フルーリュス史料 6

 フルーリュスの戦いに関する史料その6。今回はシャンピオネの回想録。

 シャンピオネ回想録
「8日(共和国暦2年収穫月8日――1794年6月26日)に私が送り出した竜騎兵の発見から、敵がマルベの高地にいること、彼らがサン=タマンの左翼に到着しており、平野には既に多くの散兵がいることにに私は気づいた。午前3時、何発かのマスケット銃声が聞こえ、すぐ砲弾の雨がそれに続いた。私の前哨線は後退を強いられた。私はグルニエ准将に対し、強力な抵抗を行い最後の瞬間になるまで陣地を離れないよう命じ、彼が持っている拠点大砲とは別に第1竜騎兵連隊と第2軽砲兵中隊を送った。敵は私の左側面と正面を強力に攻撃してきたが、私が指揮する師団の勇気によって敵の攻撃全ては撃退された。午前6時頃から恐ろしい砲撃を受けていた前衛部隊[ルフェーブル師団]は敵を撃退した。私はこの優位を利用して敵に突撃し、サン=ベルナール農場の陣地を放棄させサン=タマンの背後へ退却させた。前衛部隊はその塹壕まで退却することを強いられ、この移動に強いられて私はアッピニーの陣地に戻った。砲声があらゆる方角で響き、攻撃は全面的になった。私の右翼と左翼で聞こえる恐ろしい砲撃のため私の関心はこの2地点に全て注がれた。私の幕僚士官の1人が来て、クレベール将軍の指揮する軍左翼が後退しマルシエンヌまで押し戻され、敵が舟橋に砲撃を行って我々が退却を強いられた場合の退路に恐れが生じたと知らせた。同時にルフェーブル将軍から、マルソー将軍が指揮する軍の右翼が押し戻され、その兵の大半が退却していること、自身は右翼へ動いてマルソー将軍指揮下の兵を支援すること、かなり弱体化を余儀なくされるその左翼を支援するため私にも右翼へ動くよう求める連絡があった。私はルフェーブル将軍の支持に従うよう急ぎ、他の手段がなくなるまで陣地を離れないこと、激しい抵抗に期待できることを彼に約束した。
 敵はしばらく私が休むのを放置しており、私はこれを利用して前衛部隊を支援した。私が敵の右側面を突き、前衛部隊が彼らに後退を強いた。私はこれを利用し同時に敵をサン=タマンの背後まで押し戻した。敵は前衛部隊に対する2度目の移動を行い、そこに多くの戦力を持ってきた。司令官は私に対し、私と前衛部隊の間に来て布陣するアトリ将軍の師団に騎兵2個連隊(第4及び第6騎兵)を送るよう命令を下した。このアトリ将軍の移動により、私はヴァニェにいた大隊を取り込むことができた。
 アトリ将軍は正面にいる敵を激しく押し込み、敵は3度目の後退を強いられた。正午頃、敵は私の左翼を激しく攻撃し、またモルロ師団の正面にいる兵の一部が私に対して来ていることを知らされた。私は司令官に報告し、いくつかの騎兵を送るよう請願した。私の2個連隊はアトリ将軍に送られていたためだ。司令官は私に、デュボワ将軍が第6竜騎兵連隊と第10騎兵とともに私のところへ来ると通知した。敵は引き続き激しく私の左翼を攻め立てたが、敵の努力は無駄に終わると私は確信していた。私はデュボワ将軍と相談し、彼が第6猟騎兵、第1竜騎兵、第4及び第10騎兵、そして軽砲兵1個中隊とともに前進することで合意した。彼は敵の左側面を突き、私はルグラン将軍に敵右側面を突くように、また砲兵に敵を正面から叩くよう命令を出すことになっていた。この機動は実行されたが、敵も砲兵を前進させていたため、デュボワ将軍はヴァニェ村の左翼に騎兵4個連隊を集め、敵が我々に対して差し向けていたかなりの騎兵の戦列に向けて突撃した。我らの兵が既に彼らを叩きのめし、20門の砲列を突破するのに成功した時、両側面からの新たな部隊によって彼らは後退を強いられ、秩序をもってそれを実行した。第6猟騎兵が完全に囲まれたのを見た第4騎兵連隊は、突撃のために戻って彼らを解放するのに成功し、そして4個連隊は横隊を組んだ。正面に20門以上の大砲がいたデュボワ将軍は、アッピニーの我々の塹壕まで後退することを余儀なくされた。
 右翼遠方で聞こえていた砲声がいくらかの不安を与えた。私はルフェーブル将軍の陣地を調べるため竜騎兵の分遣隊を送った。私の焦りは募った。私は幕僚から他の士官を送ったが、何も起きなかった。手元には1人の竜騎兵と副官の1人しかいなかった。私は竜騎兵に対し、大急ぎでルフェーブル将軍のところへ行って状況を聞いてくるよう言った。この竜騎兵はエピノワの森を通り抜け、歩兵縦隊を発見して彼らが誰であるか聞いた。それがシャトレへと後退している前衛部隊だと聞いたこの竜騎兵は、私のところにきてこの間違った報告を行った。私は彼を足止めし目の届くところに置いておいた。私はルフェーブル将軍とその進路を発見するため別の竜騎兵分遣隊をすぐ送り出し、前衛部隊の場所について書かれたものを持ってくる場合のみ戻ってくるよう命じた。私は副官のラレトリーを司令官のところに送り、私が取った対応と、部下の一人が届けた報告について彼に知らせた。司令官は派遣議員ギトンとジレとともに私のところへ来た。彼らは私に最大限の苛立ちを伝え、私は彼らに竜騎兵と話をさせた。遠方で轟く砲声と、ルフェーブル将軍の沈黙により、司令官は竜騎兵の報告が全て真実であると考えた。敵は既に散兵を私の右翼まで押し出しており、またモルロの兵が放棄したメレ村は、私の左翼へと散兵を送ることを容易にさせた。ついに私の陣地は最も危険になり、ルフェーブル将軍のところへ送った分遣隊からの知らせがなく、この将軍が沈黙を守っているため、前衛部隊は退却していると我々は考えた。だが敵は優勢な戦力で私の全戦線を圧迫し続けていた。左翼は最大限の激しさで戦った後にサン=フィアクルとサン=ベルナールを放棄し、アッピニーへ退却することを強いられた。敵散兵は既に私の右翼の主要街道近くまで来ており、何人かは既にアッピニーにいた。司令官は私に退却の準備をするよう命じ、私はルグラン将軍とグルニエ将軍の両者に対して一歩一歩退却するよう、そして騎兵の将軍たちにはその兵と軽砲兵でそれを支援するよう命令を下した。
 私の師団が既に退却していたその時、士官の一人がコムギの中を腹ばいで来たのを見た。彼はルフェーブル将軍がその陣地とランビュサール村を支配していると告げた。
 司令官は回れ右をして銃剣突撃をするよう私に銘じた。私はデュボワ将軍にこの対応を知らせた。この騎兵将軍は全ての騎兵と、ルグラン将軍及びグルニエ将軍、そして彼らのそれぞれの旅団を呼び集めた。後者の2将軍はアッピニー村、サン=フィアクル及びサン=ベルナールの陣地の両方に現れる全てに対して突撃をすることになった。デュボワ将軍はアッピニーの右翼から出撃し、私は司令官が送ってきた歩兵3個大隊とともに迂回してヴァニェ村を奪い騎兵の攻撃を容易にすることになった。陣地を取り戻し突撃せよとの命令を兵たちが受けた時、「共和国万歳!」の叫びと「サ=イラ」の歌声があらゆる方角から聞こえてきた。敵は我々を追撃していると考えていた時に自身が攻撃された。私はアッピニーにいる兵たちを銃剣で攻撃し、即座にサン=フィアクルとサン=ベルナールの陣地を取り戻した。一方騎兵は右翼正面にいるものに突撃し、それを押し戻した。突撃が命じられたのは午後4時で、1時間もしないうちに戦いの勝利は確実となった。敵は無数の死者と負傷者を戦場に残した。
 戦場にいた派遣議員ギトンとジレは砲火の下で大いに兵たちを勇気づけた。彼らは戦いの勝利が完全に私の縦隊にかかっていると伝えるため3回にわたって使者を送ってきた。最初の2回では戦いの決着はつかなかったが、3度目には私は彼らに対し、敵は完全に壊走し戦いは勝利したと答えた。
 1万8000人以上の歩兵と多くの騎兵相手に戦わなければならなかったグルニエ将軍とルグラン将軍は、数を気にせず彼らに襲い掛かり、彼らを追い払って壊走させた。
 これらの将軍たちは敵が突撃しようと脅かしていることに私を気づかせた。私は彼らに大隊方陣を組むよう命じ、彼らに騎兵と軽砲兵を送った。同じく大隊方陣を組んでいた敵はそれを解くことを強いられ、砲兵が彼らを叩いた。彼らは個別にキャトル=ブラ、マルベ、ヴィルルー、ソンブルフなどに退却し、夜の間に去った。かくしてこの日は終わった。フランス軍はカール大公、コーブルク、クレルフェ及びボーリューが指揮した11万人以上の兵と戦わなければならなかった。
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