成長と民主主義

 nature human behaviourに載っていたPrepare developed democracies for long-run economic slowdownsが興味深かったので、オスコットの戦いをお休みして今回はこの論文について。以前書いた成長とエリートとも共通した問題意識があるのだが、要するに21世紀の先進国ではもはや高度成長は期待できないという前提の中で、どう民主主義を守るべきかとの議論をしている。
 より簡単なまとめを読みたければ、筆頭著者による連続ツイートが一番だろう。なぜ成長鈍化が民主主義と絡んでくるかについては、このツイートで色々と事例をあげて説明されているのだが、要するに「期待と現実」の格差が混乱をもたらすという理屈だ。特に問題は「アッパーミドルの若者」が期待したような人生を送れなくなることだそうで、つまりTurchinの言うエリート過剰生産だ。
 こうした困難への対処法として筆者らが提示しているのが、Guided civic revivalなるものだ。民主主義的な価値観の再生に向けた取り組みだが、civicとあるように草の根からの活動でなければならず、一方でguidedとあるように政府もそれを導くような役割を果たさなければならない、というのがその主張。ただしこの論文はあくまで出発点であり、これをきっかけに議論を広げてほしい、というのが本題だそうだ。

 これらの議論のうち、まず成長率の鈍化が続くだろうとの見方に異論はない。Tainterの言う通り今の複雑な社会は収穫逓減を続けていると個人的にも思っているし、論文中にも書かれているように成長の源泉となってきた都市化は100%超には決してならない。そして前にも指摘した通り、イノベーションを生み出すことができる人間の脳みその増加率も低下し、近く減少に転じる。
 論文ではまず過去のデータをもとに成長の鈍化を示している。図1では世界全体(a)とOECD諸国(b)の成長率及び民主主義政府の下で暮らす人口との推移を示している。先進国の多いOECD諸国では1960年代あたりをピークにずっと成長率の鈍化は進んでいるし、世界全体で見れば2000年頃にかけて2度目の上昇があったが、足元ではこれが再び低下傾向を見せている。後者の成長をもたらしたのは中国だが、キャッチアップ型の経済はやがて先進国同様のスローダウンに見舞われる。
 興味深いのは成長鈍化をもたらす論拠の部分。高齢化、モノからサービスへのシフト、高学歴化と都市化の頭打ち、労働参加率の低下などが多くの人が同意している理由であり、イノベーションのスローダウン、不平等、負債といったものも理由の中に挙げられている。Tainterが言うような「複雑な社会の収穫逓減」なる大風呂敷感のある理由よりも、現実に様々な人が実感している論拠の方を取り上げている印象だ。さらに短期的な影響としてCovid-19や温暖化の影響にも言及している。
 論文では特に低成長の具体例として日本とイタリアを取り上げている(図2)。日本は1990年代から、イタリアは2000年代からほとんどゼロ成長となり(a、b)、それぞれ公的負債が増加している。米国はそれよりはマシだが同じように負債は増えている(c)し、成長率は予想を下回る傾向が続いている(d)。低成長はしばしば予想を超える負債や赤字の増加につながるというのが論文の主張だ。
 ただ、負債の増加は必ずしも利払い増やインフレにつながっていないのも事実だ。というか図3を見ると、日本やイタリアはむしろピークの時期よりGDPに占める利払いの割合は少なくなっている(a)。足元では日本より米国の方が負担が重いくらいだ。負債が増えても金利がそれよりも派手に低下しているためで、この状況が続く限り日伊の財政は一見不健全そうに見えても持続可能性は保っている。
 GoldstoneやTurchinの議論だと財政の悪化は不安定化の大きな原因となっているが、このグラフを見ると当面その心配ななさそうにも見える。もっともこれは低金利が続いていることが前提であり、そして未来永劫に低金利が続く保証など誰にもできない。論文のグラフだとインフレも低水準だ(図3b)が、足元でいささか懸念を抱きたくなるような変化が生じていることも重要だろう。また論文著者らはMMTについてはあくまで批判的な見方をしている。
 財政以外にも低成長の悪影響は色々なところに出てくる。図4では特に若者を中心とした失業率、格差、家計の負債、出生率、特に男性の自殺率、政府への不信感といったデータが並べられている。もちろん国によって違いはあり、例えば格差は米国では広がっているが、日伊ではそこまで酷くない。自殺率は日本が突出して高く、若者の失業率はイタリアが最もひどい。社会的、文化的な違いによって悪影響が表に出てくる分野が違うのだろう。
 だがいずれにせよこうした悪影響は人々の期待と現実との差を広げ、その落差に対して失望や不満を覚える人々の増加とそれに伴う不安定化の原因となる。それが民主主義自体を脅かす可能性もあるだろう。図1にある通り、成長と民主主義とは相互に因果の矢印で結びついており、どちらか一方が崩れれば他方にもその影響が及ぶ可能性が高い、というのが著者の主張だ。この懸念についても個人的には納得できる。ほぼゼロサム社会だった農業社会に、ほとんど民主主義体制が存在しなかったのが理由だ。成長のない社会では権威主義的な体制の方が包括適応度が高いのではなかろうか。

 ただ、最後に筆者らが主張しているGuided civic revivalになると、これまでの割と醒めた分析からとたんに理想主義的ではあるが現実味に乏しい主張が出てくるように感じる。まず民主主義的な制度を強化する必要があるとの話だが、重要なのは制度よりその運用実態や正当性、伝統といったものの方だと思っている立場からすれば、制度を強化すれば安心とは言えないと思う。そもそも民主政は有権者が自ら民主主義を否定する政府を選べる制度だ。
 論文では政府による投資効率の向上も必要だと主張している。このあたりは既存の制度の正当性を保つための条件という認識なんだろう。ただそれが簡単にできるようならずっと前からそうなっているだろう。現実には効率がいいとは言い難い投資を行うのが政府であり、むしろその能力を生かして様々な権益間の利害調整をするのが政府の役割なのではないだろうか。単に効率がいいだけの投資を認めるなら、例えば働けない高齢者に対しては一切の手助けをしないという政府だってあり得るが、そんな政府が正当性を保持できるだろうか。
 実際、著者自身もその後で「格差の削減、多様な人々の社会的統合、人々をまとめコミュニティーを作り世俗化によって生じた所属感の穴を埋める共通のアイデンティティ作り」といったものが必要だと主張しているが、こうした対策の中には必ずしも効率的とは言い難いものもある。おまけにアイデンティティ・ポリティクスが分断を招いているこの時期にshared identityを作ろうとするのは、むしろ分断を激化させるだけの恐れもある。
 そして最後に出てくる「ウェルビーイングを成長から切り離す」という部分は、理想としてはともかく正直とても現実味があるようには見えない。一歩間違えれば「清貧の思想」となり、生活に不安のない知識層が脱成長を唱えているのと同じになりそうだ。成長の分配を受け取らなくても幸福でいられる人は存在するだろうが、それを押し付けられれば反発する人もいる。言うほど簡単でないのは確かだろう。
 個人的には成長率鈍化も、それに伴う問題の発生・深刻化も避けられないと思う。一方で民主主義を可能にしてきた一因が急激な経済成長にあったとの指摘にも異論はない。しかし低成長、ゼロ成長、あるいは脱成長といった状況下で、民主主義を支える方法が確実にあるかというと、そこは悲観的だ。少なくとも筆者が述べたような手法は、理念としてはともかく実現性が高いとはとても思えない。かといって他により効果的な手法が思いつくわけでもない。正直、先行きは暗いんじゃなかろうかと思っている。
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