「暁の宇品」読了。兵站絡みの話としては、クレフェルトの
「補給戦」や大井篤の
「海上護衛戦」といった書物が有名だが、この本もそれに関連したものと見るのが可能だろう。といっても兵站に焦点を当てたとまでは言えない。兵站そのものではなく、あくまで兵站を担った組織であり、広島の宇品に拠点を置いた
陸軍船舶司令部の関係者を取り上げた本である。
有名なノンフィクション作家が書いたものだけに、あちこちに書評が載っている。概要についてはそちらを見てもらえばいいだろう。陸軍でありながら兵員や物資の輸送に必要な「船舶」の運用を担い、また自前で持っている船よりも、民間から徴発した「傭船」や船員の方が圧倒的に多かったという、とても奇妙な組織の話は、それ自体なかなかに興味深い。島国である日本にとってそもそも船舶の数自体が重要であり、しかしそれが戦争になると必要な分を保持できなくなっていった流れは、「海上護衛戦」などでも描き出されていた通りだが、あちらは
海軍の海上護衛総司令部の話だった。
どうやら当時、船舶輸送そのものは陸軍が担い、海軍はその護衛のみを担当していたらしい。こうした担当分けは世界的にも珍しいものだそうだが、実態としては上にも述べた通り必要に応じて民間から船を雇いあげて運用するスタイルが基本だった。船舶を運用する船員たちも(一部は軍属として認められたが)基本は民間人であり、兵士よりも高い比率で損害を出した彼らに対し、軍人並みの補償が与えられるようになったのはやっと戦後の法律改正からだったという。
ちなみに各種の書評を見ていると、軍の輸送を民間船が担っていたことについて
「意外である」と書いているものがある。確かに現代的な感覚からそう思う人がいるのは不思議ではないが、歴史的に見ればこうした軍事関連業務を民間が担う現象は全く珍しくない。そもそも国民軍の登場までは戦闘そのものですら傭兵に任せていた事例が数多くあったし、そして足元では
民間軍事会社という形で戦闘や周辺サービスを担う民間人が再び増えている。むしろ何でもかんでも国家の組織が最初から最後まで自前でやっている時代の方が珍しい。
そう考えると陸軍の船舶司令部は「軍事における国家と社会の間の関係」について最も伝統的な形態を保持していた組織だ、とも言えるだろう。それは同時に戦争がビジネスとしての側面を持っていたことも示していたはずだ。ただしこの本はそこまでスコープに入れているわけではない。むしろ船舶に関して言えば、民間のビジネスを邪魔する存在としての軍の方が大きく取り上げられている。ただしそれは日中戦争以降の船舶司令部を中心に取り上げているためだろう。筆者自身、戦前の広島が「膨大な軍事予算の恩恵を受けて発展してきた町」であることは、きちんと指摘している。
本書全体の評価は、とても面白いものだと言える。ただ、本の中でも力を入れて紹介している部分であり、各種書評でも白眉のように取り上げている船舶司令部田尻中将の意見具申については、実際に読むとかなり印象が異なる点は指摘しておきたい。
例えば
こちらの書評では、軍事目的による船舶徴用の増大が民間を圧迫していたそのタイミングで書かれたこの意見具申について、「日本の船舶輸送の危機的状況を説明し、南進論を牽制」したと指摘している。
こちらの書評でも「南進論も日米開戦も夢物語に過ぎない」と認識していた田尻の意見具申は「ファクトに基づき輸送の重要性や合理化を訴え」た「冷静かつ鬼気迫る内容」としている。兵站上の問題を理解していた専門家が、自らの視点に基づいて軍上層部の安易な戦争拡大論に釘を刺した文章、という位置づけだ。
これは筆者自身がこの意見具申について、「民間船腹が圧迫を受け」ていることへの懸念と、多岐にわたる要望の内容から、それが当時浮上していた「南進論」への牽制だったのではないかと記している(p167-168)のを反映したものだろう。また他の研究者による「越権というかね、罷免覚悟じゃなとできることじゃないよ」(p184)との言葉も紹介されており、この意見具申が自らのキャリアを賭けた諫言であるとの解釈がなされている。無謀な戦争に進もうとする政府全体に対して専門家が物申したという位置づけであり、だからこそ
コロナ禍での政府の対応に結び付ける書評も出てきたのだろう。
だがこの意見具申(旧漢字カタカナで全文引用されている)を読むと、これらの指摘とは随分と異なる印象を受ける。なぜなら、そこで田尻が主張しているのは「ブラック労働の強化」だからだ。
まず驚いたことに、当時の厚生省は「労働時間制限に関する法令」を出し、労働者の残業などを厳しく規制していたらしい。これに対して田尻は船舶の修理を行う会社については特例を設けて夜間作業を認めろと要求している。しかも、夜間作業のための交代制について「各造船所は甚しく労働力不足しありて到底交代制度実施の余裕」がないことを知った上での提言だ。間違いなく個々の労働者の労働時間を伸ばすことを前提とした意見である。
次に大蔵省に対しては各種の行政手続きの簡素化を求めているのだが、その中には午後4時までの受付時間を日没時まで、あるいは日曜祝日も受け付けるなど、官吏の労働時間を延長しろとの要求がある。逓信省に対しても「土曜の半休、日曜日、祭日」も平日同様に仕事をしろと言っているし、鉄道省に対しては川崎の揚貨機を大阪桜島のものと同様に終夜就業させるよう求めている。
もちろんそうしたブラック労働の強化だけでなく、一部の業務フローについて省略や簡素化を進める形で効率的な船舶運用を図るべしとの意見も述べている。はしけ船の増産促進や船舶への石炭優先配給といった提言もある。でも一方で彼は船舶の航行については「経済速力」以上にしても効果に乏しいと指摘。効率よく船舶を運行させるには「碇泊日数を少からしむるを要す」としている。そして最後に「休養等に執着することなく官民一致して滅私奉公の実を挙ぐる」ことこそが大切だと主張しているのだ。
田尻が目指していたのは、つまりジャストインタイムの徹底だろう。そしてそのためには関係者の労働環境をブラック化させるのが最善だ、と言っている。理由は簡単で、要するに船舶用の燃料の方が人件費より高くついたから。より低コストで高効率な船舶運用を達成するには、とにかく働く人々の都合に合わせるのではなく、船舶の運航という都合に労働者を合わせて仕事を回す方がいい。何しろ労働力は安いのだから。おそらくはそういう想定に基づいて出された意見具申であろう。
この時代の空気感は私には分からないが、この意見具申を読んだ限り、本当に南進論への牽制だったのだろうかと疑問を抱いたのは確かだ。少なくとも田尻が軍官僚として、他の政府関係者が表立っては否定しがたいロジックを持ち出しているのは間違いない。お前らや労働者がもっと仕事をすれば、今より効率よく船舶を回せるし「民間の船腹不足緩和」もできるという理屈を彼は掲げているのであり、逆に政府各部門がこの要請に応じれば今より大規模な戦争もできると読めなくもない。
もちろんこれはあくまで私の個人的印象だ。実際には筆者やこの本に出てくる他の研究者が述べている通り、進退をかけて船舶問題を訴えるものであり、それが原因で田尻が罷免されたという解釈は大間違いではないのだろう。ただ、この文章を読む限り、田尻が解任覚悟で大見得を切ったという文章には見えない。彼はあくまで官僚として、他の官僚たちを上手く巻き込むことがまだ期待できるようなロジックを持ち出したのではないだろうか。
なおこの本では田尻が辞職する原因となった不審火について「奇しくも陸軍の定期人事異動の時期にあわせるかのように起きた」と記し、彼は事実上罷免されたのだと結論づけている。ただこの不審火については「消防、警察、運輸部がどれだけ調べても原因はわからなかった」という。確かに昭和の陸軍は柳条湖事件など自ら陰謀に手を染めていたわけで、それを踏まえるならこれも軍の陰謀としたくなるのは分からなくもない。でも「原因がわからない」ということは、陰謀である証拠もないと思われる。本人や周辺がそう感じたのは理解できるが、ではいったい陸軍のどの部門の誰が、単に1人のポストを動かすためだけに自軍の施設内で死者を出すような不審火を起こしたのだろうか。個人的にこれが陰謀かどうかについての判断は控えておいた方がいいと感じる。
ちなみに田尻が唱えたジャストインタイムの徹底は、「海上護衛戦」ではむしろ批判対象となっていた。船舶運用の効率性は、多くの輸送船をまとめて護衛する護送船団方式とは相性が悪く、戦時下においては船舶の損害を増やすような運用法だったからだ。もちろん田尻も戦争になれば状況が変わることは分かっていたと思われる。彼が放逐されることなく太平洋戦争開始後も船舶司令部に残っていたとしたら、この「護送船団かジャストインタイムか」という課題に彼はどう対応しただろうか。
スポンサーサイト
コメント