フルーリュスの戦いに関する史料その3。今回はルフェーブル師団(前衛部隊)の報告書と、その指揮下にいた第54連隊の大隊長の報告。
ルフェーブル将軍が作成した共和国暦2年収穫月8日の戦闘に関するジュールダン将軍への記録
「8日午前4時、フルーリュス正面にある我々の前哨線とアルデンヌ師団の前哨線の前に敵がまとまって姿を見せた。この部分と私の拠点の右側に対して攻撃が始まり、すぐに全地点に広まった。あらゆる場所で最も激しい抵抗が行われたが、数と数時間に及ぶ砲撃とで打ち破られ、それぞれの拠点は自分たちの部隊へと後退し、今度はその部隊が様々な師団の砲撃に守られながら後退するのが堅実であると判断した。戦闘はより全面的となり、恐ろしい砲撃があらゆる地点で響きわたり、すぐに敵の優勢な砲撃といくつかの我々の大砲が破壊されたことにより、アルデンヌ師団は分断される危険に晒された。指揮を執っていたマルソー将軍はこれに気づいてすぐ私に増援を求め、彼と同じ数の戦力に攻撃されているにもかかわらず私は急いでそれを与えた。いくつかの大隊が軽砲兵半個中隊とともに送られたが、この増援はアトリ将軍が提供した3個大隊と同じく十分間に合うように到着できず、師団は大混乱で後退した第23騎兵連隊とともに下がってしまい、またこの騎兵連隊が命令されたように敵に突撃しなかったため、かつてのルシヨン連隊であった第54連隊の無数の勇敢な兵士たちが単独で抵抗することを強いられた原因となった。この時に敵騎兵が彼らに突撃し、彼らは自分たちを守ることになっていた臆病者たちのように逃げ出すよりも持ち場で死ぬことを好んだため、ほとんど完全に敗北しそうになった。300人以上が方陣に残り、指揮官と士官4人とともに114人が野蛮人たちの怒りから逃れることができたが、指揮官と残った大尉1人は乗馬を殺され、さらに指揮官は負傷した。彼らを助けるために送り出された各大隊は、アトリ将軍の大隊とともにこの時に到着し、その熱意と激しい抵抗によってすぐにこの勇敢かつ不幸な連隊の生き残りをオーストリアの虎の怒りから解放することに成功した。将軍たちは指揮官たち、士官たちの助けもあって逃亡兵の一部を集めた。敵はそれに気づき、彼らは恐ろしい射撃を続けながら僅かに退却したが、敵騎兵中隊がほとんど即座に再び現れ、中央の部隊の1つであった私の師団が完全にさらけ出されることになる地点で、少し後に同じ壊走が起きた。間に合うように気づいた私は、完璧に成功することになった手段を勧めた。私自身が第80半旅団の戦闘に立って敵が占拠しているランビュサール村に導き、突撃の合図をすぐ送って敵を屈辱的に追い払った。同じ半旅団の100人の散兵は村を通り過ぎ、側面から脅かすべく森に身を投じた。彼らが強力だと思わなかった敵騎兵は激しく突撃をしたが、すぐに入り乱れ、足をしっかり固めて待っていた我々の前で躓いた。しばし彼らがまとまっていたとしても、それは彼らの中で馬匹が死に、倒れていたからにすぎなかった。
同半旅団の2個大隊の射撃が、再び突撃してきた騎兵の残りを足止めし、彼らは完全に打ち破られた。それから第3団体が森の端で他の2個大隊と合流し、敵の退却を追撃する時までそこにとどまった。
称賛しすぎることはできないこの半旅団と、師団から増援した各大隊、及びしばし敵の射撃全てを支えていたアトリの3個大隊の損失は、それほど大きくなかった。前の第14連隊の第2大隊と、第1オート=ソーヌ及び第3オー=ランで構成されたこの半旅団は55人が戦死し、その中には士官1人と軍曹2人、伍長1人、マスケット銃兵7人と砲兵2人が含まれていた。負傷者は81人で、その中には第2大隊指揮官、大尉1人、中尉2人、少尉2人、軍曹3人、伍長7人とマスケット銃兵65人がいた。
この戦闘が続いている間、会戦は師団の中央と左翼でもより激しくなり、敵はそこに全戦力を集めてきたため、数時間にわたって彼らが維持していた砲撃は、まるで地面から火口が現れて全てを飲み込んでいるかのようだった。堡塁にいた各大隊は同時にそこの大砲から恐ろしい砲撃を行った。
午後6時、煙が少し晴れた時、敵が退却していることに我々は気づいた。激しく追撃するには遠すぎたうえに、砲兵の大半は破壊され、各大隊は疲労に打ちのめされ、馬匹は走れなかった。この状況に我々は抵抗できなかった。私自身、乗馬の1頭は負傷し、他の1頭は私を地面に放り出したため、しばし徒歩で指揮を執ることを強いられた。参謀副官セイラは乗馬を殺され、彼の助手だった私の副官の1人は軽傷を負い、砲兵士官の1人は2度乗馬から叩き落とされた。
私の幕僚たちの勇敢でしっかりとした勇気ある行為と、牧草月28日の戦闘で既に示し、そして臆病者が逃げ出したのを見て、さらにすぐ敵騎兵に攻撃され突撃されることを予想しながら、なお持ち場にしっかりととどまり、逃亡兵にふさわしい非難を浴びせた擲弾兵大隊については、称賛しすぎることはない。
最後に2度落馬して打撲傷を負い、それでもなお勇敢な連隊を徒歩で指揮したいと言い張った第25竜騎兵連隊大佐の精力的な行為も、除いてはならないだろう。
全体として、私が任された師団を褒め、彼らがこの記憶すべき日に完璧に振る舞い、そこで示した勇気と冷静さが真に称賛に値することを、私は言わなければならない。残念なことに我々は多くのよき兵の損失を嘆かねばならず、この損失がどのくらいの量になるかはまだ正確には分からない。数が届いたらすぐ報告を出すつもりであり、また馬匹についても正直で正確な数を与えられるようすぐ対処する。
だがこれまでの報告すべてによれば、敵の損失は兵でも馬匹でも我々の倍に及んでいることを伝えたい。
将軍
ルフェーブル」
第54歩兵連隊少佐からモーゼル方面及びアルデンヌ方面統合軍司令官へ
「市民将軍殿
私が指揮する名誉を担った大隊は第23騎兵連隊の支援を受けることなく単独で敵の砲撃を支え、優勢な敵騎兵に対して防御した後で、構成する兵400人のうち301人を失いました。大尉1人と少尉2人しか残っておらず、残りは戦死したか深刻な怪我を負いました。
軍旗は大隊がほとんど全滅するまで守られた末に、その抵抗ゆえにこの勇敢な大隊に対する称賛の気持ちを抑えられなかった敵に奪われました。将軍、どこであれ所属した場所で名をあげ、共和国のため軍務についた際に指揮を執った将軍たちの評価にふさわしかったこの大隊に、軍旗と大砲を与えることを、そして彼らの定員を満たすために守備隊に送り、再編し、敵を叩き勝利か死をという彼らの心からの願いを満たせる状態にするよう、要望します。
第54連隊少佐
サン=エルゼーブ」
スポンサーサイト
コメント