上記のエントリーでは米株式市場における陰謀論を紹介したが、足元では別の「陰謀論」に見える話が復活してきている。Covid-19のウイルスが中国の研究所から流出したという説に対して、
米大統領が情報機関に対して調査を命じた という報道が大きなきっかけだ。
昨年の時点で既にそうした話題は出ていた が、その時点では論拠に乏しい陰謀論という主張が多かった。それが足元になって改めて注目を集めている。
ウイルス学者が書いているこちらの記事 では、ウイルスそのものに焦点を当てた説明を行い、これまでに集まった証拠の大半が自然を起源としたものであると指摘している。もっとはっきり
「流出説は科学ではなく陰謀論」 と指摘する記事もあり、そこでもやはりウイルス自体の特徴から動物由来の感染である点を指摘している。さらにサイエンス誌で流出説の調査をするよう主張した科学者たちを「薄っぺらい」と批判している。
何よりこの話が「陰謀論」に見えてしまうのは、上に紹介した「素人ネット集団」による「発見」なるものの中味が実に陰謀論っぽい構成をしていること。ゲノム解析などウイルス自体の研究から流出の可能性が見つけられたという内容なら検討に値しただろうが、そこで唱えられているのは流出説をもみ消した「大物」がいただとか、中国側が証拠を隠したとか、記者の取材を拒んだといった話ばかり。積極的な証拠はなく、読者の疑惑を煽るための「ネットde真実」的な記述ばかりに満ち溢れている。煽情的だが説得力があるようには見えない話が中心だ。
その「もみ消し」た大物と非難されている人物は、コロナウイルスの専門研究者だ。この人物は2005年から
コウモリとコロナウイルスについての論文 の共同執筆者となっており、要するにこの分野について長く研究を続けてきた専門家だと考えられる。以前
こちら で書いたのと同じく「ただの学者、象牙の塔の住人」を、怪しげな陰謀の首魁にたとえるような主張であり、普通に考えてそうした説に出会った際には眉に唾をつけておいた方が安全。正直ただの誹謗中傷とどこが違うのか分からず、本人から名誉棄損で訴えられれば負けてしまうのではないか、と余計な心配をしたくなる。
株式市場を巡る陰謀論が出てきた際にはそれを否定していたWSJをはじめ、ただのタブロイド紙ではないいくつかの「高級紙」とされるマスコミがこの話を肯定的に捉えているのが、流出説が改めて浮上してきた背景にあるのだろう。だがWSJは経済問題については詳しいだろうが、ウイルス学についての専門媒体ではない。彼らのような媒体と、科学雑誌やコロナウイルスを専門に研究してきた人物のどちらを信用するかと言われれば、私は後者を選ぶ。だが世の中には前者を選ぶヒトが大勢いるようで、それが今回の動きにつながっているのだろう。
最初にも述べた通り、陰謀論はヒトの思考法と親和性が高い。そして前にも指摘したが、「陰謀論」が政治と結びつくと、危険度が大きく増す。前政権の際にもそのことが大いに批判され、それもあって「流出説」は陰謀論だと指摘する声が大きかったのだが、政権が変わったところで再びこれが復活してきたあたり、政治との絡みで言うとより深刻な状況になっているように思われる。
この「流出説」は野党に転じた共和党支持者が政権批判のために持ち出している可能性がある。
Financial Timesのこちらの記事 では、政権が中国に対して弱腰なら共和党はそれを批判しようとするはずであり、だから政権は情報関係者の見解が一致すれば中国への非難を躊躇わない姿勢を示したのだ、と解説している。たとえ批判の内容がただの陰謀論であっても、政治的にそれを唱える方が有利なら、与党も野党も躊躇せずそれに便乗する、というわけだ。
理屈で言えば筋悪の主張に与野党とも極めて安易に飛びついてしまうのは、それが米国民の間で幅広く支持される(少なくとも支持するふりをしてもらえる)と考えているためだろう。実際のところ、陰謀論者や考えの浅い非専門家を除いて、この「流出説」が真実だと心の底から信じている人間は限られていると思う。特に政治家たちは、それが自分の政敵を攻撃し、支持者の賛同を得る手段になると思っているから、真偽は関係なしにこの主張を受け入れているのではないか。トランプが主張していた不正選挙説についても同じで、これを巡ってアリゾナで行われている監査や票の再集計は、実際には単なる
「党派心に基づく異端審問」 と化している。
目的は敵味方を判別し、味方を糾合して敵を攻撃することにある。そのための方便になりさえすれば、話の真偽はどうでもいい。おそらくCovid-19の流出説もそうした扱いになっているのだろう。共和党にとっては民主党攻撃の材料だし、現政権にとっては米国民の支持を得る手段として安直に便乗し、中国を攻撃するネタとして使うものでしかない。陰謀論かどうかなどは関係ないし、むしろ陰謀論の方が支持者を信じさせやすいのなら、それを使うのは当然と言わんばかりの状況だ。
ある意味でこれもまた「不和の時代」に表れる特徴なのだろう。前に
「保元物語はとても陰謀論的ではないか」という話を紹介した時 に、あの時代が永年サイクルにおける危機局面だった可能性があると指摘した。もちろんあの話は妄想に近いものだが、不和の時代と陰謀論が重なっていたかもしれないという意味では興味深い。過去に陰謀論が猖獗を極めた時期と、その国の
PSI(政治ストレス指数) とを比べたら、もしかしたら相関関係が見つかるかもしれない。
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コメント
研究所からのウイルス流出説に確たる証拠がないのはその通りだと思いますが、WHOの調査を1年も拒否したり、オーストラリアがコロナ期限の国際調査を訴えたのに対し報復したりといった中国自身の態度が状況証拠として、ウイルス流出説にもっともらしさを与えているように見えます。
調査拒否が疑わしさを増すのは共産党政府も分かっているはずなのに、なぜこうも頑ななのでしょうか。
2021/06/18 URL 編集
あくまで個人的な考えですが、中国が典型的な「権威主義的国家」であることが、こうした他国に対する非協力的態度の背景にあるような気がします。
彼らのメンタルは基本的に田舎のヤンキー(古いか)と同じで、よそ者に妥協するのはメンツが潰れることだと認識しているのではないか、ということです。
よそ者がずかずかと入り込んできたという印象を国民に持たれると、普段国民に対して強圧的な態度に出ている自分たちのメンツが潰れる。それは彼らの権威に大きなダメージをもたらす事態なのではないでしょうか。
もちろん、実は本当に研究所から流出していたから、という可能性も(かなり低いと思いますが)まだ残されてはいるでしょう。
2021/06/18 URL 編集
中国がメンツの国とは昔から聞いてましたし、頭ではそう思っていても得失考えると失うもののほうが大きいように感じてしまいます。まあ対外信用よりも国内のほうが大事なのは確かにそうでしょうが。むしろ外に敵を作って国内まとめようとしてるのかも。そのうち「我が代表堂々退場す」なんて言い出しそう。
ただ、以前の中国外交はもっと老獪さがあったように思います。今の体制になってからは「戦狼外交」と言ってますが余裕のなさを現わしているように見えます。経済発展した自信もあるんでしょうけど、それももう少し待ってから野心を露わにしたほうがもっと上手くやれたでしょうに。
2021/06/19 URL 編集
https://desaixjp.blog.fc2.com/blog-entry-2850.html
中が不穏になってくると外に対して強硬な態度を取ってみせるというのは、どの国でも変わらない政治家の行動原理なんでしょう。
2021/06/20 URL 編集