マーケット・ガーデン詳細本

 前に紹介したLost at Nijmegenを書いた郷土史家が、マーケット・ガーデン作戦全体の経緯についてまとめた本、Little Sense of Urgencyを手に入れた。前の本がたった71ページという限られたボリュームだったのに比べると、こちらはずっと大きな本になる。といっても全体で200ページに満たない程度であり、量だけ見るのならそんなに重い本ではない。問題は外見的な量よりも中身だ。情報の充実度ということで考えると、これは結構重たい本である。
 筆者は一次史料から集めたデータを使い、当時の航空写真上のどの地点で起きたことであるかを細かくプロットして本に仕上げている。結果、この本は航空写真を使った地図の数が異様に多い書物となっている。白黒で時に粒子の粗い当時の写真は決して見やすいものではなく、さらにプロットされている地名や敵味方の位置などがやたらと多いため、写真一つを読み解くだけでえらく苦労する。実際には写真を確認したうえで文章を読み、どのように双方が動いたのかを想像しながらページを進めていくことになるため、労力がかかる読書となる。
 例えば一部のページについてはこちらに抜粋がある。途中に航空写真を使った説明図が載っているのが分かるだろう。本文とコラムが入り乱れているほか、脚注も多く(全部で300を軽く超える)、そして当時の軍隊用語が割と何の説明もなしに頻出する。一次史料からそのまま引用した文章もあり、事前にある程度の知識がなければ意味を把握するのにも苦労するかもしれない。そもそも郷土史家の自費出版本なのだから当然かもしれないが、正直言ってこれはマニア向きの本だ。
 一読して思い出したのは、こちらでも触れたGeorge Nafzigerの本。あちらもまた一次史料からの引用と思える文章がやたらと多い本だったし、ひたすら各部隊の動きを細かく記している点も似ていた。さすがにナポレオン戦争当時は航空写真はなかったので地図はそこまで詳しくなく、その点が少し残念ではあったが、豊富な情報量という意味では共通している。第二次大戦について私はさして詳しいわけではなく、こうした基本的情報をきちんと網羅した書物がどのくらいあるのかは知らないが、連合軍側に関する情報という意味ではかなり使える本だと思う。

 本の構成は大きく2つに分かれる。前半3分の1強は連合国が西部戦線構築のための指揮系統を定めたところからマーケット・ガーデン作戦の立案段階までを、残りはマーケット・ガーデン作戦自体を1日単位で、投入された部隊ごと(空挺部隊はおもに師団単位、陸上部隊は第30軍団をまとめて)に追っていく形だ。
 前半で描かれているのは、とにかく連合軍上層部の仲の悪さ。もちろん連合軍なんてものはいつでもどこでも仲が悪いと相場が決まっているのだが、この時の米英両軍も例外ではなかったようだ。加えて国籍だけでなく、空軍と陸軍の連携の悪さもなかなかのものだったようで、このあたりはマーケット・ガーデン作戦に直接的に悪影響を及ぼしたことが知られている。
 特にそうした傾向が深刻な影響を及ぼしたのは、当初英軍だけで実施する予定だったコメット作戦が変更となり、より大掛かりなマーケット・ガーデン作戦になった時の問題だ。この本にはコメット作戦で計画されていた空挺部隊の降下地点を記した地図が掲載されている(p54)のだが、それを見ると英軍はアーンエム西方の平地の他に、アーンエム橋の南端とナイメーヘン橋の北端すぐのところに部隊を降下させる計画を立てていたことが分かる。
 だがこの計画は、米空挺部隊も含むマーケット・ガーデン作戦に移行する際に、航空部隊の反対にあって潰れてしまった。ブラウニングをはじめ英軍関係者中心に構成されていた第1空挺軍団の上部組織である、陸上部隊と空軍部隊とを統括して指揮する第1連合空挺軍の司令官ブレアトンは米軍の軍人であり、そして彼の下で輸送機部隊を指揮していたウィリアムズが、橋の近くへの降下に対して特に厳しく反対したのだそうだ(p54-55)。加えて空軍部隊は降下の回数について「1日1回」を強く主張し、そのため空挺各師団は戦力が整うまでに多大な時間を要することになった。
 おまけにこの計画について行われた9月10日の会議には、実際に降下する各師団長のうち第82空挺師団のギャヴィンしか参加していなかった。特に英第1空挺師団はアーカット師団長以下誰一人としてこの会議に顔を出しておらず、彼らの意見を代弁するものは存在しなかった格好(p53)。映画「遠すぎた橋」では各師団長プラス、ポーランド第1空挺旅団長が参加してブラウニングが説明する、というシーンがあったのだが、あれはまごうことなきフィクション。実際には第1空挺師団はアーンエム近くへの降下を認めるよう要請したが拒否されたという。
 もう一つ、前半部で強調されているのがモントゴメリーの計画の妥当性と、その実行を邪魔した米軍側の問題点だ。これについては色々と意見もあるだろうが、モントゴメリーが常に機動戦を意識した計画を立案し実行しようとしていたのに、米軍側(彼の上官であるアイゼンハワーや、最初は部下で後に同僚となったブラッドレーら)がそれを結果的に邪魔していたというのが、この本の主張。特にアイゼンハワーに対しては手厳しく、彼が9月から陸上部隊の指揮を執ったせいで戦争が長引いた(p196)とまで言っている。
 実際、モントゴメリーに焦点を当てれば、彼は常に突破から大きく展開し敵を打ち破るという、実にブリッツクリークな作戦を次々と提案していたことになる。コブラ作戦における突破などはノルマンディー上陸後の早い段階から主張していたし、実際に突破した後はファレーズポケットを閉じるだけでなくセーヌまでの広い範囲でドイツ軍を罠にはめようとした。その後の「単独突破」作戦案も、あるいはベルギーまで進んだところで計画したルールへの包囲作戦も、いかにも機動戦といった感じの計画だ。それに対し、アイゼンハワーの「広正面作戦」は結果的にあらゆる戦線で連合軍の勢いを減退させ、ドイツ軍に立て直しの機会を与えてしまった、というのが筆者の見解である。
 もちろん、本当にモントゴメリーの計画なら戦争が早く終わったかと言われると、個人的にはそこまで断言するのは難しいように思う。急激な前進に伴って補給問題が深刻化していたことはこの本にも書かれているし、たとえ前進する部隊を限定しそちらに補給を優先的に回したとしても、アントワープの港湾が使えるようになるまでの時間を考えるとやはり補給の限界が生じ、どこかで連合軍の攻勢が一回は止まった可能性は高いんじゃなかろうか。
 アイゼンハワーの仕事は、ナポレオン戦争期で言うならシュヴァルツェンベルクが担当したような仕事だったのだと思う。軍事作戦をうまく進めることも目的の一つだっただろうが、何より政治的に連合国が破綻することのないよう、調整役として立ち回ることが重要だった。そのためには少しばかり効率の悪い戦争のやり方になってもやむを得ない、という面があったとは考えられないだろうか。連合軍の失敗に関してしばしばモンティを犠牲の山羊にする傾向があるのは確かだし、その中には不当なものもあるんだろうが、だからといってアイクを過小評価しすぎるのもどうかと思う。前にも書いた通り、私は第二次大戦に詳しいわけではないので、あまり断言はできないのだが。

 そうした歴史の評価とは別に、作戦そのものを描いた後半部では、あまり詳しく知らなかったことについて情報を得られたのがプラスだろう。特にアーンエム市街でフロスト大隊以外の第1空挺師団がどのように戦ったのかについてとか、味方から分断された第4空挺旅団がいかに戦線までたどり着いたのかといった話は、焦点を当てられることが少ないだけに興味深かった。
 他の部隊についても同じ。たとえばナイメーヘン橋を奪われた後にドイツ軍が防衛線を敷いたのはエルスト付近だという話をよく見かけるのだが、実際にはそれより南方のレッセンやオースターホウトでの抵抗が結構長く続いていたことが、この本を読めば分かる。前に紹介した動画ではナイメーヘン橋を奪ったあとの英軍の前進が遅かったとの主張に対して異論を述べていたが、この本を読むと実際に英軍の動きが鈍かったと言われても仕方ない面もあったように見受けられる。
 もちろんこの本にも弱点はある。ドイツ軍の動きがほとんど書かれていないことだ。とはいえドイツ側の一次史料はおそらく限られているだろうし、この本以外にドイツ側に焦点を当てた本もあるので、必要ならそちらを見ればいい。この本自体の評価を大きく下げるような欠点ではない。
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