狩猟採集社会の複雑さ 下

 前回の続き、狩猟採集社会でも定住度合いが高く、相対的に複雑で非平等主義的な社会が存在していた証拠が多くあり、農業社会との比較においては単純な白黒の二分法はやめた方がいいという話だ。より定量的に調べる必要があるわけで、そうした定量的分析となると使えそうなのがSeshatのデータではないか、と指摘した。だがこのデータを使った分析、実はそう簡単には進まない。
 狩猟採集社会がどの程度の複雑さを持っていたかを調べるうえでは、TurchinらがSeshatのデータから主成分分析を使って見つけ出した複雑さの度合い(PC1)を活用するのがいいだろう。前にも説明した通り、Seshatが扱っているデータをもとにTurchinは9つの複雑性指標を抜き出し、多くの社会は複雑さの程度を示す1つの数直線上に位置していることを指名した。狩猟採集社会と農業社会の性格について、複雑さという課題についてはこちらのデータを使った定量的分析が可能に見えるのだ。
 しかし実際に調べようとすると話はそう簡単には進まない。最大の問題は、Seshatでデータ化されている時代・地域の大半が、既に農業を行っている社会であること。例えば上エジプトの場合、データ化がなされているのは紀元前4400年からだ。ところがエジプトで農業が始まった時期は、こちらの記事によると今から7000年近く前、こちらでは紀元前6000年頃かそれ以前となっている。どちらにしてもSeshatのデータが扱っているのは全て農業社会となる。
 スーサの場合、紀元前7800年からデータ化がなされている。スーサに近いメソポタミア下流域で農業が始まったウバイド文化の始まりがおよそ紀元前6500年であることを考えるなら、こちらは狩猟採集が中心だった時代もカバーしていると言えるだろう。だがTurchinらの論文のSupplementary Informationに載っているグラフ(p15-16)を見ると、スーサのPC1のデータは紀元前5000年ちょっとまでしか遡っていない。この時期になると農業が伝わっていた可能性が高そうだ。
 そのスーサより古くからデータ化の対象になっているのが関西。実に紀元前1万3600年からデータ化の対象となっている。だがPC1を算出できるほど詳しいデータが出そろうのはもっと後のようで、Turchinらの論文では結局弥生時代に相当する紀元前300年になってはじめてPC1が算出されている。前回紹介した定住型狩猟採集社会に関する論文でも登場していた縄文社会は、しかしながら複雑さの度合いを測る対象には入っていない。
 そもそもSeshatは世界30ヶ所プラスアルファの地域に絞り込んで歴史データを集めるプロジェクトであり、定住型の狩猟採集社会が存在したかどうかという基準でその地域を選んではいない。狩猟採集社会と農業社会との比較に使うのに適したデータバンクでないと言われればそれまでだ。それでも、僅かばかりではあるが、データ化された中に狩猟採集であった社会が紛れ込んではいる。
 1つはレナ川流域、より正確にはTurchinのデータで出てくる紀元1400年のデータのみが、狩猟採集社会を示している可能性がある。この地域にはヤクート族が住んでいるのだが、1400年時点ではまだロシアが進出していない。ヤクート族は多くが狩猟と漁労、そしてカリブーの牧畜によって生計を立てていたという。牧畜という農業が入っているではないかとの指摘もあるだろうし、だから厳密に狩猟採集社会ではないかもしれないが、そう考える余地はある。
 もう1つはカホキア。こちらはEarly Woodlandが狩猟採集社会に相当すると前に指摘した。実際、こちらによれば紀元前200年頃までは狩猟採集が主な生計手段であり、トウモロコシ、豆、カボチャといった農業が広まったのは紀元500年以降のLate Woodland Periodになってからだとされている。Turchinのデータでもその頃までは狩猟採集社会を示すデータとして参照することができそうだ。
 で、そうやって見てみると、まずカホキアのデータはずっとPC1が1未満の状態で横ばいとなっている。レナ川流域の場合は1と2の間。後者は牧畜も手掛けていたとされているわけで、その分だけ複雑な社会だったのかもしれない。問題はこれに近い農業社会は他にもあったのかどうかであり、結論はあった、ということになる。上エジプトの紀元前4000年以前の段階、ニジェール内陸デルタの紀元前の時期、ラティウムの紀元前2000年紀半ば、オアハカ峡谷の初期段階といったあたりがその例だ。
 これはTurchin以外の論文でも同じ。2つのクラスターの存在について言及したこの論文だと、Early Woodlandのカホキアはクラスター0に相当するのだが、同じクラスター0にはローマ王国より前のラティウムなどが含まれている。nature communicationsの論文Supplementary InformationでもTurchinと似たような図が紹介されている(19/20)。
 ただし、Turchinのグラフからも分かるのだが、カホキアのEarly Woodlandが他のどの社会、どの時代よりもPC1の低い社会であったことはおそらく間違いない。限られた数の事例であるためここから安易に結論を導くのは難しいが、敢えてSeshatのデータだけから判断するなら、狩猟採集社会は農業社会に比べれば相対的に複雑度が低かった、ということになる。
 でもこれ、実際にこの時期のカホキアのデータを見ると不思議でも何でもない。政治体人口は30-50人という、まさに移動しながら暮らす平等主義的bandを想定したような数字が示されているし、他の複雑さに絡むデータを見ても、極めて単純な社会を想定している様子が窺える。それよりはレナ川のデータの方がまだ複雑な狩猟採集社会を描いているように見えるのだが、この社会は近くに遊牧民や農耕民を抱えた「現代の狩猟採集社会」と似ているため、かつて存在したかもしれない複雑な狩猟採集社会と同じものと考えていいのかどうかは難しい。

 というわけで、Seshatのデータを使い狩猟採集社会と農業社会との複雑さを定量的に比べてみるという試みは、正直あまりうまくいかなかった。縄文時代についてのデータがもっと充実し、それがPC1の中でどのあたりに位置づけられるかが分かれば、もう少しヒントが得られたかもしれない。また農業社会に見られる複雑さの2つのクラスターと、狩猟採集社会の複雑さとの関係も知りたいところ。彼らは農業社会におけるスーパークラスターAの中に紛れ込んでしまうのか、それともそれとは別のクラスターを形成するのか、そのあたりが分かればもっと面白かっただろう。
 敢えてヒントを探すのなら、Turchinが以前グレーバーらの主張を批判するために書いたエントリー(邦訳はこちら)などが参考になりそうだ。彼はそこでマンモスの小屋と、ギョベクリ・テペの遺跡、そしてピラミッドそれぞれの複雑さについて、建造にどれだけの労力が必要かという切り口で比較している。マンモスの小屋とギョベクリ・テペの間には5桁の、後者とピラミッドの間にはさらに3桁の差があるそうだ。
 ギョベクリ・テペを狩猟採集民の成果と考えるなら、彼らの社会の複雑さはマンモスの小屋よりピラミッドに近いと解釈できそうな数字だ。そうであれば、狩猟採集社会であっても農業社会のスーパークラスターAに含まれるくらいの複雑さは保持している可能性もある。その場合、社会の複雑さをクラスター化する要素は、生産手段ではなく別の何かによって規定されていることになる。以上を含め、色々と面白いことが考えられるテーマだ。
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