気温と社会の複雑さ

 またネタがたまってきたので更新頻度を上げる。今回はSeshatのデータを使った新しい文章の紹介だ。Human Social Complexity Was Significantly Lower during Climate Cooling Events of the Past 10 Millenniaという、そんなに難しい分析をしているわけではないが、ちょっと興味深い視点で書かれているものである。
 題名の通り、過去1万年にわたる気候変動が人間社会の複雑さにどの程度の影響を及ぼしていたかをSeshatのデータで数値化して調べたものだ。具体的にはGerard Bondが調べた千年単位で生じる気温低下の時期と、Turchinが調べた社会の複雑さに関する指標のそれぞれを比べ、気温低下が社会の複雑さにどのような影響を及ぼしたのかを見ている。最も気温が下がった時期へと至る200年に、複雑さの主成分分析(PC1)がどのような数値を記録したかを調べた形だ。

 実際に調査対象としたのは、Seshatのデータがある7つの時期(Table 1)。ただしこのうち最新の紀元1500年については色々と議論もあるそうで、それを除いた6つの時期で計算したデータも載せている(7つの時期はA、6つの時期はB)。対象期間におけるPC1の数字は-5.67から+3.98まであり、平均は0.00、標準偏差は2.63だそうだ。例えば西周末期にあたる紀元前800年の黄河中流域のPC1は+1.69、後漢末の紀元200年だと+2.36という数字になる。
 調査に際してはBondのデータで気温が低下しているという時期以外にも、経年でどのようにPC1が変化したか、特に旧世界地域ではどう変わったかなどを調べている(Table 2)。またSeshatが調べている対象地域のうち、熱帯より北方にある地域(北アメリカ、ヨーロッパ、北アフリカ、中央ユーラシア、東アジア、南西アジア)を北方、それ以外の地域を南方に分けて調べたのがTable 3。さらにこの北方の各地域を個別に見たものがTable 4にまとめられている。
 結果はどうだったか。まずTable 2A(7つの時期全てを対象に調べたもの)を見ると、気温低下の時期における社会的複雑さは、他の時期に比べて0.28単位(95%信頼区間で0.03-0.53)ほど低く出ている。2B(紀元1500年を除いた6つの時期)で見るとその差はより大きく、0.38単位(95%信頼区間で0.06-0.71)ほど低い。偏差値にすると前者は1.1、後者で1.4ほどの違いであり、それほど極端な差とは言えないが、それでも95%信頼区間で見れば気温が低下していない時期よりは複雑さが下がっているのは窺える。
 論文ではもう少し別の方法でこの「気温低下期の複雑さの減少」について説明を試みている。データを見ると分かるのだが、PC1は基本的に時間が経つにつれて上昇傾向があり、その変化度合いはおよそ1000年につき1.409単位の上昇になるそうだ。この場合、0.28単位上昇するには197年、0.38単位なら273年を要する計算となる。つまりAのサンプルで見ると気温の低下は197年分の、Bなら273年分の「歴史の後退」をもたらすと見ることができるわけだ。これはなかなか興味深い。なお複雑さの度合いは基本的に旧世界の方が高いという。
 Table 3ではさらに北方地域における複雑さへの影響が載っている。3Aのデータを見ると気温低下期には0.43単位、3Bなら0.47単位の複雑さが下がっており、これは期間にすると前者で306年分、後者で331年分の歴史後退につながったことを意味する。一方、南方地域(Seshatのデータは南半球をほとんど含んでおらず、大半は熱帯地域)の複雑さは+0.13単位とむしろプラスになっているが、95%信頼区間で見れば-0.34から+0.61の間に位置しており、明確にプラスあるいはマイナスの影響があったとは言い難い。気温低下の影響は熱帯地域から離れた北方地域ほど大きく出ており、南方地域には明確な影響は見つけられなかったと言っていいだろう。
 Table 4はさらに北方各地を細かく分けている。それによると4Aでは最も大きく複雑度が下がっているのは北アフリカ(642年分)で、以下北アメリカ(631年)、ヨーロッパ(386年)、中央ユーラシア(380年)、東アジア(308年)と続く。ただし母数が減る影響か、95%信頼区間でみれば北アフリカを除いて大きい方はプラスの数字になっている。そして西南アジアは南方地域と同様、ほぼ影響がないように見える。
 4B、つまり6つの時期を対象にした場合、最も影響が大きいのは中央ユーラシア(941年分)であり、以下ヨーロッパ(612年)、北アメリカ(440年)、北アフリカ(356年)、東アジア(317年)となる。4Aと比べてかなり順番が入れ替わっているが、東アジアが最も低いのは同じであり、つまり東アジア地域は気温低下の影響が比較的限定されていたと思われる。そしてこちらでも西南アジアについては明白な影響は認められないようだ。
 論文ではこれらのデータについて、例えば紀元前2200年頃に起きたアッカド帝国、エジプト古王国、そして中国の新石器文明の崩壊といった事象、あるいは紀元1500年前の古典期マヤやプエブロ文明の没落といった現象と平仄が合っていると指摘。また遊牧民は比較的こうした気温低下イベントに対して抵抗力があるようで、紀元200-500年や1200-1500年には彼らの勢力拡大が生じていること、などを指摘している。

 以上が論文の簡単な紹介だ。内容的には本当にデータを並べた部分が中心で、そこから踏み込んで考察を広げる部分についてはさほど詳しく書いてはいない。あくまで気温低下の影響を数値化する部分が主眼であり、それこそ「何年分の歴史後退」という数字を出すことができればよかったのかもしれない。また最後の方でも触れている通り、Seshatのデータ自体の粒度をもっと上げなければ包括的な分析ができないという面もあるだろう。
 というわけでここから先は個人の感想だ。まず気温の低下が複雑さの減少につながる点、またその傾向が熱帯の多い南方地域より北方地域で色濃く出てくる点には特に疑問はない。農業の生産性へ及ぼす影響が大きいのが気温と降水量であることはよく知られているし、特に気温は緯度が高くなるほどインパクトが大きいことも想像がつく。
 それに対し、北方地域をさらに分割した個別地域のデータについては、正直あまり信用しない方がいいように思う。何より信頼区間の幅から見ても母数がかなり少ないと思われ、そういうデータから安易に結論を出すのは避けた方がよさそうだ。それに対象時期を7つにするか6つにするかで、多くの地域で「歴史の後退」期間が大幅に変わってしまうのも、やはり母数の少なさがもたらしている現象だと思う。
 それでも敢えて乱暴に論じるのなら、東アジアと西南アジアが他の地域より相対的に気温低下の影響が少ない傾向は気になるところだ。この2地域は古くから文明が存在した地域でもあり、もしかしたらそうした文明が気温低下への対処能力を持ち合わせていたのかもしれない。以前こちらで述べたが、複雑な社会は簡単には退化せず、文明にはそれだけのレジリエンシー(回復力)が備わっている可能性がある。このデータもそれを示す1つの証拠、かもしれない。
 気温の低下という主題を離れると、他にも興味深いところはある。1つは旧世界の複雑さが基本的に高いという指摘で、それ自体は誰もが感覚的に知っていた話だ。それでもその事実を定量的に示した点は重要。ジャレド・ダイアモンドが「銃・病原菌・鉄」で指摘した大陸間の環境の差異が、どの程度の複雑さの差となって現れたかを数字で論じることができるのは興味深いところだろう。Seshatのデータをそうした観点で分析してみるのも面白そうだし、だれがやってくれないだろうか。
 もう一つは、対象期間を通じてPC1が基本的に上昇傾向を示しているという指摘。1000年かけて1.409単位上昇するという数字も重要だが、そもそも「上昇している」という事実の方がより大切だ。社会の複雑さが増しているのは、もちろん運命とか神の導きなどによるのではなく、他の要因があると考えるべきだろう。そしてそういうメカニズムとして一番想定しやすいのはダーウィン的アルゴリズムだ。同じように複雑さを増すような変化を遂げている生物に働くアルゴリズムが、「ヒトの社会の進化」に対しても働いているのだろう。
 Turchinのようにマルチレベル選択を引っ張り出すか否かはともかく、生物進化と同じようなアルゴリズムが社会の複雑化にも働いているのだとしたら、それは今後の歴史においても同じように働く可能性が高い。少なくとも1万年にわたってヒト社会の方向性を規定してきた選択圧が、例えば今後100~200年でいきなり消える可能性はかなり低いと見られる。つまり、こちらで述べたような妄言が万が一現実になったとしても、やがて世界はまた複雑さを増す道筋へと戻ることが想定できるわけだ。長い目で見れば「複雑さは正義」なのだろう。
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