問題は、エリートたちがこうした活動に対して金を出すその態度が、時とともに変わっていったこと。この点は、特にTurchinの唱える永年サイクルと結びつけて考えると、なかなか興味深い示唆をもたらす。
まず注目すべきなのは、三十年戦争が永年サイクルにおける危機フェイズに相当する点だろう。フランスではフロンドの乱、英国ではイングランド内戦があった時期が危機フェイズに相当すると
Secular Cycles では指摘されているが、これらは三十年戦争とまさに同時代(17世紀中ごろ)の出来事だ。軍事アントレプレナーの登場はそれに少し先立っており、つまり危機フェイズやその前のスタグフレーションフェイズならではの社会情勢が彼らの登場を促した可能性がある。
これらの時期の特徴について、Secular Cyclesでは次のように指摘している。エリートは数を増やして競争が激化し、党派争いやエリート間の格差拡大が進む。大衆の収入が減って困窮する一方、ランティエの収入は高水準に達する。経済格差は拡大し、広大な私有地を持つ地主は増える。一方で国家財政は困難さを増していく(
Secular Cycles , p33-34)。おそらく軍事アントレプレナーたちはこういう時代背景から生まれ出てきたのだろう。
興味深いことに、マンスフェルトやザクセン=ヴァイマールのような軍事アントレプレナーが出てきた時代はそれ以前にもあった。14世紀の
great companies 、つまり大規模な傭兵団が存在した時代だ。彼らの中には雇い主がいない組織もあったが、そうした組織は結局長続きせず、
ホークウッド のようにイタリアの領主たちという雇い主を見つけた者のみが生き延びたという。そして14世紀(
黒死病 の世紀)は、これまた永年サイクルにおける危機フェイズである。
なぜ危機フェイズになると軍事アントレプレナーが登場するのか。一つには
エリート過剰生産 の影響が考えられる。エリート志願者が増えた結果、通常の手段でエリートの地位を手に入れられない者たちが別ルートでエリートになろうとする場合、彼らは往々にしてハイリスクだがハイリターンに見えるルートを選ぶ。そうした者たちにとって傭兵隊長は確かに魅力的に見えたのだろう。真っ当な方法で社会的地位を上げられないポジションにいる者にも開かれている道であり、そして実際にうまく行けば大きなリターンが手に入った。
三十年戦争で軍事アントレプレナーが増えたのは、戦争冒頭に行なわれたボヘミアでの戦争結果も影響した。この戦争で新教勢が大敗した結果、旧教側についた傭兵たちが多額のリターンを得ることに成功。ヴァレンシュタインのようにボヘミアを中心に巨大な領土を獲得した者も、最初はこの戦争がきっかけだろう。株価のブームに乗って儲けた人間を見た他の者が、それを真似しようとして株への投資を始めるといった話はよく聞くが、三十年戦争でも似たようなメカニズムが働いた可能性がある。
冒頭のボヘミア戦争だけではない。Parrottは最終的に三十年戦争で大もうけした傭兵やスウェーデンの将軍たちについて色々と紹介している。例えば
ヨハン・バネール は亡くなった時に200万ターラー以上の遺産を残し、
ティリー は50万~60万ターラーの財産を積み上げた。軍事アントレプレナーの中にはその資金を使って祖国で広大な土地を手に入れ、高い爵位を手に入れた者もいる。まさに上手くいけばエリート内競争での勝者として道を切り開くことができたわけだ。
だがそうした事例は決して多くはない。そもそも組織運営の能力がない軍事アントレプレナーは、まともな軍事活動を始める前から破綻に見舞われた。能力があっても運がなければ、やはり待っている運命は同じ。儲けることはできても若くして死んでしまった傭兵隊長も多い。これは傭兵隊長たちだけでなく、もっと下の兵士たちも同じだ。倍額をもらうような優秀な兵士であっても、戦いの中で何度も自分の財産を失った事例がある。
トータルとして見れば傭兵稼業は決して割のいい仕事ではない。にもかかわらず、自らリスクを取って資金集めから始めるようなアントレプレナーが大勢いたということは、おそらく他に割のいい仕事が必ずしも多くなかったことを示すのだろう。エリート過剰生産の中で、エリートらしい仕事がないから、敢えて傭兵隊長というリスクの高い仕事に踏み出す者が多かったのではなかろうか。
もう一つ見ておくべきなのは、軍事アントレプレナーの周囲に彼と同じように儲けと社会的地位を求める大勢のエリート志願者が群がっていたことだ。資金の出し手や、食糧・装備の提供業者がいなければ、アントレプレナーが傭兵を集めて運用するのは不可能。特に問題は資金の出し手だ。Parrottはしばしば投資家という言葉を使っているのだが、自身投資家である傭兵隊長の背後には、彼のビジネスが成功した際には分け前をもらおうと考えて資金を出している他の多くの投資家がいたはずである。
Parrottは当時の欧州に存在した傭兵マーケットのネットワークを紹介している。ハンブルク、アムステルダム、ジェノヴァの3ヶ所を主要なハブとしたこのネットワークは、資金や様々な物資を傭兵たちに供給し、儲けの分け前に預かろうと様々に行動していた。ヴァレンシュタインのバックについていた銀行家
ド=ヴィッテ などはその典型例だが、彼以外にも数多くの「戦争ビジネス」関係者が存在し、そうした面々が傭兵稼業を支えていたわけだ。
なぜ彼らはこんなハイリスクなビジネスに投資をしたのか。Parrottは「投資機会に対する需要の急増」が原因だとしている。経済格差の拡大は消費が多い貧乏人の可処分所得を減らす一方で、所得が増える金持ちが投資に回す金額を増やす。すると割のいい投資先は金持ちたちが相争って投資してしまい、ハイリスクな分野のみが投資先として残される。結果、多くの投資家がハイリスク分野にマネーを流し込むのだが、もとからハイリスクなのでやけどをする者も多く、時にはそれがリセッションをもたらす。このあたりのメカニズムは
こちら でも話している。
三十年戦争でも同じことが起きていたのだろう。ハイリスクな分野に、それも国が金を出す前に自分たちで資金まで用意するようなアントレプレナー(と彼らに投資するベンチャーキャピタル)が相次いで登場してきたのは、金余りの中でその金の運用先に困った連中がそれだけいたためだと考えられる。それでも投資が運よく成功すれば、高い利回りを得られた。でも失敗のリスクも高かった。ド=ヴィッテは結局、井戸に身を投げて自殺している。戦争ビジネスはアントレプレナーたちのみならず、彼らのバックについた経済人にとっても、極めてハイリスクなビジネスだったと思われる。
こうした戦争事業ブームの効果は傭兵たち自身にも及んでいた。既に16世紀から熟練工なみの給与を得ていた傭兵たちだが、17世紀には(インフレの影響もあって)さらに給与が増加していたという。投資額はいよいよ拡大し、そのため採算を取るにはより多額のリターンを得なければならなくなる。事業リスクはさらに高まり、そして運悪くリターンを確保できなくなった者たちの破綻も増える。有名な傭兵隊長の下には数多くの連隊長たち(彼らもまた自ら投資している軍事ビジネスパーソン)がおり、そして背後に戦争ビジネスにかかわる様々な種類の経済関係者がいる。三十年戦争というバブルが弾けた後で、彼らのうちどれだけが破綻に見舞われたのかは想像に難くない。
三十年戦争の軍事アントレプレナーと似たものを現代で探すのなら、
特別買収目的会社(SPAC) が思い浮かぶ。買収目的のために作られる企業だが、どの企業を買収するか決めないまま上場して資金集めを行う。雇い主が決まらないのに兵士を集める傭兵隊長のようなものだ。そしてこの「空箱」とも呼ばれる仕組みを
日本でも導入しようという議論 が始まっている。
Turchinは永年サイクルにおいて、物理的な暴力に焦点を当てて語ることが多い。だがこの三十年戦争の事例を見ると、構造的人口動態理論から実際には様々な経済状況の変化も予測できるし、実際にそういうことが起きていたと解釈するのも可能ではなかろうか。特に投資活動の分野で起きていた変化は、他の時代にも当てはめられそうな気がする。具体的には、金をあまらせている金持ちがハイリスク資産にじゃぶじゃぶと資金を投入している時代は、永年サイクル的に言えば不和の時代に向かっている可能性が高いと考えてよさそうに見える。つまり、今この時代だ。
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