革命フランス軍組織 16

 承前。

(参照:Région militaire

1799年

●東方軍

・司令官
 ボナパルト将軍、1月1日から8月22日(ニヴォーズ12日からフリュクティドール5日)
 クレベール将軍、8月25日から12月31日(共和国暦7年フリュクティドール8日から同8年ニヴォーズ10日)、当初は暫定で、それから共和国暦8月ブリュメール24日(11月15日)の執政布告によって最終的に指揮を執った

・担当区域
 1月1日:エジプトとシリア

・備考
 (1)8月22日(フリュクティドール5日)、ボナパルト将軍はアレクサンドリア地域を指揮するムヌー将軍に、自らの出発を東方軍に告げる布告と、司令官の職を委ねたクレベール将軍への指示を残し、翌日夜にフランスへ出帆した、だがこれらの指示とボナパルト将軍が彼に指揮権を委ねた手紙がロゼッタにいたクレベール将軍に届いたのは25日(フリュクティドール8日)だった。
p563

●英方面軍

・司令官
 ムーラン将軍、1月2日から6月22日(ニヴォーズ13日からメシドール4日)、暫定指揮(1)
 ドンバレール将軍、6月23日から7月19日(メシドール5日からテルミドール1日)、臨時指揮
 ミショー将軍、7月20日から11月14日(共和国暦7年テルミドール2日から同8年ブリュメール23日)、暫定指揮
 エドゥーヴィユ将軍、11月15日から12月31日(2)

・担当区域
 1月1日:第12、第13、第14、第22軍管区

・備考
 (1)不在で病気だったキルメーヌ将軍はなお英方面軍司令官の称号を保持していた。
 注――テルミドール29日(8月16日)の布告により、地域別の指揮権に分割されていた英方面軍は他の軍と同様、その担当区域を構成している軍管区の境界と関係なく実働師団に編成された。
 (2)英方面軍司令官に任命されたエドゥーヴィユ将軍は11月8日(共和国暦8年ブリュメール17日)にアンジェに到着し、軍担当区域に命令を出し始めた、だが彼は15日前後までレンヌの司令部に合流せず、ミショー将軍から指揮権も受け取らなかった。
p563-564

1800年

●バタヴィア方面軍
 11月24日(共和国暦9年フリメール3日)に名前をガロ=バターヴ軍に変更

・司令官
 デジャルダン将軍、1月1日から26日(共和国暦8年ニヴォーズ11日からプリュヴィオーズ6日)、暫定指揮
 オージュロー将軍、1月27日から8月28日(プリュヴィオーズ7日からフリュクティドール10日)、3月9日(ヴァントーズ18日)からバタヴィア兵も指揮。7月17日から8月4日(メシドール28日からテルミドール16日)、デジャルダン将軍が暫定指揮を執り、バタヴィア兵の上位指揮権も持つ(1)
 8月5日から11月23日(共和国暦8年テルミドール17日から同9年フリメール2日)、ヴィクトール・ペラン将軍が下位のバタヴィア兵を司令官補佐として指揮
 バルブー将軍、8月29日から9月6日(フリュクティドール11日から19日)、臨時指揮
 オージュロー将軍、9月7日から11月23日(共和国暦8年フリュクティドール20日から同9年フリメール2日)
 ガロ=バターヴ軍(2)
 オージュロー将軍、11月24日から12月31日(フリメール3日からニヴォーズ10日)ヴィクトール・ペラン将軍が下位のバタヴィア兵を司令官補佐として指揮

・担当区域
 1月1日(ニヴォーズ13日)(第一執政の決定による):バタヴィア共和国、第24、第25軍管区
 1月[7月]3日(メシドール14日)(布告による):バタヴィア共和国、第24及び第25軍管区は国内制度に入る
 7月3日[9日](メシドール20日):バタヴィア共和国、第24、第25及び第26軍管区

・備考
 (1)7月16日から17日(メシドール27日から28日)にかけての夜、オージュローはバタヴィアの暫定指揮権をデジャルダン将軍に残してハーグを発ち、彼が指揮してきたバタヴィア方面軍の2個師団と21日にデュッセルドルフで合流し、戦争再開に合わせ彼らの先頭に立ってフランケンに入った。この日からバタヴィア方面軍は2つの明確に区別できる2つの部分に分かれた、ブリュヌ[オージュロー]司令官の指揮下にある一方はマイン河畔で行動した、部下であるデジャルダン将軍が暫定指揮した他方は、バタヴィア共和国を占拠した。
 (2)9月30日(共和国9年ヴァンデミエール8日)、マイン右岸に位置する1つはフランス軍、1つはバタヴィア軍の2個師団で構成され、オージュローが直率するバタヴィア軍右翼を指し、大臣が初めてガロ=バターヴ軍の名称を使った。従ってこれらの師団は特定の軍を形成してはいない、戦闘の再開時、11月24日(共和国暦9月フリメール3日)、ガロ=バターヴ軍の名は、何の布告も介在しないままバタヴィア方面軍にまで広がり、全軍に適用されるようになった。
p565-566

●ライン方面軍

・司令官
 モロー将軍、1月1日から12月31日(共和国暦8年ニヴォーズ11日から同9年ニヴォーズ10日)[1]

・担当区域
 1月1日:ヘルヴェティア共和国、及びクレーフェまでのライン流域、第3、第4、第5、第6及び第26軍管区
 7月3日(メシドール14日)(布告による)、7月9日(メシドール20日)から一部施行:第3、第4、第5、第6及び第26軍管区は外れる。今や軍の担当区域はライン右岸の征服地とヘルヴェティア共和国のみを含む
 7月15日(メシドール26日)(布告による)、7月24日(テルミドール5日)から一部施行:ヘルヴェティア共和国が外れ予備軍に移行
 7月22日(テルミドール3日)(布告による):第3及び第5軍管区が暫定的にライン方面軍司令官の指揮下に置かれる(2)

・備考
 (1)10月15日から11月22日、モロー将軍は休戦を利用して軍を離れパリに向かい、そこで継続して指揮を執ったように見える。不在の間、彼の参謀長だったデソル将軍が彼に代わって命令を出し、臨時指揮権は誰にも割り当てられなかった。
 (2)だが大臣は、直接軍に関係しない件について、これらの管区を指揮する将軍たちと直接やり取りする権利は保持した。
p566-567

●第二線予備軍
 6月4日(共和国暦8年プレリアル15日)から予備軍第二線の名で作られ、6月12日(プレリアル23日)に第二線予備軍となった。メシドール14日(7月3日)の命令で承認されたメシドール11日(6月30日)の第一執政の命令によって予備軍の名称となり、10月17日(共和国暦2年[9年]ヴァンデミエール25日)に執行されたヴァンデミエール13日(10月5日)の布告により、グリゾン方面軍となった

・司令官
 ブリュヌ将軍、6月4日から7月2日(プレリアル15日からメシドール13日)(1)
 予備軍
 ブリュヌ将軍、7月3日から8月15日(メシドール14日からテルミドール27日)
 カンクロー将軍、8月16日から9月2日(テルミドール28日からフリュクティドール15日)、暫定指揮
 マクドナルド将軍、9月2日から10月16日(共和国暦8年フリュクティドール15日から同9年ヴァンデミエール24日)(2)(3)
 グリゾン方面軍(4)
 マクドナルド将軍、10月17日から11月1日(ヴァンデミエール25日からブリュメール10日)
 グルーシー将軍、11月2日から5日(ブリュメール11日から14日)、臨時指揮(5)
 マクドナルド将軍、11月6日から12月31日(ブリュメール15日からニヴォーズ10日)

・担当区域
 6月4日(プレリアル15日):コート=ドール県、ソーヌ=エ=ロワール県、ニエーヴル県、ヨンヌ県、オーブ県、オート=マルヌ県、アン県
 予備軍――7月3日(メシドール14日)(布告による):ジュネーヴとヴァレー全域、コート=ドール県、ソーヌ=エ=ロワール県、ニエーヴル県、ヨンヌ県、オーブ県、オート=マルヌ県、アン県
 7月15日(メシドール26日)(布告による)、7月24日(テルミドール5日)から一部施行:ヘルヴェティア共和国によって担当区域拡大
 7月27日(テルミドール8日)(布告による):第6軍管区が8月3日(テルミドール15日)から担当区域に統合
 グリゾン方面軍――10月5日(共和国暦9年ヴァンデミエール13日)(布告による)、10月17日(ヴァンデミエール25日)施行:グリゾン地域、ヘルヴェティア、レマン州、第6及び第18軍管区は外れて国内制度に戻る
 11月4日(ブリュメール13日):コンスタンスの町はライン方面軍担当区域からグリゾン方面軍に行く

・備考
 (1)ベルティエ将軍と予備軍司令部がディジョンから出発した後に、軍の宿営地に残った兵站部は予備軍第二線の名を受け取り、アルプスの麓に集まった実働部分は第一線となった。新たな軍の組織化を特に担当するよう命じられたブリュヌ将軍は、5月17日(フロレアル27日)にディジョンに到着した。徴集兵の編入を監督しながら、しかし彼は公式には予備軍第二線の司令官を彼に与える大臣の命令を受け取る6月4日(プレリアル15日)まで指揮を執らず、自らの権限が及ぶ担当区域も設定しなかった。この第二線はしかしまだ別の軍ではなかった、6月12日(プレリアル23日)、10日付の命令がブリュヌを第二線予備軍の司令官に任命したことで、これは特定の完全に独立した軍となった。
 (2)8月31日(フリュクティドール13日)、マクドナルドはまだパリにいたが、既に軍の様々な師団に移動命令を派出していた、だが実際に指揮を執ったのはディジョンに到着した9月2日だった。
 (3)10月1日から12日(共和国暦9年ヴァンデミエール9日から20日)、ライン方面軍をマクドナルド将軍が訪問している間、誰も予備軍の指揮権を与えられなかった、参謀長マテュー・デュマが日々の軍務を実行する責任を負った。
 (4)10月31日から11月9日(ブリュメール9日から18日)、グリゾン方面軍はヴァルテリーヌに布陣したが、そこは軍の担当区域には移行しなかった、この地の行政は引き続きチサルピナ共和国に、従ってイタリア方面軍の担当区域に属していた、状況のため、この地での軍事作戦をグリゾン方面軍に委ねることが余儀なくされただけだった。
 (5)11月2日から5日(ブリュメール11日から14日)、グルーシー将軍がグリゾン方面軍の指揮を執り、マクドナルド将軍は病床に留まることを余儀なくされた。
p567-569

●イタリア方面軍
 メシドール4日(6月23日)、予備軍とイタリア方面軍は、イタリア方面軍の名の下に統合(1)

・司令官
 スーシェ将軍、1月1日から5日(ニヴォーズ11日から15日)、臨時指揮
 マルボ将軍、1月6日から15日(ニヴォーズ16日から25日)、臨時指揮
 マセナ将軍、1月16日から6月16日(ニヴォーズ26日からプレリアル27日)(2)。4月7日から6月7日(ジェルミナル17日からプレリアル18日)、スーシェが部下としてヴァールを指揮(3)
 スーシェ将軍、6月17日から24日(プレリアル28日からメシドール5日)、臨時指揮(4)
 マセナ将軍、6月25日から8月21日(メシドール6日からフリュクティドール3日)
 ブリュヌ将軍、8月22日から12月31日(共和国暦8年フリュクティドール4日から同9年ニヴォーズ10日)

・担当区域
 1月1日:ジェノヴァからのサン=ベルナール山までのアペニンとアルプスの山脈、第7、第8及び第19軍管区
 5月5日(フロレアル15日)(布告による):モン=ブラン県が外れ予備軍に移行
 再編時(6月25日):アルプスの向こうの征服地全て、ヴァレー、第7、第8及び第19軍管区
 7月3日(メシドール14日)(布告による):ヴァレーとジェノヴァが予備軍担当区域に移行、第7、第8及び第19軍管区が国内制度に戻る
 7月25日(テルミドール6日)(布告による):アルプ=マリティーム地域がイタリア方面軍に割り当て
 10月3日(共和国暦9年ヴァンデミエール21日)(布告による)、10月25日に施行(ブリュメール3日);アルプ=マリティーム県はイタリア方面軍から外れ、第8軍管区へ移行。軍担当区域はピエモンテとリグリア国境で終了

・備考
 (1)マレンゴの勝利は予備軍に課せられた任務を完遂させ、イタリアを発つ準備をしていた第一執政は、イタリア方面軍と予備軍をイタリア方面軍の名の下に1つの軍に再編した。メシドール4日(6月24日[23日])の布告でその軍に所属する兵を指名し、そしてメシドール5日(6月24日)付の2つ目の布告で指揮権をマセナ将軍に与えた。
 (2)ジェルミナル23日(4月13日)、予備軍司令官がモン=ブランの国境にあたるアルプスの一部での作戦を指揮することを第一執政は決定し、4月16日(ジェルミナル26日)、イタリア方面軍左翼を指揮していたテュロー将軍はベルティエ将軍の部下になり、以後この翼側の作戦は完全にイタリア方面軍からは独立し、予備軍と基本的に結びついたため、こちらの軍に分類されるべきである。そしてフロレアル15日(5月5日)の布告により、モン=ブラン県はイタリア方面軍から外れ予備軍に移行した。
 イタリア方面軍はかくして右翼と中央のみになり、両者間にはオーストリア軍がサン=ジャックとメローニョを奪って(4月6日、ジェルミナル16日)以降、極めてまれで困難な海上を通じた連絡しかなく、いずれも孤立した部隊を形成して別々の将軍に従った。マセナは右翼の先頭に立ってジェノヴァへの接近路を守り、彼の部下であるスーシェは中央とともにニースとヴァールをカバーした。
 (3)ジェノヴァ降伏(6月4日、プレリアル15日、午後8時)以降、イタリア方面軍右翼はガザン将軍の指揮下で6月5日に出発し、6日(プレリアル17日)時点でアラシオにいたスーシェ将軍指揮下の中央と合流しようとした、7日に両者は合流し、同日ニースに上陸したマセナ将軍は8日にイタリア方面軍の指揮を執り、司令部をフィナーレに設置した。
 (4)マレンゴの戦いとそれに続く休戦の知らせを受け、マセナ将軍は17日(プレリアル28日)にフィナーレを発してミラノへ向かい、イタリア方面軍を部下のスーシェ将軍の指揮に委ねた、彼はジェノヴァ、コニ、チェヴァの再占拠を任されていた、彼が軍の先頭に立ったのはその再編後の6月25日(メシドール6日)だった。

 注――この新たな軍は布告で名指しで指名され、予備軍とイタリア方面軍の2軍から区別なく選ばれた13個軽歩兵半旅団、35個戦列歩兵半旅団、6個騎兵連隊、7個竜騎兵連隊、7個猟騎兵連隊、3個ユサール連隊で構成された。
 13個戦列歩兵半旅団、3個軽歩兵半旅団、1個騎兵連隊、1個竜騎兵連隊、1個猟騎兵連隊はフランスへ戻され、第二線予備軍の一部になることが決まった。
p569-570
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント