戦争商売

 David ParrottのThe Business of War: Military Enterprise and Military Revolution in Early Modern Europe読了。少し前の本だが、近代初期における「戦争ビジネス」について焦点を当てた本だ。取り上げているのは傭兵だけでなく、軍に様々な物資を供給しているビジネスも含む。こちらでは近代初期の女性が軍隊内で経済活動を担っているという話を紹介したが、今回の本はもっと大所高所の話をしていると思えばいい。
 Parrottが強調しているのは、近代初期の軍隊において傭兵を含む民間部門の助力が広く使われたのは、実のところそれが実効性の高い方法だったから、という点である。その傾向は、一般的に国家の役割が増え民間の占める割合が減っていったとされる絶対王政期になっても変わらず、本当の意味で国家が軍事のあらゆる面を主導するようになったのはフランス革命軍以降だった。足元でまた民間軍事会社の役割が増えているのはあちこちで指摘されているが、そう考えると国家が軍事活動を独占していたのはほんの200年ほどでしかなく、歴史上大半の時期は民間事業者が戦争に絡んでいたことになる。
 傭兵が道義的にも効率的にも不適切な存在だという主張をParrottは否定している。特に重要なのは後半であり、逆に民間事業者を排した国家主導の軍隊は必ずしも効率的な軍事活動をしていたわけではない。特に近代初期のように国家自体の力が限定されており、また各種の経済主体も小規模なものが中心だった時代においては、むしろ民間事業者の方が兵の動員から物資の手配などにおいて様々な経済主体のネットワークを上手く活用できたのだそうだ。
 要するにParrottの見解も、軍事革命論に対する一種のレヴィジョニズムと思えばいい。軍事革命論では近代初期の軍事技術の発達をきっかけに、それが国家の機能と力の向上につながったと主張をしている。それに対しParrottは、この時代に必ずしも国家の機能が向上したとは見ていないし、また軍事分野での民間の役割が減ったとも考えていない。マキャヴェリから始まり近代の軍事思想家の多くが「より理想的」と見なしていた国家独占型の軍事活動そのものに対する異論は、最近では増えているように感じる。

 この本ではまず近代初期の傭兵がどのようなものであったかの話から始める。特に15世紀前半から欧州の戦場で主導的な存在であったスイス傭兵ランツクネヒトについては詳しい。中でも興味深いのは、彼らは決して社会の最下層から集められた存在ではなかった点だ。多くはそこそこか裕福な農家、あるいは都市の職人階級の子弟たちで、また彼らの給与も単純労働者よりも高かった。特に傭兵たちの中核と言える「倍額」の兵士たちは、所得が多かっただけでなく兵士としても有能であり、社会的に見ても決して低い地位にいた人間ではなかった。
 そうしたメンバーで構成されている傭兵たちは、従って決して安価に雇える存在ではなかったようだ。雇い主たちは戦役の前に傭兵隊長たちに前金を渡し、それで兵を集めるという方法を取っていたが、兵士のコストを考えるとそれほど多くの兵力を集められたわけではない。16世紀初頭の頃はそれでも問題ない程度の兵力規模で戦争が行われていたのだが、世紀の半ばにはまず兵力規模がほぼ倍にまで膨らんだ。さらにそれ以降になると、1つか2つの戦役で戦争が終わるということが少なくなり、場合によっては10年以上にわたって戦争が継続する事態が生じた。
 この問題は雇い主である国家や君主にとって大問題だった。支払いが続く結果、傭兵を雇う金が尽きてしまうからだ。かといって傭兵より安い民兵(徴集兵)に頼るという方法は、ほとんどの国で上手くいかなかった。唯一成功した17世紀のスウェーデンも、実際に民兵の大半は守備隊にしか使われず、三十年戦争で実働軍の主力を担ったのはやはり傭兵たちだった。それも16世紀のスイス傭兵やランツクネヒトとは異なる、新しいタイプの傭兵軍だったという。
 彼らはいわば「軍事アントレプレナー」が作った軍だった。16世紀の傭兵隊長たちは、あくまで前金の範囲で軍を集め、予定の期日が来れば仕事を終える雇われ隊長だった。しかし16世紀後半、規模と期間の拡大で君主たちが資金難になったのを見た傭兵隊長たちの中に、自らが投資家となって軍隊を自前で作り上げ、それを国家や君主たちに売りつけるというビジネスを始めるものが出てきた。一例がジェノヴァでいくつものガレー船を用意し、それをスペインに雇わせていたアンドレア・ドリアだ。
 こうした軍事アントレプレナーが最も活躍したのが三十年戦争である。特にエルンスト・フォン・マンスフェルトベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマールは、自ら作り上げた軍を複数の雇い主に順番に雇ってもらうという方法で戦争ビジネスに参加し、そこからおそらくは利益を得ていた。雇い主が決まらないうちに軍を編成してしまったこの両者は、アントレプレナーたちの中でも最も極端な事例と言える。
 もちろんそうした事例は少数派で、大半はきちんと雇い主を確保したうえで(ただし資金は自前で用意して)軍を立ち上げた。アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインはその代表だ。特に彼の場合は、他の傭兵隊長が行わないほど極端な大軍を動員した点が目立っている。ただし、さすがに多すぎる軍は持続可能性が乏しく、それが彼のビジネスの失敗につながった。またグスタフ・アドルフの後を継いだスウェーデンの将軍たちも、実際の行動は彼ら傭兵隊長と同じ、つまり国に頼らず自前で資金を調達して軍隊を作り上げ、それを使って戦争していた。
 彼らの収入源となっていたのは、占領地からの徴発だ。ほぼ略奪と言ってもいいだろう。そしてこの方法は、特に兵力が多い場合は長続きしなかった。根こそぎ奪われた地域からは資産も人々もいなくなり、新たな収入源にはならない。ヴァレンシュタインやグスタフ・アドルフのように10万人を超える軍を投入した連中はそのために破綻し、三十年戦争の後半になるとピークよりずっと少ない兵力で戦争が行われるようになった。
 強引な徴発を前提としない雇い主もいた。バイエルンは、皇帝やスウェーデン同様に軍事アントレプレナーを使ったが、自前で用意できる収入の範囲内に兵力を抑制した。オランダやデンマークは前世紀から使われていた前払いの短期契約で戦争を行っており、例えばデンマークに雇われたスコットランド傭兵隊長はアントレプレナーというよりも雇われ人であった。そしてフランスやスペインは、そもそも自前で用意した兵を中心に戦った。
 このフランス型の戦い方が、三十年戦争後の17世紀後半から18世紀にかけての絶対王政下における軍のスタンダードになる。ただしこれらの兵は全て国の資金で集められ、維持されていたのではない。実際にはフランスは売官制度を使い、エリートたちに軍の地位を売ることでその運用経費を捻出していた。同じ方法は三十年戦争後の他国にも真似された。傭兵に占領されて根こそぎ持っていかれるよりは、負担が重くても常備軍を持った方がいいと考えた君主が増えたためだという。
 傭兵から常備軍へのシフトは、兵に支払う給与の削減をもたらした。短期運用だからこそ高価な兵士を雇っていた各国が、軍を常時維持するために1人当たりへの支払いを減らしたことが理由だ。兵士の地位は低下し、能力的にも階層的にも下の方の人間が集まるようになった。彼らを使える兵にするために過酷な訓練がなされ、自分の意思ではなく命令通りに動く兵士たちは「自動人形」と呼ばれるまでに至った。
 それでも国が自前で軍隊を揃えるところまでは行かなかったというのがParrottの考えだ。財政=軍事国家なるものは、実際には民間の資金に多く頼った国家だったとParrottは指摘している。特に、兵士そのものではなく、軍の周辺サービスになると、絶対王政期になっても相変わらず民間の事業家こそが活動の中心を担っていた。食糧や各種装備の生産や供給といった兵站的な部門は、国家に取り込まれるのが最も遅かった分野だ(そもそも取り込まれない事例もあった)。
 最初にも述べた通り、こうした事態が変わり国家による軍事の独占が完成に至ったと見られているのがフランス革命期だ。例えば革命戦争初期にはまだ軍隊内でも砲兵の御者など民間人に仕事を委ねていた分野があった。そうしたものが次々と消えていった理由として、Parrottはアカウンタビリティを挙げている。それまでの国家は建前でも本音でもエリートのための組織であったが、革命後は(少なくとも建前は)国民全員のための組織となった。そうすると民間の立場でエリートが金儲けのために国家の仕事にかかわるのは、国民に対する説明責任の放棄と見なされるようになったのだろう。
 以下次回。
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