前に
こちら で中国の「宿題・学習塾禁止令」に触れた。もしエリート過剰生産を止めたいのなら、その裏で格差の縮小を進めないとマズいんではないかという話だが、一応中国は格差縮小を進める方向性は示しているようだ。習近平が最近になって唱えている
共同富裕 がそれで、要するに「中国の中流階級を拡大し、低所得者の収入を増やす」のが狙いらしい。
これまで中国では鄧小平が唱えた
「先富論」 を旗印に、「先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助ける」という方針で経済運営をしてきたそうだ。一種のトリクルダウン論だろう。実際、この原則に従って進めてきた改革開放によって中国は急速な経済成長を成し遂げ、
「象の背中」 に相当するグローバルな意味での中間層を富ませることに成功してきた。
ただしグローバルに見た新興国中間層は、中国内で見ればむしろ富裕層に近い。確かに彼らは成長できたが、置いていかれた者たちもいた。前にも紹介しているように
中国内では急速に格差が拡大しており 、例えばトップ10%の所得シェアは1980年代の30%前後から2010年代には40%超まで広がっている。資産についてはさらに変化が激しく、1990年代半ばまでトップ10%の持つ資産は全体の40%ほどだったのが、2010年代半ばには65%を超えた。資産の3分の2強を1割の人間が握っているわけだ。ちなみに米国でのこの数値は7割強であり、米国に次ぐくらいの資産格差が中国では生じている。
この数字だけ見ると、確かに格差をいかに縮小するかが課題になっているように見えるのは確かだ。それこそ米国が20世紀前半に成し遂げたような「第2次好感情の時代」をもたらすことができれば、この共同富裕も目標を達成したと言えるだろう。Peter Turchinは
Ages of Discord の中で、米国の最大の資産を持つ個人と労働者の平均賃金との格差を使ったInequality Indexという指標を算出している(
こちらの図 の点線)が、これを見ると実際に米国では大幅な格差縮小を達成できた。
「共同富裕」は言うなればこの米国での過去の成功をなぞろうとするものだろう。実際、これが達成できれば
大衆の困窮度(MMP) を引き下げ、PSIの上昇を抑制することが可能になると思われる。問題は中国がやろうとしている「共同富裕」でそれが達成できるかどうかだ。
共同富裕関連でよく見かける表現が
「三次分配」 。経済活動による富の分配を「第1次」、徴税など政府権力による分配を「第2次」、個人や団体が自発的な寄付などで富を第三者に分け与えることを「第3次分配」と呼ぶ、のだそうだ。実際、この話を共産党が言い出したとたん、
アリババが1兆7000億円相当を寄付などに投入する と報じられた。通常の経済活動や、税金などの公的システムを使わない仕組みで格差をなくそうということらしい。
もちろん中国共産党の言う「寄付」が、西側先進国で認識されている寄付と同じ意味だと思ってはいけないだろう。むしろ日本で言う
奉加帳方式 、いやそれよりも厳しい事実上の「強制的徴収」と考えてもいいのではないか。もしそうであれば、個人の善意に頼る寄付よりも強制的に分配を進めることは可能、なようにも見えなくもない。
だがここで問題となるのは建前上これが寄付であること。日本でウイルス対策の自粛を求めると、一部の人は自粛するが一部に自粛しない人が現れ、
負担の不公平性が顕になる 。同じく建前上は自発的に行う「寄付」を活用して事実上の強制再配分を進めれば、ほぼ確実に不公平な負担が課せられるだろう。
実際、中国が今行っているのは格差縮小というより、最初は芸能人などの有名人、続いて企業や金持ちを叩く動きだ。これを
「習版の文化大革命」 と呼ぶ向きもある。世界的に以前より結果の平等を重視すべきという見解が増えている印象はあるが、中国は明確に「左旋回」し、改めて社会主義へ向かおうとしているとの主張。ただし、さすがにこの見解は結論を急ぎすぎだと思う。
というのも、
こちらの記事 のように、今の動きが本当に格差是正を目指しているかについて疑問視する声もあるからだ。そもそも「中国では未だに相続税、不動産資産に課税する物権税(固定資産税)が整備されていない」そうで、つまり二次分配の方がまだ不十分。だがこれらの税金を導入すると不動産価格に大きな影響が及び、中国経済を不安定化させる懸念があるという。だから三次分配という聞きなれない方法に頼ろうとしているのだが、このような方法で本格的な格差是正を達成するには手段が不十分だろう。
むしろ本当の目的は、富裕層叩きを通じて庶民の支持を得ることではないか、とこの記事では書いている。要するに単なる習近平による政権延命策だ。その場合、結果の平等が達成できる確率は低い。一方で前にも書いた通り「エリート層を閉ざす」動きを強めるのなら、それは機会の平等を奪うことにつながるわけで、だとすれば中国がやろうとしているのは「機会」も「結果」も不平等な社会を目指す動きだ。社会の安定とは真逆の方向性を持つ、特定層の利益のみのために行なわれる収奪的な政治、と考えていいだろう。
そう考えると、今の富裕層叩きは、実は単なるエリート内競争の一種と見られる。
こちらの記事 では改革開放以降、共産党幹部と民間企業の創業者という「2つの富裕層」が出現したと指摘している。後者は新たなエリート志望者であり、それに対して中国は彼らを
displacement、つまり門前払い しようと取り組み始めているのかもしれない。今起きている事態は、あくまで過剰生産されたエリート内で内紛が始まっただけであり、困窮している大衆を助けようとする動きではない、ように見える。
さらにもう一つ、政府による監督が強まるほど、イノベーションの可能性が低下するという問題もある。特に火薬の歴史を調べていると痛感するのだが、少なくとも
イノベーションに関しては開発拠点の数が多いほど進展しやすい 。もちろん開発拠点の多さは激しい競争を通じて社会の不安定性にもつながるのだが、かといって安定性を重視するあまり拠点を減らす(国が独占する)とイノベーションは見事なまでに停滞する。火薬兵器の場合は戦争の多寡という要因もあったが、それと並んで無視してはいけないのは「国家の開発独占度合いが強いほどイノベーションが失われる」という全般的傾向だ。
実際、国家が強権的であると起きてしまう事象の1つが
こちらのニュース に表れている。お上が推奨する文化芸術を素直に奉じる消費者など、世の中には多くない。せっかく中国のコンテンツ力は
こちらの記事 にあるくらいには強まっていたというのに、中国政府は自ら金の卵を産む鶏を殺そうとしているかのように見える。
短期的には権威主義の強化によって安定がもたらされ、一見してやっていることが成功しているように見える場面もあるだろう。だが長い目で見れば、きちんと構造的な問題に取り組まない限り、表面的な安定は単なる問題先送りでしかないことが分かるだろう(Turchinの議論が正しいなら)。今のところ中国の動きは、
過去に何度も繰り返されてきたサイクル をなぞっているように見えてならない。
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