そもそも批判を浴びているのが縄文時代に関する「誰もが平等なユートピア」という言及。もちろん記事自体もこの言説は最終的に否定しているのだが、それにしても
この印象はおかしいとの指摘は多数ある。
こちらのブックマークにある通り、脱・経済成長に端を発する「縄文ユートピア論」は古く、『芸術新潮』は実際1987年に
「いざ行かん!縄文ユートピア」という特集を組んでいる。およそ古臭い説と言えるだろう。
ただし今でも縄文時代のような狩猟採集社会を持ち上げる風潮は広く存在する。一例が
こんな本や
こんな本。どちらも論拠の怪しい狩猟採集ユートピア論を持ち上げている本だが、どちらも歴史関連の書籍の中では人気を博している。ビッグヒストリーを取り上げている本の中にはもっと真っ当なものもたくさんあるのだが、その中でもダメな方の本が人気を集めてしまうあたりが人間社会の面白さだ。
おそらくこの背景にあるのは、一種の
「道徳主義の誤謬」だと思われる。ちなみに個人的な感想だが、右翼は
「自然主義の誤謬」に、左翼は「道徳主義の誤謬」に基づいた主張をすることが多い印象がある。どちらも誤謬ではあるが、間違い方が違っているという感じ。話を戻す。
この縄文時代の記事における問題は、むしろインタビューを受けた研究者が「世界史上例を見ない唯一無二の文化」などと述べている点かもしれない。当然こちらについても
ツッコミが
入っているのだが、ユートピアへのツッコミに比べると数は限定的。実際、縄文のように狩猟採集を中心にしながら定住していた社会の存在に対しては、まだ研究者の間でも認識が不十分な面もあるようだ。
この論文における最大のキモは8-9ページにある「定住または半定住の採集民社会の例」だ。その16番目に挙がっている名前が縄文社会であり、それと同じような例が計34も紹介されている。つまり縄文社会と同じように狩猟採集を中心にしながら、なおかつ定住や半定住の複雑な社会を作り上げていた事例がそれだけ存在していたわけだ。しかもその地域はアフリカ、中東、その他のユーラシア、オセアニア、南北アメリカと、世界中に広がっている。これを見る限り、縄文が「唯一無二の文化」という認識は明確におかしいのだが、狩猟採集社会が定住しないという見解は今でもかなり多いという。
論文の冒頭にもあるが、多くの研究者は1万~1万2000年前までヒトは、大半が親族で構成されていた小さく、移動する、相対的に平等な群れ(band)で暮らしていた、と考えているそうだ。その大きな要因となっているのが、現代の狩猟採集社会から古い時代(後期更新世)の社会を推測するという手法を採用していること。確かに今の狩猟採集社会は農業社会に比べると圧倒的によく移動する社会なのだが、それが両者の生産手段の差に由来するのか、それ以外に理由があるのかについての分析が不十分だった、とこの研究は指摘している。
何より今の狩猟採集社会は非常に周辺的な存在であり、いわば農業社会の外縁部にかろうじて残っているだけの存在だ。しかも彼らは農業社会や国家との間に密接な関係を築いており、その影響も考慮にいれなければならない。また今の狩猟採集社会が小規模で平等主義的という分析についても、実は例外が色々と存在するそうだ。加えて農業が始まる前から資源の管理に取り組んでいる事例が(縄文以外にもいくつもの狩猟採集社会で)見られた考古学的証拠があるそうで、どうも農業社会との境界線は思ったほど明確ではないのかもしれない。
それでもこの「定住型狩猟採集社会」があまり重視されてこなかったのはなぜか。論文によればそれが特異な例(唯一無二の文化といった主張など)であり、最近までヒトがあまり活用しなかったと見られる水産資源に頼っており、加えて更新世にそうした社会が存在した考古学的証拠が限られていると思われていたためらしい。
だが上にも指摘した通り、実際にはそうした社会は世界の各地に広く分布しており、とても「特異な例」とは言えなくなっている。水産資源の活用についても最近はかなり古い貝塚がアフリカで発見されるなど、今まで思われていたより古くから使われていた証拠が積み上がりつつある。考古学的証拠については氷河期の海面が今よりずっと低かったことを考慮に入れる必要がある。現在では水面下に沈んでいる地域にこそ、そうした証拠が多数存在しているかもしれないわけで、今の証拠だけで数が少ないと決めつけるのは拙いかもしれない。
こうした点を前提に、この論文では狩猟採集社会について、従来の「移動する平等な社会モデル」ではなく「多様な歴史モデル」を提案している。小規模な群れで移動する狩猟採集民もいたが、その一方で定住する、より大きく複雑で階層的な社会で暮らす狩猟採集民もいた、というモデルだ(Figure 3)。このモデルを採用した場合、ヒトの持つ進化的な行動傾向についての説明が変わってくる、というのがこの論文の主張である。
具体的にはまず支配や他の地位を求めるヒトの行動についての起源が、今より遡る可能性が出てくる。今までの議論だとそうした行動は新石器革命後に生まれたと解釈するしかないが、「多様な歴史モデル」ならそれ以前の狩猟採集社会でも似た行動が存在していたと考えられる。集団のアイデンティティや所属意識、集団間の関係などにおけるヒトの行動も、より古い淵源を持つことになる。
特に重要だと思われるのは戦争だろう。戦争は新石器革命によって定住型の複雑な社会が生まれるまで存在しなかったという見解もこれまでのモデルからは生まれてきていたが、そうした一面的見解はこの論文で提示されている新しいモデルからは生まれてこない。ヒトは戦争を行う一方、容易にそれを放棄する傾向もあるが、元々の狩猟採集社会で複雑な集団から小規模な群れまで様々なグループがあったのだと考えれば、そうした融通無碍な行動の起源を探るのも難しくはなくなりそうだ。
以上が大雑把な論文の紹介。確かに狩猟採集社会を移動と、農業社会を定住と安易に結び付けていた点には問題があるのだろう。考えてみれば、そもそも農業社会においても、農地を耕す定住民が住む社会と、牧畜を中心として移動の多い生活を営んでいた社会の双方が存在しており、単純に農業社会=定住社会とは言い切れない。であればそれ以前の狩猟採集社会においても、同じように移動中心と定住中心の社会がそれぞれ存在していたと考えてもおかしくはないだろう。
重要なのは定性的な議論に基づく単純な二分法ではなく、それぞれの社会がどの程度の定住度合いだったのか、どの程度平等主義的だったのか、社会の複雑さはどのくらいの度合いに達していたのか、といった定量的な発想法だ。生産手段と社会の在り方の間に相関はあるかもしれないが、それがどのくらいの相関であるかを見定める必要がある。で、そうした問題に対してもしかしたら対応しているんじゃないかと思えるデータバンクがある。
Seshatだ。
Seshatのデータを使った論文は以前にもこのblogで何度か紹介している。それと今回の話とを突き合わせるとどうなるのだろうか。長くなったので以下次回。
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