複雑な社会の分断

 前回、NFLのワクチン接種が米国全体より高いことを紹介したが、このワクチン接種率にもある意味で米国の分断が現れている。日本より早く接種が始まったのに、今や日本などの後塵を拝しているのは、あの国でマスクやワクチンが政治的な分断に結び付いてしまっているのが理由だろう。
 それを象徴するかのような発言を、他ならぬワクチン非接種で試合出場停止になってしまったRodgersがしている。番組に出演した彼は、そこでワクチンを接種していないにもかかわらず「免疫がある」と発言したことについて、「自分が今、wokeな連中のターゲットにされているのは気づいているし、だからキャンセルカルチャーの棺桶に閉じ込められる前に、自分に関して世の中に出回っている数多くのあからさまな嘘に対してはっきりさせた方がいいと考えた」と述べているそうだ。
 まずいきなり自分がwokeismに基づくキャンセルカルチャーの犠牲者であるかのように述べているあたり、あちらの国におけるそうした政治的信条の持ち主の現状認識が露呈しているのが興味深い。要するにトランプ支持者に見られる感性だと思われるが、彼らが持つ意識がどういうものであるかがRodgersの発言にも浮かび上がっていると思われる。ワクチン忌避やマスク否定の論理は(陰謀論から個人の自由の主張に至るまで)色々あるようだが、どうやらそれが「被害者」意識として認識されているところが特徴ではなかろうか。
 さらにRodgersは自分が記者会見で嘘をついていないと主張したうえで、当時のメディア状況がまるで魔女狩りだったと非難。自分の医療情報について公開すべきでないと述べることに対してすら強い関心が向けられていたため、それに対し「自分は免疫があるというつもりだった。それは嘘や策略などではなく、真実だ」と主張している。この発言からもやはり強い被害者意識が窺える。さらに「何かすべきだというある種のwokeカルチャーや正気を失った個人のグループに黙って従う必要はない」と強い言葉でワクチン推奨派を非難している。
 彼は自分が反ワクチンの地球平面説信者ではないとも述べているのだが、一方では発症事例が極めて少ない血栓問題や、CDCが否定している不妊症の問題など、反ワクチン派がよく使っている論拠に乏しいレトリックも持ち出している。おまけにイベルメクチンなどを服用しているとも話しており、よくある陰謀論者の行動と変わらない凡庸な対応をしている様子が窺える。彼はオフシーズンの間にワクチンについて調べたと話しているが、実際には反ワクチンのエコーチェンバー内にしか存在しない情報をそのままオウム返しに口にしているだけだろう。NFLのアナリティクス関係者は実際とこかな呆れててるようで、非関係者からはCovidiotとかQAaronと言われている。
 NFL内での影響としては、チームの誰であっても自分がワクチン非接種だったことを知っていたはずだと述べているのが大きい。いわゆるthrow under the busというやつで、チーム全体にとばっちりを食らわせる気満々の発言と言っていい。もちろんRodgersとPackersの関係はこのオフにいったんは破綻しかけていたわけで、今更チームに気を使う必要などないと思ったのかもしれない。ただし、こういう態度を見せる選手を抱え込むのはおそらくどのチームにとってもリスクにはなり得る。メリット不明な陰謀論や政治的主張のために、それほど長くはないとはいえ自分の将来のキャリア(及び収入)を危険に晒すのが賢い方法だとは思えないのだが、そういう損得の計算ができる人間ならそもそも反ワクチンにはならなかったのだろう。

 Rodgersのような考えの持ち主はNFLでは例外的な存在に見えるが、おそらく米国内ではそれなりの割合で存在する。ワクチン義務化について世論調査では6割ほどが賛成してるそうだが、一方で共和党知事たちが強く反発するなど、政治問題化が著しい。ワクチン接種はもっと具体的な人々の分断も生み出しているようで、接種を受けた人の3分の1が未接種の友人などと疎遠になっているとの調査もある。
 もちろん、構造的人口動態理論に基づくならワクチンやマスクはそれ自体が分断の原因ではなく、社会に存在する分断の一症例にすぎない。ワクチンがらみの陰謀論が隆盛を極めているのも、以前述べた不和の時代には陰謀論が盛り上がりやすいのではないかとの推測と平仄が合っている。要するにNFLのスター選手の言動にも米国社会の現状が色濃く表れているだけのことだ。
 分断が起きる大きな背景は、おそらくGoldstoneやTurchinの言う通り、エリート過剰生産にあるのだろう。それが左派の側ではwokeismとなり、右派の側では各種の陰謀論となって表に出てきているのだと思う。どちらもエリートが少なく理性的に競争ができている時期には、馬鹿げた主張として退けられやすい理屈であるが、エリートの数が増えると真っ当な方法で地位を得られない対抗エリートたちがこうした真っ当でない理屈に寄りかかって運動を展開する。
 だが、それだけにとどまらない面もあるように思う。興味深いのがこちらに載っている、「現在の日本における経済格差問題や貧困問題」に関する回答だ。なぜ先進国に貧困問題が発生するのかについて、制度の問題なのかリテラシーの問題なのかIQの問題なのかとの視点で話がなされているのだが、そこで出てくるのがThe Bell Curveという、1990年代に出版された本だ。
 この本自体はこちらで解説されているように、ろくに読まれたことがない(私も読んだことはない)のに、なぜか多くの人間から非難されているという悪名高い本だ。何しろ出版から四半世紀が経過した後になっても、講演の題名に「ベルカーブ」と入れただけでキャンセルカルチャーのターゲットになってしまうほど。でも内容は別にそんな酷いものではないという。
 本の中では、米国の白人のみを対象にIQと社会的行動の関係を調べた結果として、貧困、教育、失業、初婚年齢や離婚率、福祉への依存、育児の問題、犯罪、投票率など、様々な社会的行動が認知階級(要するにIQの高低)と関係しているとの主張が載っているそうだ。つまるところIQが低いほど向社会的行動が苦手になるという関係であり、理由として「リベラルやポリコレをつき進めると制度が複雑になる」「制度が複雑だとIQが低い人はついていけなくて落ちこぼれる」との考え方が示されている。
 個人的にはリベラルを突き詰めたから複雑になっているのではなく、そもそも高い限界収益を目指して組み上げられた社会はより複雑になるというTainterの考えの方に同意する。ポリコレなるものはそうした複雑な社会により適応している、つまり包括適応度の高い道徳をそう呼んでいるだけにすぎない。だがそういった社会の変化に人々がついていく速度には違いがあり、変化が急な時にはそれが分断の原因になりやすいのだろう。
 エリート過剰生産という永年サイクル的な事象に加え、そういった社会全体のより長期にわたる底流の変化、より包括適応度の向上に役立つ行動が変わってきたことが、足元の分断に反映されているのではなかろうか。複雑な社会についていけない人はどうしても生じるし、そうした人から見れば自分たちは理不尽に変化していく世の中から取り残され、見捨てられた人間のように思えるのかもしれない。Rodgersの発言内に強く漂っている「被害者意識」の背景には、そんな変化があるように見える。
 問題はその社会の変化についていく能力がIQと相関しているかもしれないという点だ。グレゴリー・クラークも似たような主張をしているが、IQのうち半分くらいは遺伝の影響で説明されるとも言われている一般知能や音楽、執筆、数学といった分野についてはもっと高いとの指摘もある。それが事実なら、社会の変化が急激である限り分断の種は決してなくならないことになる。
 もちろんこういった行動遺伝学に関するネット上での主張には「不適切に知見が利用されている」面もあるので注意は必要。私がここで書いたことも同じであり、丸呑みしない方がいい。それではRodgersがエコーチェンバーで聞いた話をそのまま繰り返しているのと同じだ。「學而不思則罔思而不學則殆」である。……などと思考労力を強いるようなことを言うから、その時点で複雑だからついていけないと思う人が出てくるのかもしれないけど。
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