このプレプリント、現時点ではversion 9となっており、それだけ中身が変更されたのが分かる。実際、前に紹介した時とはそもそも結論も同じではない。いや、一応複雑な社会が道徳的な神に先行するという部分は変わっていないのだが、両者の間にある因果関係については前に書かれていた内容とは変化が生じている。
今回の論文では、まず道徳的な神というか道徳的な超自然的罰(MSP)について、9つの項目を使って「どの程度、道徳的か」というのを調べている。
Nature論文の際には道徳的神がいるかいないかの二分法で分析していたが、この方法だと「どの程度道徳的であればMSPが存在すると見なすのか」という問題が生じる。そこでこのプレプリントでは二分法ではなく、もっと多くの条件を使って各地の宗教の道徳度を調べている格好だ。
具体的には「超自然的存在の主要な関心が人間の協力に向けられているか」「超自然的存在による道徳的報酬や罰が確実で予想可能か」「報酬や罰は道徳的に幅広い範囲が対象か」「対象は特定の罪人のみかグループ全体か」「支配者は対象になるのか」「エリートは対象になるのか」「普通の人はどうか」「報酬や罰は来世に与えられるのか」「それとも現世か」「神などの主体が与えるのか、それともカルマのような非人格的な力によるのか」の各項目だ。yesである項目の数が多いほど道徳度が高いという計算だろう。
この結果はp15のFigure 1にまとめられている(この図は以前からあった)。見ての通りMSPは低い水準と高い水準それぞれにクラスターがあり、中間地点の数は少ない。いくつかの地域でどう変化したかがグラフとして載っているが、いずれも低い状態から高い状態へ急激に移動した様子が見て取れる。確かにNature論文のように0か1かという分け方をしたくなるグラフだが、こちらの方がより正確な分析が可能だろう。
MSPと比べるのは、まず社会の複雑さを示すSPCだ。
こちらで説明した主成分分析で言うところのPC1と見ていいだろう。一般的に社会の複雑さは人口とも比例しており、SPCが3の場合はおよそ人口は1000人、6の場合は100万人になるという。それから前にも述べた軍事技術(MilTech)や騎兵(Cavalry)に注目した戦争強度も比較対象として出てきている。
次の比較対象は、資源の希少性vsより多くの富、という切り口だ。どちらも道徳的神をもたらす要因だという(相互に真逆の)主張があり、こちらについては農業関連のデータをまとめた指標(Agri)を使っているほか、環境要因について2つの主成分を使った指標(EnvPC1、EnvPC2)も比較対象としている(
Supplementary Online Materials, Figures S1)。最後に取り上げているのは放牧で、これまた遊牧民の生活が道徳的な神を生み出しやすいとの説を反映している。
こうした一連の指標とMSPとの相関については、Figure S2に載っている(以前は論文本文に入っていたと思うが、最終的にはこちらに下げられたようだ)。ここに出てくる相関係数を見ると、昔のデータとは微妙に数字が変わっている。MSPとの相関で言えば最も高いのはMilTechとCavalry、つまり戦争強度であり、次に高いのは社会の複雑さ(SPC1)だ。一方、SPC1との相関が高いのもやはり戦争強度関連で、その次がMSPとなっている。
SPC1の分布は2つのクラスターに分かれており、両者のプレークポイントとなっているのはSPC1が5.3(人口20万人)のところだ。社会の複雑さがこの閾値を超えたところを相対時間ゼロとし、それぞれの社会のMSPがそれぞれの時間帯でどのように変化したのかをグラフ化したのがFigure 2(p17)。青い破線は社会的複雑さの変化、赤い実線はMSPの変化を示しているのだが、見ての通り先に青い破線が変化のピークを迎え、それから300年ほど後にMSPの変化がピークに達している。Nature論文では「いつ道徳的神が生まれたか」が問題となったが、こちらは神の道徳度の変化率に注目して神の道徳度が急増した時期は社会の複雑さが急増した時期より後であると主張している。つまり、Natureの論文取り下げ後でもなお、大きな神より大きな社会が先行したというのがTurchinらの主張である。
とまあここまでは従来の議論を繰り返しているように見えるが、この後は微妙に話が違ってくる。TurchinらはFigure 2を示した後で、今度は
赤池情報量規準を使った分析を行っている。MSPに関する分析では最もよくフィットするモデルだとSPC1が入ってこない(Table 2, Table 3)。つまり社会の複雑さが原因となってMSPが結果となるような関係は、この表からは読み取れないようだ。
逆の因果、つまりMSPが原因となってSPC1がもたらされるという関係は存在するのだろうか。Table 4がその結果であり、Turchinらはこの表が「そうした因果関係に反する強力な証拠」だとしている。これは単純なMSPだけでなく、MSPの構成要素が1つでも見つかった場合を取り上げたMinimal MSPなど他の指標を使っても同じ。やはり道徳的な神は社会の複雑さの原因として機能しているという結果は導かれなかった。
こうした結果を図示したのがFigure 3(p21)だ。見ての通り、SPCとMSPの間には因果関係を示す矢印は存在しない。代わりに軍事的な競争から双方へと強い因果関係が、農業生産性からSPCへは弱く、MSPへは強い因果関係が記されているほか、放牧からMSPへも弱い因果関係の存在が記されている。アイスクリームやビールが売れるのは両者の間に何らかの因果関係があるためではなく、暑いという共通の原因からそれぞれの結果が導き出されている、という話と似たようなものだろう。複雑な社会と道徳的な神とは一見相互に関係しているように見えるが、それはどちらも似たような要因から発展してきたためである、というのがこの論文の重要な結論である。
これ、かつての結論とは異なっている。2年前の時点でこのプレプリントが導き出していた結論は、
こちらで紹介されているようなものだった。見ての通り、SPCとMSPとの間には弱い因果関係の矢印が存在していた。複雑な社会と道徳的な神は、単に時間の前後という関係があるだけでなく、一方が他方の原因になっていた、というのが以前の主張だったのだ。
実際、大きな神が大きな社会に先行したのか否かという問題についてのこれまでの議論には、当然の前提として「どちらが原因か」という観点が含まれていたように見える。だが今回のTurchinらの分析では、どちらも原因ではなく、他の要因から導き出された社会の適応結果にすぎない、という結論になる。時系列で見れば確かに大きな社会が先行しているのかもしれないが、それ自体にはあまり意味がないと思いたくなるような結論だ。
もちろん話はそんなに単純なわけはなく、ここから様々な疑問が生まれてくることを論文では指摘している。それでも、もしTurchinの分析が正しいなら、結果として生まれてきた大きな神や複雑な社会のどちらが重要かについて議論するのはあまり意味がなさそう。その結果をもたらした原因である戦争、農業、そして放牧について、それぞれがなぜ大きな社会や大きな神をもたらしたのか、そのメカニズムについて考える方が面白そうである。
なお、複雑な社会にはあまり影響を及ぼしていないが、道徳的な神の弱い原因となっている放牧については、
こんな論文もある。放牧社会ほど暴力的な傾向があるという分析を、これまた大量のデータを使って行ったものであり、先祖に占める放牧社会の割合が高いところでは紛争が起きやすいといった傾向が、あまり高い相関係数ではないものの見うけられたという。そうした暴力的な傾向が、むしろ罰を与える道徳的な神をもたらすうえで何らかのプラス効果をもたらしたのかもしれない。
遊牧民と農耕社会との関係についてはTurchinも
「鏡の帝国」という概念を唱えている。もし道徳的な神も遊牧生活との関係があるのだとしたら、今の世界に及ぼした遊牧民の影響はかなりでかい、ということになるのだろう。
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