色僧

 ナポレオン漫画の外伝。今回は大方の予想通りミュラだった。若いころの話ということでどれほど史実を反映しているのかは分からないが、まあ気にする必要もあるまい。とりあえずお調子者のナルシストとして描かれているが、これは一般的な彼のイメージ通りだろう。
 その性格はともかく実績はどうだったのだろうか。こちら"http://www.napoleon-series.org/research/commanders/c_twenty.html"にナポレオン配下の騎兵将軍たちに関するランキング(上位20位まで)を出している人間がいる。それによるとトップはモンブリュン。以下、ラサール、ケレルマン(息子の方)、ドープールと続く。
 もっともこの対象はあくまで将軍のみ。もし元帥を入れるならミュラは3位、ベシエールは8位というのが作者の指摘だ。つまりミュラの騎兵指揮官としての能力はモンブリュン、ラサールに次ぐものだったということになる(個人的にはケレルマンの方が上でもいいと思うが)。
 騎兵指揮官としてのミュラに対する批判でよく見かけるのは、彼が兵力の維持に気を使わなかったこと。ロシア遠征の際には前衛の騎兵部隊に対して絶えず馬に鞍をつけたままにするよう命じ、そのため休息が取れなかった馬は続々と倒れていったという。また、1813年には騎兵を次々に突撃させ、結果として損害を積み上げるに至ったこともあったとか。
 一方、評価の源になっているのは彼が成功させたアイラウの戦いにおける突撃だろう。森谷利雄の「大陸軍その光と影」でも戦史における最も苛烈な突撃といったような風に紹介されていたと思う。確かに彼の率いる騎兵の突撃が窮地にあったナポレオンに一息つかせたのは事実のようだ。
 だが、この突撃がどれほど苛烈であったかというと疑問も出ている。こちら"http://www.battlefieldanomalies.com/eylau/index.htm"ではアイラウの戦場に1メートルもの雪が積もっていたことを指摘(ラレイ軍医がそう記録している)。その中で後に絵画に描かれるような突撃ができたわけがないと述べている。おまけにこの突撃の際には1門の大砲も1旒の軍旗も奪うことができず、捕虜にしたロシア兵も少数にとどまったそうだ。
 騎兵の管理面では批判を浴び、戦闘についても過大評価がなされているとしたら、後ミュラに残されているのはイケメンな顔と社交的な性格だけ。それでも、あの時代の誰かと友人づきあいしろといわれれば彼は有力候補になるだろう。人格と仕事上の実績とはしばしば釣り合わないものである。

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