万円超)の世帯にも支援を出せと求め、穏健派の面々がもっと貧しい世帯に支援を集中すべきだと主張した場面だろう。左翼と見なされている面々の方が、中道よりも「金持ちにやさしい」政策を打ち出すべきだと主張していたわけで、ある意味で今の政治の歪みが見て取れる。
もちろん共和党内もバラバラ。特にトランプ政権時の末期になると政権を支える面々の中でも酷い対立が起きている様子が描き出されている。大統領選の敗北が見えた時点で伝統的な共和党のインサイダーたちが傷の少ない撤退法を何度もトランプに進言したのに対し、トランプは次々と陰謀論者をホワイトハウス内に招いて選挙結果を否定しようとあがき続けていた。その結果があの1月6日になったわけで、そうしたトラブルが何より「エリート過剰生産」と「エリート内競争」に由来しているのが分かる。
エリートの過剰生産は常に競争につながるわけではなく、時に競争から下りるエリートも出てくる。この本の中で印象的なのは下院議長だった共和党ポール・ライアンの去就だろう。彼はトランプ政権の真ん中の時期にまだ40代で政界を引退。古代ローマのレピドゥスのように(
Secular Cycles , p207)エリート内競争の舞台から早々に降りた。その彼が議事堂襲撃のニュースを知って衝撃を受ける場面も、この本には描かれている。インサイダーだった彼にとっては受け入れがたい事態が、ワシントンのアウトサイダーによってもたらされたわけで、そこにはエリートと大衆の断絶も描かれている。
ある下院議員が1月6日の後に地元に帰る飛行機で経験した話も象徴的だ。機内には議事堂襲撃に参加したと思しきトランプ支持者たちがおり、彼らは6MWE(Six million weren't enough=ナチスによる600万人のユダヤ人虐殺は不十分という意味)など、白人至上主義、反ユダヤ主義的な発言を堂々としていた。そうした連中に囲まれながら地元に到着するまでの時間を黙って座っているのは「神経をすり減らす経験」だったそうだ。わざわざワシントンまで足を運んだ者をただの大衆に入れていいのかは分からないが、ここにも断絶の姿が浮かび上がっている。
最後に、
こちら で紹介した「クーデターのご提案」パワポに関連しそうな話にも触れておこう。件のパワポは1月5日に作成されたものだが、その元ネタっぽいものについてこの本は言及している。イーストマンという弁護士が1月2日に作成した2ページの覚書がそれで、その中では係争中の7州の選挙人を除いて計算すればトランプが勝てるし、民主党がそれに反対するなら下院議員団の州別投票をすればいい(やはりトランプが勝てる)との手順を「筋書」として示していたそうだ。
当然このような手順は憲法に反するが、トランプはこのアイデアに飛びついたようだ。1月4日にはイーストマンの覚書は6ページに増え、その中には副大統領が議会での集計プロセスを一時停止するといった案も含まれていた。その後の流れはよく知られている通りであり、トランプはペンスに行動するよう何度も圧力をかけたが、ペンスは「副大統領の役割は票を数えるだけ」と拒否。かくして議事堂を襲撃した群衆が
「ペンスを吊るせ」 と叫ぶことになった。まさに不和の時代というほかない。
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