今回は敢えて極論を展開してみよう。「成長戦略」なるものは欺瞞である、という議論だ。
経済成長の核となるのはイノベーションである、という見解に異論はない。人類の歴史上で最も大きな経済成長がもたらされた2つの「イノベーション」は、農業革命と産業革命だ。この2回のイベントを機に人口(最も分かりやすい成長のメルクマール)が急増したのは確かであり、イノベーションによって成長がもたらされた確実な証拠と言える。
でもここまで大きな成長をもたらしたイノベーションは、逆にこの2回しかなかったとも言える。人類の歴史どころか地球の歴史を振り返っても、進化ではなくイノベーションによって大規模な成長が達成されたのは45億年の歴史の中でそれだけ。トフラーは情報革命が「第3の波」になるとかつて予想したが、実際に導入された情報技術はといえば、スマホが可処分時間を奪って成長しているのを見ても分かる通り、市場自体を生み出すのではなく他の市場を奪う技術にすぎないことが分かりつつある。
もちろん個別のイノベーションによって一部の市場が成長を遂げるケースは今でもあるし、今後も起こり得る。だが今の市場全体を作り出しているのは結局のところ産業革命以来の技術であり、そしてそうした技術は時とともに収穫逓減に見舞われる。
Tainterの言う通りだ。そして日本をはじめとした先進諸国などは既に収穫逓減に見舞われている。その分かりやすい指標となっているのが
都市化。この数値は全世界で5割を超え、今や世界中がこの収穫逓減の流れに巻き込まれつつある。
では成長を生み出すようなイノベーションはどうやれば達成できるのだろうか。おそらくは偶然、と言って悪ければ確率的な事象だ。
戦争技術がそうであったようにイノベーションはヒトの脳から生み出されるのであり、従って脳の数が多いほど新たなイノベーションが生まれる確率は高まる。とはいえ高まるのは確率だけであり、ヒトの脳に投資すれば必ず結果が生まれるわけではない。ある国の政府がイノベーションを生み出して成長につなげたいと思っても、できることと言えばイノベーション向けの予算をできるだけ積み上げたうえで、後は天に祈る。これだけの金額を投資すれば必ず成長をもたらすイノベーションが生まれる、という保証はない。
つまり政府(エリート)は分配はコントロールできるが、成長はコントロールできないのだ。エリートが旗を振れば技術革新が起きて経済のパイが増える、などという都合のいい事態は滅多に起きない。逆に政府が何もしない方がイノベーションが起きやすいとも限らない。せいぜいできるのは、金額が大きいほどイノベーションが生まれる確率が上がるという想定くらい。もちろん確率なので、結果的にはでかい額を投入しても何も生まれないケースだってある。結局のところイノベーションにはどうしても運が絡んでくるし、運は人間にはコントロールできない。
イノベーションは経済成長を生み出す。だが新たな技術は時とともにやがては収穫逓減に見舞われるようになり、マルサスの天井に近づけば成長は止まる。その時に新たな成長のタネとなるイノベーションが生まれればいいが、残念ながらイノベーションは運任せである。もう分かるだろう。新たな「成長戦略」なるものを立案して実行しようとするのは、「宝くじを必ず当てます」と言っているのと同じなのだ。信用する方がどうかしている。
にもかかわらず多くのエリートが成長戦略を唱えるのは、また多くの国民が成長戦略を求めるのはなぜか。政府にそうする能力があると信じている人もいるだろうが、そうではなく「それが一番摩擦の少ない方法」なので無理と分かって唱えている人が結構いるんじゃなかろうか、と私は思う。
成長戦略が成り立たない場合はどうするか。パイの分け方を変えるしかないんだが、この方法はどうやってもトラブルにつながる。自由放任で取り合いをさせれば、勝者総取りとなって格差が拡大する。逆にパイの分け前を予め決める方法もあるが、自由競争の結果ではないため自分の仕事に比べてパイの分け前が不正に少ないという不満は必ず生まれる。パイを大きくできるという「幻想」を振りまいておき、人々がそれに騙されてくれるのを祈るのが、エリートとしては最も都合のいい方法なのだ。短期的には。
でもいくら「成長戦略」を立てても実際に成長できるわけではないから、長期的にはおそらく破綻は避けられない。Turchinらの言う通り、
PSIが上昇すればどこかでそのツケを払う必要があるんだろう。たまったツケが大きいほど破綻時のトラブルは大きくなる。逆に小規模な破綻を繰り返せば、社会がひっくり返るような大事にはならない可能性がある。合法的な政権交代を可能にする民主主義という仕組みにメリットがあるとしたら、後者のようなルートに進みやすい点だろうか。
もちろん最初に書いた通り、上の文章は極論だ。実際には成立する「成長戦略」はある。
他人の猿真似という方法だ。他者のイノベーションを丸ごと真似てしまえば、それをテコに成長をもたらすことは可能。実際に20世紀末頃から中国はこの方法で経済成長を成し遂げたし、その前には日本が西洋の真似によって経済的な離陸を達成した。上手くやっている他人を真似るのは、もしかしたらヒトがここまで発展してきた最大の原動力かもしれない。
でもこの方法だと、真似に成功した後の成長が期待できない。次の成功のタネ、イノベーションのタネは自力で探さなければならず、結局上で指摘したように「宝くじを当てる」しかなくなる。これまで真似することで高成長を達成してきた中国だが、実は既に2018年から人口減が始まっており、
今の人口は公式に言われている14.1億人ではなく12.8億人だと主張する研究者もいる。もしこれが事実なら中国は新しい「成長戦略」を生み出さねばならないのだが、それが簡単確実にできれば誰も苦労しない。
ならばどうするか。
こちらのツイートに出てくる「宿題・学習塾禁止令」は、成長ではなく「パイの分け前を予め決めておく」政策だ。エリートになれる人間の数に上限を設けるこの政策は、リツイートで触れられているようにTurchinの唱える「エリート過剰生産への対応」と言える。存分に取れるだけのパイがないのなら、パイ取りに参加できる数を絞ればいいじゃないか、という理屈だ。
でもこれは、短期的にはともかく中長期的には中国にとって致命傷になりかねない政策に思える。同じ政策は過去にローマ共和国や中世のヴェネツィア、
革命前のフランスなどで採用されていた。エリートが志望者に対して門戸を閉ざし、閉鎖的なエリート階級を作り上げることで社会の安定化を図ろうとする策なのだ。でも、ローマやフランスでその後に起きたのは、壮絶な内乱だったり革命だった。
前に
こちらのエントリーで紹介した英文blogの日本語訳が
こちらにあったのだが、それを見ても中国でPSIが次第に上昇傾向を見せているのは事実。中国としては、エリートの門戸を閉ざせばEMPを下げられるという発想かもしれない。でも格差を放置したままだと子供の将来を案じた両親が一段と教育に必死になり、競争の低年齢化と両親の疲労困憊が加速するだけだろう。そのうえでエリートから弾かれた親子の不満がさらに積もるようになれば、この施策はむしろPSIを引き上げる方向に働きかねない。
建前としての機会の平等を奪うのなら、結果の平等で穴埋めする必要がある。中国が再び徹底した共産主義に向かうのならともかく、市場経済を維持しながら機会の平等を奪おうとするのは、あまりに近視眼的で身勝手すぎるように見える。正直、結果がどうなるか社会実験としてとても面白そう、もとい、心配である。
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