「火紐」

 これまでも幾度か取り上げてきた火縄の話で、新しいものを見つけたので言及しておこう。15世紀初頭にドイツで成立したと見られている書物の中に、関連する記述があったというものだ。Geoff Smithという人物が書いたA Commentary on the Firework Bookで紹介されていたのだが、2001年に英訳が出たFeuerwerkbuchの中に、火縄と思われる記述があるという。
 SmithによるとMatch cordに関する記述は複数個所あるという。ただしそのうち1つは火縄(slow match)というより導火線(quick-match)に関する説明だそうだ。確かにそこで紹介されているMatch cordの作り方を見ると、硫黄を溶かして硝石と木炭をかき混ぜるとある。黒色火薬と同じ成分を使ってMatch cordを作るのは、まさに導火線の作り方と同じ。ただし何のために導火線を作るかについては、この史料には記述がないそうで、初心者向け解説書ではなく専門家向けの心覚え用に書かれたのではないかとSmithは推測している。ちなみに導火線を作る理由は、大砲のタッチホールに導火線を入れて点火に使うためだそうだ。
 一方、火縄の方についてはSmithはあまり詳しく触れていない。この史料では火縄について、蝋と松脂を使って延焼速度をかなり遅らせているという話が脚注23に載っているだけだ。また上に紹介した英訳本は全体を見ることはできず、具体的にどう書いてあるかは不明。というわけで英語経由ではなく、直接ドイツ語からネタ元を探しに行くのがいいだろう。具体的にはFeuerwerkbuchというサイトを活用する。

 サイト自体はシンプルなつくりだが、そこからリンクが貼ってある4つのpdfファイルが役に立つ。といっても1つはこの研究に関する序文、もう1つはいわば「目次」で、3つ目は中世ドイツ語の綴りを現代風に書き直したものと、いずれもかなり専門的。少なくともこの場では使うことはない。最も役立つのは、中世ドイツ語を現代ドイツ語に翻訳したFWB-Neu.pdfというファイルになる。ここからMatch cordに関する部分を抜き出してみよう。上の英文で紹介した導火線の記述は(152)にある。
 次にMatch cord絡みの記述が出てくるのは(216)だ。それによると松脂1、蝋1、硝石2、モミの木の木炭4分の1の割合で作った材料に長い紐を通してMatch cordを作る。読めば分かる通り、一般的な火縄の作り方(硝石を溶かした水に縄をつける)とはかなり違うし、硫黄こそないが硝石以外にも木炭が材料の中に含まれている。
 おまけにこのMatch cordを作る目的のところには「火を隠しておいたうえで、2日、3日、4日後に点火したいのなら」この方法を使えと書かれている。鐘の音に合わせ1時間に燃える長さを測り、それに合わせて長いMatch cordを作成。それを棒の周りに巻き付けておけば、均等に燃えて期待した時間に点火できる、という理屈だ。何のことはない、要するにこれも導火線の作り方を記している文章なのだ。確かにSmithが言うようにこれはSlow、つまりゆっくりと燃えるMatchではあるが、火縄かと言われると「使い方が違う」という答えになる。
 もちろん理屈の上では、こうやって作ったものを火縄のように使うことは可能だっただろう。要は持ち運びしやすい火種であればいいわけで、数日間にわたって消えることのない火種になるのなら、火縄的に使用された可能性はある。ただそうした使い方についての言及はここにはないし、加えてその次の項目を見ると、まさに火縄に求められていたような使用法を想定したものの作り方が載っているのだ。むしろそちらの方が火縄に近い存在と言えるかもしれない。
 (217)を見ると「丸一日、あるいは昼夜の半分の間、あまり手間をかけずに火を運ぶ」ためにどうするべきかが書かれている。曰く「池や湿地に生えているような大きなイグサを取り、硝石を入れた良質のワインでこれを煮込み、煮立ったら取り出す。イグサを天日で乾かし、青い外皮をはぎ取る」。こうして作ったイグサ(灯心草とも呼ばれ、茎の髄が灯心として使われていた)に火種から火を移せば、1スパン(親指の先から小指の先の長さ)のイグサで1マイル先まで火を運べる、というのがこの項目の指摘だ。
 確かにこれは「縄」ではない。イグサの茎をそのまま火縄化したものであり、むしろ「火紐」とでも呼んだ方がまだ通じるだろう。だがこの史料によれば、イグサに灯した火を最終的には導火線(Schwefelkerze)に移し、点火せよとある。取り回しのいい火種を使い、火器の点火に使用するという意味で、この加工したイグサは火縄と使い方が似ているし、また硝石を入れた液体で煮込むという製作法も現在の火縄作りの方法とほぼ一致している。
 以前、こちらのエントリーで欧州の火縄について述べた際には、古いもので15~16世紀のものとみられる火縄が残っているらしいと紹介した。一方、今回取り上げたFeuerwerkbuchは成立時期が15世紀初頭、一部の文章については14世紀末頃に既に書かれていたのではないかとする説もあるそうだ(The Firework Book, p190)。欧州において火縄の存在時期が1400年前後まで遡ることを示す史料、と言えるかもしれない。

 ただ、そこからどこまで遡れるかというと、これまた話は簡単ではない。Feuerwerkbuchを見る限り、1400年前後の時点で「火紐」はあっても「火縄」はなかった、と解釈することも可能であり、だとしたらそれ以前に火縄があった可能性はかなり乏しくなる。上に紹介した昔のエントリーでは、海外の掲示板に載っている話を元に、欧州に火器が伝わった当初から火縄が使われていたという主張を紹介したが、根拠となっているのがMilemeteの図像であり、そして図像というのは見方によっていろいろと解釈が変わる余地がある。
 一方、こちらのエントリーでも指摘しているが、1232年に金軍が飛火槍を使用した際に、兵士たちはそれぞれ「火を蔵した小さい鉄缶」を持ち運んでいたと史料には書かれている。そのような形で火種を持ち運ばなければならなかったということは、より容易に扱える道具(つまり火縄)が存在しなかった可能性を示している。
 Smithは火器への点火法として、当時のイングランドに残されていた史料から2つの手法があったことを紹介している。1つはLanternis、つまり「戦闘用ランタン」に火をともし、それを点火用に使っていたというもの。こちらは主に海上戦闘において使われていたそうだが、クレシーの戦いについて書いたエントリーの中で紹介したあるマンガでは、陸戦で兵士たちが左手にランタンを持っている。おそらくこのLanternisに関する史料に基づいた描写だろう。
 もう一つはPatelli de ferro vocate firpannesだ。鉄製の皿のうえで火を燃やし、そこに金属製の棒を入れて赤くなるまで熱する。これをタッチホールに押し付ければ火薬に点火されるという方法。この「点火鉄」についてはこちらでも触れている通り、14世紀を通じて様々な史料に登場する。皿のうえで炎が燃え盛っている中世図像も存在するし、そういった点火方法が存在していたのは間違いないと思われる。
 となると、結論は以下のように考えられる。中国から西欧に火器が伝播した時点で、火縄は存在しなかった。中国から伝わったのは鉄缶に火種を入れて持ち運ぶ方法や、その前の武經總要の頃から使われていた「焼いた錐」を刺す方法であった。欧州ではそれぞれランタン、点火鉄という方法でそれが使われ続けた一方、1400年頃にはより簡便に火種を持ち運ぶ方法として「火紐」が発明された、のかもしれない。15世紀以降になるとこの方法が広く使われるようになり、最終的にはアルケブスの発明につながった。
 もちろん、この説明には異論もあるだろう。アラビア語文献にあるイクリーフについてはどう解釈すべきなのか、またハンドゴンのような手持ち式の武器にはどうやって点火したのかなど、疑問点もいくつかある。正直、この火縄問題についてはすっきりとした回答を得るのは難しいように思われる。見つけた史料を少しずつでもいいから積み上げ、何があったのかを想像していくしかない。
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