最悪の予感

 マイケル・ルイスの新作「最悪の予感」読了。彼の本はそんなにたくさん読んでいるわけではないが、今回の話は面白かった。いや、ノンフィクションを「面白い」かどうかで判断するのは原則としてよろしくないのだが、面白かったのは事実である。おそらくは「機能不全の政府」ではなく「異端のヒーローたち」に焦点を当てることで、面白さを確保したのだろう。ルイス自身も商売でやっているのであり、売るためには面白くする必要があったのではなかろうか。
 内容についてはいくつ書評が出ているので、そちらを参考してもらうのがいい。書評でも言われている通り、これは失敗の原因を探った本ではなく、あくまで「ヒーロー」を描いた本だ。だからこれを読んでも、なぜ物事がうまく進まなかったのか、Covid-19が拡大する直前の2019年10月に「パンデミックに対する準備がどのくらいできているか」で世界ランキングトップとなった米国が、なぜ世界最多の感染者、死者を出すに至ったのかについての詳細はわからない。
 だから、この本を何かの役に立てようと思って読んでも、実はあまり使いどころがないように思える。一般論として「失敗に学ぶ」とは言えるだろうが、では例えば組織の運営に役立つ知識を得たいと思ってこの本を読んだらどうだろうか。非常時には異端のヒーローが必要になる、ということはわかるが、ではその異端のヒーローを普段はどう扱えばいいのかというヒントが与えられているかというと、そういうわけでもない。そもそもこの本で取り上げられているヒーローたちは、感染症の急拡大という事態に対しては有能だが、違うタイプの非常時にも同じように役立つわけではないだろう。その時は違う能力を持つヒーローを探しに行かなければならないのかもしれないが、どうやって探し出せばいいのかついてそもそも決まった方法があるようにも見えない。
 逆にこうした才能を持っている人間が、自分の力をどう組織の中で生かすかを知るうえでこの本が役立つのかというと、やはりそうはいかない。そもそもCovid-19対策で米国はひどい失敗例であり、ヒーローたちは活躍できなかった。いやそれどころか、本の終盤では昔の話として組織を動かした「ヒーロー」が、むしろその行為に対して後から批判を受け地位を失った事実が書かれているほど。正直、この本を読んでも「被害が広まり誰もが対策に異論がなくなるのを待って動き出す以外に対応策はないのでは」と思いたくなるくらいだ。
 危機に対処するために、組織には冗長性が必要である。異端のヒーローを平常時から抱え込んでおくことが求められる。だが危機が起きなかった場合、ヒーローは単なるお荷物になる可能性もある。限界利益が逓減している今の世の中では、そうした無駄を抱えることは罪悪だとみられ、効率性を求める動きに押されがちとなる。両者の適切なバランスが必要なのだが、どこが最も適切なバランスなのかは、おそらく誰にもわからない。もちろんこの本を読んでも明確な答えは示されていない。
 つまるところこの本自体は、ノンフィクションであるが実生活で役立てるよりもエンタメとして消費するのに向いた書物、のように見える。別にノンフィクションが常に何らかの役に立つ本である必要はないし、エンタメとして消費されること自体が悪いわけでもない。ヒーローが手をこまねいて失敗の傍観者になってしまうという事態は、おそらく現実にもよくあるし、フィクションとしても存在しているだろう。その意味ではルイスはなかなかうまい切り口で本を仕上げたものだと思う。ノンフィクションでありながらエンタメのように消費できる本、というジャンルにおける、現在の第一人者と言えそうだ。

 ところでこの本ではCDC(米疾病予防管理センター)の無能っぷりがこれでもかと書かれている。非常に官僚的で、リスク回避しか考えておらず、疾病の予防よりも論文執筆に役立つ情報収集を優先しているかのような組織になっており、なおかつブラックホールのように情報を収集するが外には出さない。一応、最後の方にかつてのCDCはもっと疾病予防という本業にきちんと取り組んでいたのだが、ワクチンを巡る批判やトップが政治任命に変わったことなどを理由に変化したとの説明は載っている。
 実際、Covid-19の急拡大過程でCDCの存在感は極めて希薄だった印象がある。ほんの少し前までCDCといえば防疫の最前線にいるプロフェッショナル集団と世間的には見られていたし、有名なこちらのボードゲームでプレイヤーが最初に米アトランタにいるのも、CDCがアトランタにあるからだ。だが今回のパンデミックにおいて米国で最も目立った専門家であるファウチは、国立アレルギー・感染症研究所の所長だ。いろいろな理由から評判を落としたWHOほどではないかもしれないが、CDCも「化けの皮がはがれた」一例と言える。
 CDCが何もできなかった理由が、この本に書かれているような過去の経緯(インフルエンザの感染拡大に備えた大規模なワクチン接種に際し、その副作用が問題視された)に由来するものだとしたら、その原因が1970年代まで遡るのが興味深い。実はこの頃から米国政府内で専門家がトップを務める組織が減り、政治任用されるポジションが増えていったという。CDCもワクチンを巡るトラブルを口実に政治家が手を突っ込める組織になった、ということだろう。
 1970年代といえば、以前から書いている通り、米国ではそれまでの永年サイクルが逆転し、統合サイクルから解体サイクルへとシフトした時期である。実はこの頃からエリート過剰生産が始まり、それに対応するため政治の側がエリート用のポスト確保に向けて動き出した可能性はないだろうか。CDCのワクチントラブルは、政治家がテクノクラートから地位を奪うのに絶好の機会であり、彼らはそれを使って自分たちの支持者を増やそうとした、のかもしれない。
 もちろん、この問題は一長一短がある。テクノクラートに任せれば専門知識や対応策については安心感が持てるかもしれないが、民主的なコントロールが効いているかどうかが確認できなくなる。フランス革命時には軍人という専門職にどこまで政治家が手を突っ込むかが問題になったが、手を突っ込むうえでの論拠となったのが、まさに専門家に対するコントロールの必要性だ。医療分野であっても政治任命をトップに置くことで、その組織が暴走しないよう牽制するメリットがあると言われれば、一理あるのは確かだ。
 だが一方、この本でも指摘されているように、政治任命が中心になるとトップは短期間で交代するようになる。1970年代には10年以上CDCのトップを務める人材もいたが、21世紀以降は10年未満ばかりとなり、トランプ政権下では何人ものトップがほんの数ヶ月で首をすげ替えられた。当然ながら彼らは仕事に慣れる時間もなく、組織の力を統合して発揮させるような手腕を示す時間もなかった。CDCがリスクを取り、総力を挙げて機能を発揮しなければならない時に、そうした体制が存在していなかったわけだ。
 組織のゼロリスク志向によって機能が弱体化するという問題について言えば、米国の状況は対岸の火事ではない。例えば日本の場合、10年以上前に新型インフルエンザの影響を踏まえてワクチンの開発促進や感染症対策のための体制充実を求める報告書がまとめられている。だが足元ではそもそも自国内でのワクチン開発が完全に後れを取っているなど、こうした報告書が生かされた様子はない。もっと問題なのはこちらで指摘されている「アストラゼネカのワクチンを承認したのに2ヶ月半もその使用を棚上げした」事例だろう。もし指摘の通りなら、ワクチン忌避に配慮した政府の及び腰なスタンスが、政府機関の機能不全をもたらしている一例となる。
 足元ではデルタ株の急増により、日本も含む世界各地でまたもや感染者が急増している。専門家によるとデルタ株の基本再生産数はかなり高いそうで、「8割削減」でも感染者数が減らない可能性すらあるという。さらに英の科学者は「ワクチンの効かない変異株の出現はほぼ確実」と見ており、ワクチン接種率が高まってもCovid-19問題が収束に向かうとは限らないとの見方を示している。実際、米マサチューセッツで発生したクラスターのうち7割以上がワクチン接種完了者だったという事例も出てきている。
 要するにこれからもまだ感染症対策のために政府機関はその機能を十分に発揮し続けなければならない可能性があるわけだ。だが現実にはCovid-19対策を政争の具にしたがる人間が多数おり、それを恐れた政治家がますますリスク回避に傾いているように見える。不和の時代ならではの現象だし、もしかしたらそれこそがパンデミックを広げる原因の1つになっているのかもしれないが、それにしても先行きの見通しはあまりよろしくない。
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