中世火薬論文

 中世の火薬についての熱力学や燃焼解析を行った、という論文が最近公表されていた。ウエストポイント(米陸軍士官学校)の歴史学者や化学者らが参加したこの実験では、中世欧州における火薬の進化について、なかなか興味深い話が出てきている。
 論文によれば中世の火薬レシピを現代の材料を使って再現し、その燃焼熱を実験室内で(つまり実際の戦場での使用とは異なる条件で)測定したほか、示差走査熱量計を使った不活性窒素環境下での燃焼前のエネルギーの評価をしたという。前者の目的は各レシピの燃焼から得られる熱量の理論値や燃焼の相対速度を、後者は予備着火、伝播性着火、伝播性燃焼を研究してレシピの個々の成分がエネルギー出力にどう影響するかを調べたもの、だそうだ。
 内容が専門的すぎるためはっきり言って私には何のことだかよくわからない。ただ論文によると、こういった実験室内での取り組み以外に、1400年頃の銃砲(シュタインビュクセ)のレプリカを使った発射実験も行っているという。実験室内と実際の戦場の条件が大きく異なっている可能性も含め、レプリカ使用で石弾を撃ち出した後の残渣を回収し、そちらも示差走査熱量計で調べたのだそうだ。論文の大半は実験室内での結果を踏まえた内容となっているが、一部にこの「実射実験」を踏まえた内容についても分析している。

 難しい内容なので、概要を理解するうえではいくつかの報道を参照した方がいいだろう。Scientists test medieval gunpowder recipes with 15th-century cannon replicaや、Blowing Up Over 20 Different Medieval Gunpowder Recipes、あるいはBlasts from the past - how medieval gunpowder changed over 100 yearsといった記事が参考になる。いずれもごく簡単にまとめているので、あまり悩むことなく読める。
 いずれの記事も主に紹介しているのは、論文の結論部分だ。具体的にはFigure 9のグラフとその説明が中心と思えばいい。分析対象としたレシピは1338年から1449年まで、つまり欧州に火器が伝わった直後から15世紀半ばまでの、まさに欧州で火薬兵器が急速に発展していた時期の火薬レシピ。これらについて論文では1400年までとそれ以降という2つの時期に分けて結果を記している。
 1400年まで、つまり14世紀の変化は、Figure 9のA図に現れている。この時期は硝酸カリウム(硝石)の割合が50%から70%付近まで急増した一方、木炭の比率は急低下していた時期にあたる。グラフを見ると硫黄の割合は僅かに右肩上がりの傾向にあったが、論文ではなぜかこちらの割合も低下していたと記している。
 注目すべきはグラフの赤い線で描かれている燃焼熱の推移だ。硝酸カリウムの比率増加に伴い、この割合は急減している。燃料となる木炭が減り、酸化剤が増えた結果として、同じ質量の火薬が生み出す熱がより少なくなった、という意味だろうか。この時期はまだ火薬のコーニングが行われる前の時代であり、熱量を大幅に減らすようなレシピの変更が行われたのは砲手の安全を図るためではなかったかと言われている。
 一方、1400年以降になると硝酸カリウムの比率が低下し、代わりに可燃物である硫黄と木炭の比率が上昇した。これによって一度は低下した燃焼熱が再び上昇している(ただし14世紀前半ほどの高い水準までは戻っていない)。硝石は一連の材料の中で最も高価なものだったためにそれを減らしたのか、あるいはこの時期には多くの大砲が巨大で頑丈になってきたため、燃焼熱を増やしても持ちこたえられるようになってきたことを反映しているのかもしれない。
 上に紹介した3つ目の記事には、論文筆者に名を連ねていない歴史家の見解が紹介されている。彼によるとレシピの変化は銃砲の種類が増えたことの反映だそうだ。手持ち式のハンドゴンや、逆に巨大なボンバルドなど、15世紀になるとバラエティーに富む火器が使われるようになってきた。素材も青銅製の鋳造品や鍛鉄のもの、そして実験的にであったが鋳鉄の火器もこの時期には姿を見せ始めていた(The Artillery of the Dukes of Burgundy, p45)。
 当時のレシピには、硝石、木炭、硫黄以外のものを含む火薬製造法があったのだが、そうしたものについても論文では調べている。2番目の記事にはそうした点も紹介されており、例えば樟脳と塩化アンモニウムを加えると火薬をより強化することができたそうだが、一方で水やブランデーといったものには明白な効果は見られなかった。ただし、輸送や保管といった目的について言えば、こうした添加物も何らかのメリットがあったのかもしれない。
 大砲のレプリカを使った実験については、論文の結論部の直前に短く触れられている。実験の結果についてはSupporting InformationのTable S2に載っており、それについて論文では実験室と大砲内の大気環境が異なるため、大砲内の方がより多くの硝酸カリウムを必要とするのではないか、と述べている。このあたりはAndradeが紹介した中国人研究者による昔の火薬レシピ実験と共通する結論だ。
 ただウエストポイントで実験に使われた火薬レシピはいずれも15世紀初頭のものであり、硝酸カリウムの比率は7分の4、3分の2、11分の8と、硝石の比率が低い代わりに燃焼熱の多い14世紀前半の火薬レシピではない。レプリカ大砲の時代を考えるならこの選択はおかしくはないのだが、硝石の比率が低い場合に銃砲内できちんと燃焼できたかどうかについても、例えばロスフルトガンのレプリカを使うなどして調べてほしかった。
 実際、別の研究者グループがロスフルトガンのレプリカを使って実験した際には、硝酸カリウムの比率が低いほど銃口の速度が遅かったという結論が出ている(Medieval Gunpowder Research Group, Report number 1, p9)。実験室内であれば硝酸カリウムの比率が低い方が燃焼熱は高く、理想的な比率は木炭と硝酸カリウムが1対1という計算になるのかもしれないが、酸素の供給が乏しくなる大砲内や爆弾のような容器内であれば、条件はかなり違うだろう。

 以上、専門性の高い論文なのでどこまできちんと読み取れているかは判断しかねるが、論文自体がくり返し主張しているように、今後のさらなる研究が望まれる分野なのは間違いないだろう。もっと実際の使用現場に合わせた環境下での燃焼の仕組みについて分析し、レシピを構成するそれぞれの素材がどのようなメカニズムで働いたのか、それを当時の人々はどのような試行錯誤を経て実用化していったのか、そのあたりが知りたいところだ。
 それとは別に、火薬の歴史絡みでの現在の通説について簡単に触れている部分も参考になる。例えば火縄絡みで紹介したFeuerwerkbuchの最も初期のマニュスクリプトが1429年のものである(執筆時期は1420年頃まで遡る)こと、コーニングがおそらく14世紀末頃には始まっていたが、それについて描写した最初の文章が1400年頃に編纂され、残っているマニュスクリプトで最も古いのが1411年であること、などについての言及がある。後者については、もしかしたらこちらの後半部で紹介した書物が論拠になっているのかもしれない。
 何より興味深いのはFigure 1のA図だろう。こちらには14~15世紀の欧州における銃砲、弾、そして装薬の量がどのように変化してきたかをグラフで示している。大砲のサイズが14世紀の後半になるまで小さいままだった点なども、このグラフから窺える。数トン単位の大砲が現れたのは、このグラフを見る限り1390年頃になってから。しかしその後は急速に巨大化が進み、15世紀半ばには20トンを超える巨大砲が生まれている。
 装薬の量も大砲に合わせて加速的に多くなっているが、一方で砲弾のサイズはそこまで急に増えていない。15世紀後半になるとそれまでの石弾から鋳鉄製の砲弾が一般的になり、それに合わせて大砲のサイズ自体も縮小するのだが、それ以前の段階で大砲と装薬が指数関数的に大きくなっているのに砲弾のみは比例的な増加にとどまっている。なぜこのような傾向が見られるのかについては、もしかしたら物理的に説明できるのかもしれないが、そのあたりは私にはよく分からない。いずれにせよこの件については他の専門家も色々と実験をしてもらえるとありがたい。
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