マインツ部隊

 昨日紹介した本のうち、Jean-Julien-Michel Savaryの記したGuerres des Vendeens et des Chouans contre la Republique francaise, Tome Deuxieme"http://books.google.com/books?id=35QFAAAAQAAJ"のp230-235に、1793年10月8日時点でのマインツ部隊の戦闘序列が載っていた。残念ながらショレの戦いに参加したマルソー麾下のリュソン縦隊などは含まれていないものの、これはこれで非常に参考になる。
 部隊構成は前衛と第1、第2師団、及び予備から成っている。呆れたことに准将以上の階級者が一人もいない。一応レシェルが指揮官だった筈だが、この本では事実上の指揮官であったクレベールの名のみを記している。単なる参謀副官が師団(名前だけで実質は旅団以下)を率いる例もあるなど、かなり無茶な指揮系統が窺える興味深い史料だ。
 所属部隊の中身を見ると、常備軍、県名を冠した志願兵部隊、それ以外の志願兵部隊の3種類が存在することが分かる。砲兵は中身があまり詳しく書かれていないが、おそらくArtillerie Volanteというやつが志願兵で、それ以外はよく分からないが多分常備軍だろう。騎兵部隊もほんの僅かながら存在する。
 10月8日時点でマインツ部隊に所属しているのは士官657人、兵1万4235人の計1万4892人。ただし、兵のうち4498人(全体の約30%)は病院に入っており、実働人員は1万394人に限られてしまう。国内の戦争でもこれだけの兵士が病院送りになっているというあたり、当時の兵士を巡る衛生状態がどれだけ悪かったか想像できるというものだ。
 実働のうち、志願兵と見られる部隊は計6765人、常備軍の兵は3629人。志願兵の割合が約65%とほぼ3分の2を占めている。アマルガム"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/amalgam.html"との関連を考えるのなら、この比率はありがちな構成だったのかもしれない。志願兵のうち、県名を冠した部隊所属が5315人(全兵力の約51%)、それ以外の部隊(共和国の友とかフランク人軍団とか、変な名前の部隊がいくつかある)は1450人、約14%だ。
 兵科構成では圧倒的に歩兵が多く、9691人で約93%を占めている。県名を冠した部隊所属の志願兵は全て歩兵、その他の志願兵も94%、常備兵は81%となっており、かき集められた志願兵を歩兵として戦場へ投入した様子が窺える。歩兵の大半は戦列歩兵。軽歩兵は全部で4個部隊764人(全て志願兵)、擲弾兵も4個部隊1593人(全て常備兵)に限られている。常備兵は半数以上が擲弾兵で構成されているとも言える。クレベールはショレの戦いの記録で、軽歩兵部隊の指揮官全てが失われたことを嘆いており、こうしたエリート部隊の役割が大きかった様子が窺える。
 マインツ部隊とは即ちかつてマインツに篭城した部隊のことであり、その結果かどうか知らないが騎兵の数は極めて少ない。全体でたった300人、比率は3%弱だ。砲兵も403人と4%弱にとどまり、大砲は24門。1000人あたりでは2.3門という計算になる。ちなみにDigby Smithの"Napoleonic Wars Data Book"によると、アウステルリッツでの大砲は1000人あたり4.3門(p216)、ヴァグラムでは3.5門(p320)、ボロディノでは5.7門(p391)、ライプツィヒでは3.6門(p464)、ワーテルローでは3.3門(p539)となっており、いずれも1793年のマインツ部隊よりは大砲の比率が高い。革命戦争初期はまだまだ大砲に頼る比率が低かったことが分かる。
 県名を冠した部隊から、志願兵たちがどの地域の出身だったかを調べてみると、大半はフランス東部のアルプス山麓やライン河周辺である。県名付き部隊の77%に相当する4118人はフランス東部出身だ。最も多いのはオート=ソーヌの1338人、それにジュラとニエーヴルの858人、ヴォージュの843人などが続く。フランス東部からかき集められた部隊がライン河沿いに進軍し、マインツで篭城してその後でヴァンデに回されたことが分かる。次に多いのがノルマンディー近くのカルヴァドスなどの出身者で計859人。このあたりの部隊は元々ブレスト沿岸軍に配属されていた連中かもしれない。
 圧倒的に歩兵ばかりで、ヴァンデの人間から見ればほとんど余所者で構成されていたマインツ部隊は、王党派軍との激しい戦闘に勝利を収める。有能な指揮官たちに加え、常備兵や志願兵の軽歩兵といった戦いなれた連中が戦況を有利に進めるのに寄与したのではなかろうか。ヴァンデの農民兵にとって、3分の1を常備兵が占める軍隊というのは、それだけで相手をするには厳し過ぎたのかもしれない。

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