フルーリュス史料 4

 フルーリュスの戦いに関する史料その4。今回はフランス軍右翼を指揮していたマルソーの報告と、ルフェーブルの部下だったスールトの回想録の前半だ。

 マルソー将軍から司令官ジュールダンへ
 ランビュサールの司令部にて、収穫月9日
「私には右翼で昨日起きたことについて報告する義務があります。可能な限り簡潔に、また必要な誠実さをもってそうします。
 昨日午前2時、敵はオーヴロワの拠点を激しく攻撃しました。この部分を指揮していた将軍が私に知らせ、私は1個大隊と退却時に必要な命令を送りました。この攻撃は右翼に対して行われると推測していたものの準備にすぎず、敵が今度はルフェーブル将軍の陣地を突破できる優位性をもらえる唯一の場所に対し、間違いなく突破するために行なうであろう攻撃に抵抗するため必要な対応を取るべく、私はその場所に向かいました。歩兵と騎兵において倍以上、砲兵においては少なくとも3倍の戦力で現れた敵に対して対抗するために必要な様々な移動と機動については述べません。アルデンヌ師団の戦線右翼では、ボーレの風車とランビュサールをカバーしている堡塁を、敵がそこに向けたのと同じ決意で8時間にわたって防衛し、砲兵の大半が破壊され使えなくなった後になってようやくアルデンヌ師団がこれほど優勢な戦力相手に退いたことを知ってもらえば十分でしょう。敵が3000騎の騎兵で防御不可能な破口を作ったため、秩序をもっての退却はできませんでした。
 適切な時にこの退却を支援する配置を行ったルフェーブル将軍が、間違いなく午前11時(アルデンヌ師団が突破された時間)から我々が互いの陣地を回復した時までに何が起きたかについては知らせてくれるでしょう。
 彼が私に託したモーゼル方面軍の兵でランビュサールの右翼を守り、そこにある森を奪回する任務を任せられた私は、そこを奪って敵をそこから撤収させました。散り散りになった兵の再集結に従事していたマイエ将軍は朝のうちに彼がいた陣地に戻りました。我らの指揮下にあった兵の数の少なさを考慮すれば、損失はかなりのものでした。砲兵は完全に破壊されました。要求している供述が届き次第、その件について報告します。私はこの日のうちに増えた勇敢な行為も、不名誉であった臆病な行動についても話しません。名を挙げた者たちは、自らの義務をよく果たしたことへの満足のうちに自らの報酬を間違いなく見出しているでしょう。他の者たちは、自らの過ちを正し自らが守った大義に自分がふさわしいことを証明する最初の機会をつかむものと、私は信じたいと思っています。
 思うに戦線右翼は増援される必要があります。敵は既に2回、激しい怒りとともにそこを攻撃し、この通路を突破するために使った優勢な敵の全ての負荷を、我々は既に2回も支えました。結果として被ったばかりの損失により、彼らは昨日のような力強さでこの地点を守ることはできません。あなたが自ら来て私が述べたことについてチェックしてほしいとは求めませんが、もし誰を送ろうと思うなら、彼らが私に同意するであろうことに私は疑問を抱いていません。
 オーヴロワとタミーヌ橋を突破され、16時間の防衛の後にシャトレへ退却したラージュ将軍に対し、私は元の陣地に戻るよう命令しました。
 挨拶と友愛を
 将軍
 マルソー
 あなたに3人の捕虜の馬匹を送ります」

 スールトの回想録
「実際26日午前3時に戦いは始まり、それは我々の師団正面から、塹壕を掘って守っていたそれぞれの陣地へと相次いで展開していった。シャルルロワ陥落によってアトリ師団が使用できるようになった。ジュールダンは1個旅団を右翼支援のためランビュサール背後に、もう1つの旅団を予備騎兵とともに中央の第2線、ランザールに持ってきた。軍をよりよく集結させるため彼は左翼をすべてピエトンの背後に後退させた方がよかっただろう。だがモンティニー=レ=ティニューにあった大規模な兵廠を間に合うように移すことも、マルシエンヌの橋を取り去ることもできなかったため、クレベールにはトラズニーからフォルシーを経てサンブルへ至る戦線を保持させなければならなかった。彼は自信をもって今後起きることを待った。
 トゥルネーから来た部隊と再合流した連合軍は7万5000人の戦力があった。コーブルク公は3つの主力部隊を編成した。オラニエ公はクレベールと対峙して右翼にとどまり、3つの縦隊に分かれた。クォスダノヴィッチ将軍、カウニッツ公及びカール大公が指揮する他の3つの縦隊は、コーブルク公自身が率いて中央を構成し、フルーリュスとブリュッセルからシャルルロワへの主要街道間をルフェーブル、シャンピオネ及びモルロ師団に向かうつもりだった。左翼ではボーリュー将軍が、フルーリュスからサンブルの間でマルソーの各師団攻撃を任された。
 始まりから全面的になるにつれ、この戦いは12時間は我々にとって不利なものであり、その終わりがどうなるか誰も予想できなかった。ワンフェルゼーとヴレーヌから押し戻されたマルソーは、コピオー森の先端で兵をとどめようと努めたが無駄であり、彼らはそこを放棄した。前衛部隊の軽兵はカール大公によってフルーリュスを突破され、ランビュサールから射程距離の半分のところまで押された。カウニッツ公はシャンピオネ師団の前哨線をアッピニーとワニェーの塹壕まで押し戻した。オラニエ公はアンデルリュの殉教の丘とフォンテーヌ=レヴックを支配し、そこから右翼縦隊がモンソーへ前進した。だが幸運にも彼らはリュスとウェスプ城の間でドーリエ旅団に止められた。オーストリアのラトゥール将軍は他の2つの右翼縦隊をモンテギュ将軍へと差し向け、フォルシーとトラズニーを奪った。これら3つの縦隊はそれからジュドンザール農場まで前進し、マルシエンヌを脅かしてそこを混乱に陥れた。クレベールはこの動きを止めるべく予備をピエトン沿いに配置し、その左岸とモンソー森、ルーの渡河点、及びゴスリーからクールセルに至る渡河点を守った。
 午前6時前、連合軍は展開し、アルデンヌ各師団は完全な混乱状態のまま、立ち去ったばかりの陣地にそこを守る彼らの将軍と士官たち、及び何門かの大砲を残して、タミーヌとテルニエの橋でサンブルを再渡河した。私は右翼の状態を確認し、状況に応じた対応ができるようにするためルフェーブル将軍に送られた。私は敵がまさに彼を取り囲もうとしている時に、ルピノワ森とボーレの集落の間でマルソーと合流した。彼は敵に抵抗し、絶望のあまり自らの兵の恥を消すため殺されるのを願った。私は彼を止めた。「あなたは死にたがっており、兵たちは自ら名誉を汚しました。彼らを探し出し、彼らとともに勝利するため戻ってきなさい。それまで我々がランビュサールの右翼であなたの陣地を守りましょう」――「その通り、それが名誉への道だ! 彼らを探し、すぐあなたのところに戻ってくる」とマルソーは叫んだ。2時間後、彼は最も勇敢な者たちを連れ戻り、我らの成功の一翼を担った」

 以下次回。
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