特に注目すべきなのは
論文のFigure A10からA16までの推移だろう。
こちらのblogに紹介されている通りだが、1950年代には第1象限に右派政党、第3象限に左派政党が集まっていたのが、1980年代あたりから前者は左へ、後者は右へと移動を始め、2010年代には大半の右派政党が第2象限に、左派政党が第4象限に集まる状態になっている。論文のFigure A9を見ると全体的な動きも分かる。
このグラフのX軸は、ある政党を支持している高学歴(上位10%)の割合から低学歴(下位90%)の割合を引いた数字をプロットしている。Y軸は所得について同じ分析をしている。第1象限は高学歴や高所得の支持の方が低学歴・低所得より相対的に高く、第3象限はその逆だ。第2象限は高所得及び低学歴の支持が相対的に高く、第4象限は低所得及び高学歴の支持が相対的に高い政党となる。注意すべきなのはあくまで相対的な支持であること(低所得者の6割が支持していても、高所得者の支持が7割に達していればY軸では上の方に来る)。また「低所得」「低学歴」が下位90%を含んでいる点も見逃してはならない。正直、その中にはとても低学歴や低所得とは言い難い人も含まれる。
なぜこのような変化が起きたのか。分かりやすく示しているのはFigure 6と7だ。Figure 6には、2010-20年における昔ながらの右派政党(保守やキリスト教政党)と左派政党(社会民主主義や社会主義)の相対的な支持がプロットされている。見ての通り、こちらは明白に所得で分けられている。高所得者ほど右派政党を、低所得者ほど左派政党を支持しており、一方で学歴については支持が入り乱れている(高学歴ほど左派寄りの印象はあるが、所得の差に比べれば小さい)。
ただしこのFigure 6にはいくつかの重要な政党が省かれている。それが載っているのがFigure 7。ここでは「反移民政党」と「環境政党」のそれぞれに関する支持がプロットされている。そしてこの種の政党に対する支持は、学歴できれいに分断されている。環境政党を支持するのは高学歴であり、反移民政党は低学歴の支持が圧倒的だ。逆にこちらでは所得の高低はあまり支持と相関していない。
さらにTable 2を見てもらうと、それぞれの政党がいつ頃から存在し、どのような主張を掲げてきたかについての指数が見られる。重要なのは、反移民や環境といった問題をテーマにした政党は、前者が1970年代、後者が1980年代になって初めて政治の表舞台に登場してきたこと。それ以前は社会民主主義(左派)か保守(右派)しかなく、1つの軸を巡る争いのみが存在した。
ところが反移民や環境問題が政治の主要テーマとなり、そうした主張を掲げた政党が登場してきたことにより、左派と右派の姿が変わった。分配という切り口でも、価値観という切り口でも、保守に近いのは反移民政党であり、社会民主主義に近いのが環境政党だったため、左派と右派は所得だけでなく学歴でも分断されるようになっていった。Figure 5にあるように、当初は1つの軸しかなかった(Panel A)政治的な主張が、足元では2つの軸を持つようになり(Panel B)、そのために左派と右派の支持層が以前より捻じれていった。
論文ではこの反移民と環境という課題の広がりが、複数エリート政党システムへの移行に貢献したと指摘している。既存の古い右派と左派政党があまり取り上げなかった課題が次第に注目を集め、それが市民の所得間ではなく学歴間の分断を呼び起こし、それに政治が対応を続けた結果、気が付けば「バラモン左翼と商人右翼」という複数エリート政党システムができあがっていた、という解釈だろう。ちなみに反移民や環境といった切り口については、ピケティの論を批判した
こちらの論文あたりが元ネタかもしれない。
この指摘自体はとても面白いし、また複数の国々で同じようなテーマが分断の原因となっているあたり、現代世界における国境を越えた大きな動向が見えてくる。だが一方で、個人的には「結局のところ政治的主張というのは建前であり、本音は別のところにあるのではないか」という疑問も浮かんでくる。特に気になるのは、Pikettyの分析で重要な役目を果たしている所得と学歴という2つの軸の、より具体的な内訳についてだ。
普通に考えて高学歴の人間は高所得にありつく可能性が高い。
こちらの記事に載っているグラフを見ても、学歴が高いほど高い所得を得ている傾向が明白に記されている(米国の事例)。つまり普通に考えれば、高学歴と高所得はかなりの程度、重なっていると思われる。その中で最も極端なケースは、所得上位10%がイコール学歴上位10%になる場合だろう。Pikettyのグラフに従って各象限を占める人口の割合を簡単に書くなら、以下のようになる(英字は左が所得、右が学歴で、Hが高く、Lは低い、数字は人口に占める割合)。
HL(0%) HH(10%)
LL(90%) LH(0%)
この場合、足元で起きているような複数エリート政党システムは成立困難だろう。エリートの支持が学歴と所得の間で分裂するためには「高学歴だが低所得」「低学歴だが高所得」の枠に入る人がいなければならない。逆に1950年代のように、高学歴も高所得も同じ政党を支持するケースは成立する。
次に別の意味で極端な例を示す。高学歴な人間は全員低所得であり、高所得な人間は全員低学歴であるという社会だ。この場合、人口分布は以下のようになる。
HL(10%) HH(0%)
LL(80%) LH(10%)
これならば今のような複数エリート政党システムは成立し得る。第2象限(高所得で低学歴)と第4象限(低所得で高学歴)は、第3象限(低所得で低学歴)の支持を奪い合うライバルとして行動することが可能だ。一方で1950年代のような政党制も同じように成立可能。第2象限と第4象限が揃って同じ政党を支持すれば、Pikettyのグラフでは第1象限の支持が高いという結論を導き出せる。
問題は、後者の事例における第2象限と第4象限が仲良く手を取り合って同じ政党を支持できるかどうかだ。見ての通り、前者の事例だと学歴と所得のどちらかでエリートと自負できる人間はトータルでも10%しかいないのに対し、後者だとエリート候補が20%まで増える計算になる。同じようにエリートにふさわしい立場を求めた場合でも、前者に比べて後者の方が厳しい状況に置かれるのは間違いない。もうお分かりだろう。これはすなわち、
エリート過剰生産である。
もしかしたらPikettyが調べ上げた複数エリート政党システムの成立は、その背景にエリート過剰生産があるのではないか、というのが私の直観だ。かつて(1950年代)の学歴上位10%はそれにふさわしい所得を得られた。だから彼らは一致して自分たちの利害代表となる政党を推した。しかしその後、高い学歴を持つ人が増えていった(大学進学率の上昇など)結果、学歴上位に入っても所得上位にたどり着けない者が増えたし、逆に所得上位には入っても学歴では上位でない
エリート志望者たちも出てきた。
彼らはエリート内競争で勝つための方便として、それぞれが相対立する政党を支持した。新しい建前(環境や反移民)も、そうした競争の口実としては都合がよかったのだろう。政治的なテーマが複数エリート政党システムを成立させたのではなく、エリートが互いに相争うための「建前」として新しい政治的テーマが持ち出された、のではなかろうか。
もちろん上記は私の直観にすぎず、論拠はない。できればPikettyの元データから、「高学歴」と「高所得」の重なっている割合が時代に応じてどう変化してきたかを知りたところだ。もし両者の重なりが時代とともに縮小していれば、それはエリート過剰生産の可能性を示している。そうしたデータが出てくるまで、以上の議論はあまり信用しないように。
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