ショレの戦い ボーピュイ

 ショレの戦いについて、クレベールの次は前衛部隊を率いていたボーピュイの報告書だ。

「ボーピュイのレシェルへの報告
 おそらく午後1時頃、突然ある者が入ってきて反乱軍が銃の射程内まで接近してきたこと、そして森と前哨線の慌しい退却に乗じて一気に到着したことを伝えた。すぐに私はあなたへ支援を求める当番兵を送る一方、参謀副官ブロスに擲弾兵を連れて前進し、左翼の指揮を執り軍の側面に位置するよう命じた。そしてデュブルトンを予備にとどめた。最後にタルジュに対し、彼の能力に左翼を任せたと告げた。
 私が馬に乗るや否や彼らがボープレオー街道から前進してくるのが見えた。だが、既に擲弾兵は配置についていた。そこで私はヴェルジェ少佐の命令を受けた擲弾兵が極めて美しい射撃を実行するのを見て喜んだ。
 おそらく予想していなかった我々の抵抗に驚き、敵は通常の機動を開始した。彼らは我が戦線に多くの散兵を投じてきたが、窪んだ道路にいた主力を弱めるほど大勢ではなかった。私は軽砲兵を前進させるタイミングだと見たが、多くの破壊をもたらすと期待された彼らは、あまりにも不注意にエニシダを砲撃してしまい、巻き起こった煙が敵を隠した。砲兵から期待した効果全てを引き出すことができなかった私は予備の一部に対し、進軍し最初の発砲をするや否や白兵突撃をするよう合図した。彼らは移動を始め、私が望んでいたように左翼を障害物に拠りながら右翼を前進させた。しかし、彼らはすぐに立ち止まってしまった。この無為は敵の目的になることを避けられず、彼らは強化されより大胆になったことが分かった。
 数の不利と我が戦線の全域に行われた包囲攻撃にもかかわらず戦闘は続けられた。しかしこの明らかになった縦隊の姿は驚きをもたらした。私はこれがもたらす結果の影響を考え、その傍で状況を見たいと思ったが、その時、既に負傷していた私の乗馬が倒れた。私は一人きりであり、悲嘆と伴に徒歩のまま放り出された。フランク軍団の単なる猟騎兵であるユゴーが私に駆け寄り、下馬して私を馬に乗せた。私はこの縦隊のところに戻り、彼らがこれ以上前進しないであろうことは疑いなくなった。私は猟騎兵小隊のところに駆けつけ、指揮官に突撃するよう命じたが彼は動かなかった。私は彼を無視し猟騎兵に私についてくるよう命じた。彼らは前進したが、命令に反して撤収してしまい、敵の勇気は倍化した。
 しかし我が両翼は持ちこたえており、2個大隊の無気力さと、大勢のヴァンデ軍が荒地に溢れ返り始めたにもかかわらず、戦闘は続いていた。私はあなたに依頼していた新しいいくつかの大隊に期待して待っており、彼らの到着まで時間を稼いだが、その希望は無駄に終わった。敵の砲撃は倍化し、それが我が軍の側面へ移動しているとき、私の2頭目の乗馬が死んで倒れた。落馬でめまいに襲われながらも意識をしっかりさせようとしていたところ、敵の指揮官が叫ぶのが聞こえた。あいつを捕らえろ、あれは将軍だ、殺すな(1)。火事場の馬鹿力を発揮し、私は鞍の下に敷く布に引っかかった片方の拍車を残して何とか自由になった。それだけでも大変だったが、彼らはまだ私に迫っており、私は助かっていなかった。幸いなことに転倒した弾薬車があり、その下に逃れて敵を阻止し、そしてとうとう極めて有利な陣を占めていたエローの大隊に到達することができた。私は参謀副官ナットを見つけ、ショレに行って必要な準備を整え、敵が大挙してやって来るのを待つよう告げ、彼はそれを全て実行した。エローの部隊の射撃を強化するため再合流させた散兵は火力を倍化させ、私はすぐに敵の進軍が鈍くなり混乱の中後退するのを見ることができた。そこで私は叫んだ。戦友たちよ、次は我々の番だ。繰り返し叫ぶ必要はなく、すぐにヴァンデ軍は壊走した。我々は半時間彼らを追撃したが、彼らの数を甘く見ていた。パピニエールの荒地の池にたどりついたところでやっとブロスと私は少なくとも3000人の敵がいるのに気づいた。ああ、せめて25騎の騎兵がいればと嘆いたことは何度目だろうか! それだけいれば敵を切り伏せ、彼らを追撃している我らが志願兵の自由にできただろうに。この追撃において、私はたった1騎の猟騎兵しか持たなかった。にもかかわらず我々は敵を各個に攻撃したが、夜になり、私は進軍を止めムーランと呼ばれる素晴らしい陣地を占めることにした。
 敵の損害は莫大で、彼らは最良の指揮官たちを失った。デルベとボンシャンは致命傷を負った。彼らの大砲は全て奪われた。12門の大砲のうち、12ポンド砲が2門あった。
 我々にも悲しむべき多くの指揮官たちがいた。パトリ、アジュロン、ヴェルナンジュ少佐は戦死した。タルジュ、サン=ソーヴール及びトラヴォー大佐は重傷を負った。多くの士官たちが同じ運命を辿ったが、彼らの名はまだ私の下に届いていない。
 この日は、反乱軍に対して得た優勢だけでなく、一般的に各兵士たちの特段の行動によって記憶されるべき日である。彼らはまるで、自らの勇気に軍と7人の人民代表の安全がかかっていると言っていたかのように見えた。指揮官たちから最初の機会を奪ったものの、彼らは勝利に進むことに、陣地を守ることに、秩序を保って後退することに、同じく合流することに、そして敵に襲い掛かることに手慣れていた。16日の戦闘で幕僚が減っていたため、私は参謀副官1人と補佐官2人、ブロスの補佐官、そしてその勇気と意見が極めて有用であった市民ベルと伴に、少ない命令を出すことになった。
(1)軽砲兵を率いていたバリによると、彼のかつての学友であるラ=ロシュジャクランの声だった。(ボーピュイのメモ)」
Guerres des Vendeens et des Chouans contre la Republique francaise, Tome Deuxieme"http://books.google.com/books?id=35QFAAAAQAAJ" p268-271

 これまたクレベールの記録同様、個人的な経験に関する話が中心となっている。ボーピュイ個人の体験を知るうえでは参考になるが、ショレの戦いで前衛部隊が全体としてどういう動きをしていたのかは、やっぱり分かりにくい。それともう一つ、クレベールが自分の記録を書く上でボーピュイの報告書を参照していたことも窺える。
 ボーピュイはもう一つ、ショレの戦い後に行われたボープレオーまでの追撃戦についても短い報告を出している。

「ボーピュイからレシェルへの報告
 ボープレオーの奪取はショレの戦いを補完するものだった。我々が城館の前面に到着したのは真夜中の1時間後[10月18日]。有利な位置にある前哨線も、急を告げる砲声も、敵の抵抗を示していた。町の出口、橋の反対側に到着したところで、我々は散弾を詰めた大砲の一撃に迎えられた。掩蔽されてはいたものの、それは我々の進軍を鈍らせた。すぐ私はドラムを鳴らして突撃を命じたが、彼らは姿をくらました…。ブロスやサヴァリーと同様に下馬し、我々は全員、共和国万歳と叫びながらこの橋を駆け抜けたところ、その活発さに対し敵の砲手は砲撃することなく逃げ出した。
 ムーランにあった火薬、様々な種類の弾丸、小麦粉などが我々の獲物であり、我々が解放し共和国への賛美を止めなかった捕虜たちが我々への報奨だった」
Guerres des Vendeens et des Chouans contre la Republique francaise, Tome Deuxieme p273

 クレベールから頼られたボーピュイだったが、マルソーと同じ1796年に戦死している。どうもこの時期ヴァンデで戦っていた共和国側の軍人は、長生きできなかった奴が多いように思える。

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