伝言ゲーム 下

 前回は古い時代の火器の使用に関してTemlerの書いた内容が、その後の伝言ゲームによってどこまで変わってしまったかについて紹介した。まずはTemlerの文章に載っている1248年という年号とセビリャという地名(p168-169)から、彼が言ってもいない「13世紀のセビリャで火器が使われた」という話が出てきた。そう書いているのはDemmin(p71-72)なのだが、今度はそのDemminの本に出てくるアルベルトゥス・マグヌスの名前がまたもや伝言ゲームを招き、20世紀の書物ではこのアルベルトゥスがセビリャの火器について言及していることになってしまった(p2)。
 孫引きのうえに間違った引用をしている連中が相次いだ結果、200年も経たないうちに元ネタとはおよそ異なる話に様変わりしてしまったあたり、伝言ゲームの恐ろしさが窺える。伝言ゲームの結果、元ネタがどんどん改変された例については以前にも紹介したことがあるが、あのときは発言内容がずれていっただけなのに対し、今度の事例は事実そのものが捻じ曲げられているわけで、悪質度ではより高いと言える。
 だが話はここで終わりではない。前回紹介したのはTemler以後の伝言ゲームだったが、実はそれ以前にも同じような伝言ゲームが存在していたのだ。Temlerは伝言ゲームのスタート地点ではなく、あくまで中間点。彼以前において話のどこか捻じ曲がっていたのか、そしてそもそもこの逸話はどこまで遡れるのか、そのあたりを述べる。

 Temlerが紹介したチュニスとセビリャの王国による海戦の話は、実はGramという研究者の記述にあるもので、Temlerの文章はそれに対する反論である。Hans Gramは、PartingtonによればTemlerと同じデンマークの研究者であり(A History of Greek Fire and Gunpowder, p94)、そして実は彼の文章はTemlerの文章が載っている同じHistorische Abhandlungenの前の方にドイツ語訳が掲載されている(p110)。ざっくりとした抄訳は以下の通りだ。

「レオン司教のドン・ペドロ(中略)は、自身が記したアルフォンソ11世の年代記で、チュニス王とムーア人のセビリャ王との間で1330年以前に行なわれた海戦において、チュニス王が炎とともに轟音を響かせる長い筒の形をした鉄の機械を使った、と報告した」

 この本のオリジナル(デンマーク語版)は1745年に出版されている。該当部分は同書のp276にある。ドイツ語版が出たのはそれから40年近くも後のことだ。また1799年のドイツ語出版物にもこの話は紹介されており、やはりアルフォンソ11世の時代にレオンの司教ドン・ペドロが記した話だと書かれている(p361)。
 この話に対するTemlerの批判は妥当だ。アルフォンソ11世の治世、つまり14世紀前半の時代には、既にセビリャはキリスト教徒の手に落ちており、「ムーア人のセビリャ王」などは存在しなかった。セビリャにイスラムの王国(Taifa)があったのは11世紀の話であり、以後13世紀の前半まで、アル=アンダルスはモロッコのイスラム王朝に支配されていた。そして1248年にはカスティリア王国の手でセビリャは陥落している。14世紀前半のチュニスにはハフス朝が存在していたので、チュニス王国はあったと言えそうだが、セビリャ王はいなかった。

 だが残念ながらこのTemlerの反論は、実はあまり意味がなかった。そもそもGramの引用は間違っているからだ。Gramはこの海戦が14世紀に行なわれたと書いているが、きちんと元ネタを調べると、この出来事は11世紀後半から12世紀初頭の話であることが分かる。
 元ネタを書いたのは、16世紀の人物Pedro Mexia。彼のSilua de varia lecionにこの海戦が紹介されており(p31)、その内容についてはPartingtonが簡単にまとめている(p193)。Mexiaは火薬や大砲に関する簡単な歴史を紹介し、次にカスティリアによるアルヘシラス攻撃の話を、そしてさらに件の海戦について言及している。PartingtonはMexiaの書いたスペイン語も引用している、のだが、残念ながら彼もGramと同じ間違いを犯している。海戦が14世紀に行なわれた、と書いているのだ。
 だがMexiaはそんなことを書いていない。彼によればレオン司教ペドロが書いた年代記は「トレドを勝ち取ったドン=アルフォンソ王」のものだ。トレドをキリスト教の手に取り戻したカスティリアの王はアルフォンソ6世であり、彼の治世は1065~1109年である。またMexiaは該当部の末尾に「この出来事は400年以上前に起きた」と記している。16世紀半ばのMexiaの時代から400年以上遡れば、遅くとも12世紀半ばになる。14世紀にこの海戦が起きたという話は、Mexiaの記述とは一致していないのだ。
 GramやPartingtonが間違えた理由は、おそらく海戦について触れる直前にMexiaがアルフォンソ11世のアルヘシラス攻略に言及していたためだろう。確かにそこでは明白にAlonso el onzeno(アルフォンソ11世)と書かれている。で、その後になってもっと前の時代の話としてRey do Alonso(アルフォンソ王)について触れているのだが、GramやPartingtonはこの両者を同一人物だと早とちりしたと思われる。過ちは人の常というやつだ。
 だが間違いは間違い。よく読めば後者のアルフォンソ王についてはgano a toledo(トレドの勝者)とあるから、別人と分かるはず。実際、Gramと同時代である18世紀の書物では、このアルフォンソについて「トレドを征服した」(p198)と記しているし、19世紀前半に出版されたThe History of Spain and Portugalでは、レオン司教ペドロの記したアルフォンソ6世の年代記が12世紀のものだと書いている(xxxii)。結局のところGramが伝言ゲームでミスったのは事実だ。

 というわけでMexiaまで遡った伝言ゲームだが、そこからさらに過去に遡ることはできない。彼が引用したと主張しているレオン司教ペドロの年代記は、残念ながら信用に値しない史料らしい。
 アルフォンソ6世時代について記した年代記はいくつかあるようだが、知られているのはオビエドの司教ペラギウスの記したChronicon regum Legionensiumや、匿名の筆者が記したCronicas anonimas de Sahagunあたり。一方、レオン司教ペドロの年代記なるものは、現時点で存在していないようだ。
 アルフォンソ6世時代について書かれたOn the Origins of Crusading in the Peninsulaによれば、レオン司教ペドロという人物が実在していたのは間違いないようだ。彼は「まちがいなく国王の取り巻きの1人」(p259)であり、年代記を書ける立場にあったのは否定できない。だが彼が書いた年代記なるものへの言及は、遡っても16世紀半ば、つまりMexiaの時代にしか存在しない。もしペドロが年代記を書いていたのなら、その時期は11世紀末から12世紀初頭の時期だろうが、なのにそれから450年ほどの間、この年代記については誰も触れていないことになる。当然、普通に考えてこの年代記は偽書と判断される。
 一応この文章では、ペドロが記した年代記が存在していた可能性までは否定していない。また上にも書いた通り11世紀には確かにセビリャに王国が存在したし、チュニスにはフラサン朝と呼ばれる小規模なイスラム王朝が存在していた。後者は交易で栄えていたそうなので、海戦に絡んでいた可能性もゼロではない。だが、いくら辻褄が合うと言っても、同時代人が書いたかどうか疑わしい文章を基にこの海戦があったと主張するのは軽率に過ぎるだろう。そして、既に火器が当たり前に存在していた16世紀半ば以降に初めて言及されるようになった文章の中に、火器らしきものが登場するのはおかしくない。
 つまり伝言ゲームのスタート地点は、レオン司教ペドロではなく、後の世の誰かがでっち上げた偽書であると考えた方が安全なのだ。そもそも出発点からして胡散臭い話が、その後さらに何度も捻じ曲げられて今の姿になった、というのが今回の件だろう。最初から最後まで残念な伝言ゲームだった。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント