もののけ姫の火器 補遺

 最近「もののけ姫」が地上波で放送されていた。これで何度目の放送になるのかは知らないが、四半世紀も前の作品としてはすごい人気なのは間違いないだろう。SNSでも言及が多かったし、公式ツイッターのQ&A企画にもたくさんの問い合わせが来ていたようだ。
 この作品については以前、登場する火器について紹介したことがある。一応、時代想定として15世紀の後半から16世紀初頭あたりではないかとしたうえで書いたのだが、先のQ&Aにも載っていた裏設定を見ると、この想定には少し問題があることが判明した。
 それによると主要な登場人物の1人であるエボシは「倭寇の親玉の女房になり、腕を磨いて、男を殺して財宝を奪い、戻ってきた」のだそうだ。もしこの裏設定が事実だとした場合、15世紀後半から16世紀初頭という時代設定は成立しづらくなる。その時期には倭寇の活動はかなり停滞していたためだ。
 倭寇の活発な活動時期は前期と後期に分けられる。このうち前期の活動は1419年の応永の外寇と同年の望海堝の戦い以降、衰えを見せたという。だが1523年の寧波争貢事件をきっかけに、再び倭寇の活動は勢いを増した(後期倭寇)。よく言われている通り、後期倭寇は大半が中国人だったそうだ。
 見ての通り、15世紀後半は倭寇の勢いが衰退していた時期であり、そのタイミングで裏設定とはいえ「倭寇の頭目の妻」だった人物が出てくるのは、いささか違和感があるだろう。タタラ場はできてあまり時間が経っていないという設定もあるそうなので、エボシが倭寇の頭目を殺してから少し後の時代だと考えれば、やはり15世紀後半は難しい。映画の舞台となった時期は、明の成立から前期倭寇の衰退直後まで(1368年から1420年代あたりまで?)、あるいは後期倭寇の活動活発化から鉄砲伝来まで(1523年から1543年まで)のいずれかと考えた方がいいだろう。
 前者の場合、日本国内にどの程度、火薬兵器が広まっていたのかという問題がある。こちらで紹介した資料には、1418年に対馬に火薬兵器があったこと、また朝鮮の外交官であった李藝が活躍していた時代(15世紀初頭)に火薬の製造法が日本に伝わったが、作られた火薬は質の悪いものだったと書かれている。エボシの時代が前期倭寇の時代だったとしたら、このあたりの記述との整合性が問題になりそう。
 特に気になるのは、映画に出てくる「石火矢衆」が実際には師匠連(おそらくは天朝の関係者)の配下にあった点だ。エボシが倭寇から引き抜いてきた連中(外国人含む)、という設定ならまだ何とかなると思うが、日本政府のトップお抱えの技術者だとした場合、この時点であれだけ十分な火薬を提供できるようなノウハウを持っていたと考えるのは難しくなる。
 それ以外に15世紀前半で火薬兵器の国内での存在を示す史料としては、1445年または46年成立の壒嚢鈔に出てくる「てつはう」がある。ただしこちらは紙砲と並んで示されている通り、映画に出てくるような火銃ではなく火槍を示す可能性がある。それに時期も前期倭寇の活動収束から時間が経ちすぎている。火器もしくはeruptorを示すのではないかと思われる兵器について記した蔭涼軒日録の記録は15世紀後半のものであり、前期倭寇からはさらに時代が離れる。史実との整合性を重視するなら、前期倭寇説はなかなか成り立ちにくいのではなかろうか。
 一方、後期倭寇ならそうした問題はほとんどない。想定される期間はしごく短い(たった20年)が、古土法のような火薬製造法が以前よりは洗練されていた可能性はあるし、江戸時代の史料によればこの時期には東国にも火薬兵器が広まっていたもののけ姫の舞台は中国地方だそうで、この地ではポルトガル人による鉄砲伝来の前に銃を使った戦いが行われたとの記録もある。
 この場合、映画の舞台は1530年代前後となる。織田信長が生まれたあたりの頃だろう。室町時代中期ではなく、もはや末期に近い時期だが、戦乱が当たり前になっていたという点では映画の様子とそれほど違和感はない。ただしあくまで火薬兵器について辻褄を合わせただけなので、他の映画内描写と矛盾をきたしている可能性はある。

 舞台設定が16世紀前半に後ずれすることで、映画の火薬兵器についてもう1つ考える必要が出てくる。オーパーツだった後装式の石火矢についてだ。明史には中国が後装式の佛郎機砲を作り始めたのが1529年からと書かれている。だがAndradeは、佛郎機砲の導入が実際はもっと早く、1510年までには広東の海賊たちが既に佛郎機を使っていたとの説を紹介している(The Gunpowder Age, p141)。東南アジア経由でのインド洋との交易を通じ、16世紀のごく初期には後装式の武器に関する知識が東アジアまで伝わっていたわけだ。
 だとすると倭寇にいたことがあるエボシが、1530年代前後に後装式の火器についての知識を持っていてもおかしくなくなる。前にこの武器をオーパーツだと指摘した際は、映画の時期が15世紀後半だと考えていたため、佛郎機の知識を手に入れるのは難しいと判断した。だが時期がもっと遅く、鉄砲伝来の直前まで下るのであれば、エボシがその知識をもとに製造を命じることも不可能ではないだろう。もちろん据え置き式である佛郎機と手持ち式である火銃とは一緒にはできないが、アイデアをゼロから思いつく必要はなくなる。
 次はいかにもスナップ式マッチロックっぽい点火機構についてだ。こちらで紹介したように、欧州でスナップ式は16世紀初頭から半ばまで使われたようだ。アジアではポルトガルがマラッカとゴアに置いていた生産拠点でこれらが製造されたそうで、この両拠点は1510年頃にポルトガルの手に落ちた。そしてWestern Cannons in China in the 16th-17th Centuriesでは、中国にアルケブスが到来したのは1523年だとしている(ただし明史によると同年に明が手に入れたのはあくまで佛郎機とされている)。
 このアルケブスがアジアにあるポルトガル植民地で製造されたスナップ式マッチロックであれば、ここでエボシとつながる可能性が出てくる。1523年といえば上に書いた通り、後期倭寇の活躍が始まった時期であり、エボシが倭寇の頭目の妻となったのがそれより後だとすれば、そうした知識を持ってタタラ場を作ることもできるわけだ。後装式にスナップ式マッチロックを組み合わせたものを作るよう、金属加工技術を持つ者たちに命じたのかもしれない。あるいは映画に出てくるハンセン病患者の中に、かつてエボシとともに倭寇に属して武器を取り扱っていた技術者がいるのかもしれない。
 だとすると残る問題は1つ。後装式の石火矢はどのような素材で作られていたのかだ。記録上で最初に対馬に伝わった火器は、中国が製造したおそらく鋳鉄製の火器だった。しかし当時の日本には鋳鉄技術はおそらくほとんどなく、その方法で製造したとは考え難い。一方でたたら製鉄を行っていた集落で製造されたのだから、鍛鉄で製造するのは可能だっただろう。
 西洋タイプのマッチロックが伝わっていたのなら、鍛鉄で火器を作るという発想もおそらく伝来していたと思われる。そう考えると、映画に出てきた後装式の石火矢の形状が、中国の昔ながらの火銃よりも、西洋のアルケブスと形状が似ていた理由も想像できる。鍛鉄の板を丸めて筒状の銃身を作り、そのうえで銃尾に後装とマッチロック機構を取り付けたのだろう。

 以上、もののけ姫の裏設定を付け加えたうえで改めて解釈しなおしてみた。結果、当初の想定より時代が後にずれた一方、ロマン兵器だったものの実現可能性が高まった。つまり、あの映画に出てきた各種の火薬兵器は、実在したか実在の可能性がそれなりにあったもの、という結論になる。もちろんこうした想定が正しい、などと主張するつもりはない。そもそもフィクションなのだから、今回の想定も含めて基本は嘘八百である。でもまあこうした想像を巡らせることでいい暇つぶしになったのなら、それはいいフィクションと呼べるだろう。
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