今回の本は、エネルギーの人類史のようにテーマに沿って書かれたものではない。シュミルが雑誌に載せた連載をまとめなおした本であり、要するにエッセイ集のようなものである。本ではテーマごとに大きく7つの章に分け、71のトピックを取り上げる形にしている。1つのトピックはあまり長くないため、肩ひじ張らずに拾い読みするくらいの感じていいかもしれない。
エネルギーの人類史もそうだったが、シュミルの文章は全体として事実やソースについての説明が多く、彼自身の評価とか価値観の表明といった部分は多くない。冷戦時代のチェコに生まれたという経歴もあるのか、旧ソ連に言及する際には彼の価値観らしきものもほの見える場面があるが、そうしば部分はかなり限定的。あくまで事実がどうなっているかを中心に据え、その事実を踏まえたうえでこうした方がいいのではという具体的な対応策の提示をする、というのが彼の執筆スタイルのように見える。
実際、こういった本は一般的な読者の人気を博さないような印象がある。出版社によればシュミルの本はビル・ゲイツが絶賛しているそうだが、例えば彼が最近出版した
Growth: From Microorganisms to Megacities のレビュー欄を見ると「退屈で読み通せなかった」という意見が結構目立つ。おそらく複雑な事象を複雑なまま示し、簡単なまとめや乱暴な対応策といった「読者に親切な」記述をしていないのだろう。エネルギーの人類史もそんな印象の本だった。
そう考えるとシュミルの本を今回のような「エピソード集」として出版するのは、正しい選択かもしれない。最初からトピックごとに読んでもらう前提であれば、事実の指摘だけでもそんなに苦労せず内容を把握できるだろう。実際、
エネルギーの人類史 の方が出版時期は古いのに、amazonのレビュー数は出版されたばかりの
Numbers Don't Lie の方が多い。読者が内容を把握しやすかったからだと思う。
でもこの本、例えばツイッターあたりではほとんど反応がない。シュミルとは真逆の性質、つまり事実についてはいい加減にしか記していない一方、己の主張だけは異様に強い
こちらの本 や
こちらの本 が、よくツイッターで紹介されているのに比べると実に寂しい限りだ。この手の学術っぽい一般向け書籍にはそれなりに知識を持つ層が関心を抱くのだと思うが、そういう層にとっても複雑な事実をできるだけ細かく正確に示す本より、雑な事実認定から乱暴に結論を出す本の方が読みやすく見えるのだろう。つまりそちらの方が優れたミーム、というわけだ。
ちなみにその両者の中間にあると思うのが、TurchinやScheidelといったあたりの本。彼らはデータ量は十分に示している一方、そこから割と大胆な結論や主張を導き出している。もちろん大胆な結論を打ち出す分だけ、どれほどデータを示しても
危うい部分 は
出てくる 。それでもミームとして考えるなら、こういう本の方がより広まりやすいに違いない。実際、
Scheidelの本 はシュミルに比べるとずっと多くのレビューを集めている。
話がずれたので元に戻そう。Numbers Don't Lieで取り上げているテーマは主に7種類。世界の人々、世界の国々、食、環境、エネルギー、移動、機械だ。幅広いテーマを取り上げていることが分かるが、やはり面白いのは彼の専門分野とも言えるエネルギーに関連するトピックを取り上げた部分。エネルギーの章以外にも、例えば環境の中で出てくる三層ガラス窓の話や、現代の車に関する部分、あるいはムーアの法則があくまでテクノロジーの限られた分野でしか通用しない点など、エネルギー関連から派生したテーマは色々な章で紹介されている。
彼が示す基本的な考えは前にエネルギーの人類史で紹介したものと大きく違ってはいない。エネルギー利用の変化には時間がかかること、従って新しいエネルギー源に過大な期待をかけるより、今現在利用できる手段をより効率的に拡大する方が、特に気候変動への対応を進めるうえでも望ましいこと、などだ。地味ではあるが実効性の高い策を打てというその主張は、彼の文章の性質と似ているとも言えるかもしれない。
そういう視点の持ち主なので、例えば再生可能エネルギーの急速な拡大が簡単でないという主張は多い。特に風力発電に対しては批判的だし、また再生可能エネルギーの利用法として求められている蓄電池の性能向上についても、楽観的な見方を戒めている。一応、太陽光発電に対してはそれほど否定的ではないのだが、それでも技術発展に長い時間を要してきたことは指摘している。エネルギーをため込む手段として水素社会の可能性が長期的には一番見込みがあるとしているが、一方で水素自動車については「まだ利益をあげていない基礎研究のイノベーション」と語るなど、厳しい見方も示している。
加えて、単に発電方式を変えるだけで脱化石燃料が達成できるわけではない点もくり返し書いている。シュミルによれば、現代文明を支える4大柱は、アンモニア、鋼鉄、セメント、プラスチックだそうで、この4つの素材を調達するうえで化石燃料は欠かせない存在となっている。鋼鉄とセメントは製造に際して多大な熱を必要とし、アンモニアやプラスチックはそもそも原料に化石燃料が含まれている。こういったエネルギー源や原料を他のものに切り替えるのは容易ではない。
そうした大きな社会の変化よりも、まず進めるべきなのは何か。省エネだ。そして実際、現代社会で化石燃料を使っている様々な分野では、時とともに省エネが進んだ。このあたりはエネルギーの人類史でも指摘されていたことだし、この本でも例えばガスタービンやジェット機、あるいはディーゼルエンジンといった様々なテクノロジーが、時代とともにエネルギー効率を高めてきたことが指摘されている。ただし例外もあり、それが自動車。平均的な車の重量は時とともに重くなっており、しかも広く普及したために1人で1台を利用する場面が増え、省エネという点では効果が乏しい。電気自動車はさらに重くなる見通しで、シュミルはsmart carかもしれないがwiseではないと皮肉を述べている。
もう一つ、多くの無駄が生じていると彼が指摘するのはフードロスだ。米国の場合、1日に1人当たり約3600キロカロリーもの食料が供給されているという。もちろんそんなに食える人間はほとんどいないため、実際にはそのうち約40%は無駄に捨てられているという。逆に言えばそれだけ食糧生産は増えている(彼によるとコムギの単位面積当たり収穫量は
こちら で紹介した論文の通り、16世紀から増えてきた)わけで、もしフードロス対策に本腰を入れるなら今よりコムギを大量に減らさねばならないという。
ついでに、シュミルは望ましい食生活の一種として
「地中海式食事法」 を紹介している。
Turchinが取り組んでいるパレオダイエット とは異なり、穀物(全粒粉)を多く摂取する一方で肉類については牛肉を避けるといった食事をするのだそうだ。
前に紹介した 論文だと、むしろ肉をたくさん食う方が昔ながらのヒトらしい食生活ということになるが、まあどちらが正しいかはきちんと調査しないと何とも言えないだろう。
むしろシュミルがお勧めしているのは「腹八分目」(原文も日本語で書かれているらしい)。彼は割と日本の状況にも詳しく、長生きな日本人がそういう食生活を意識しているのだから、それが長命の一因ではないか、という理屈だ。これまたどこまで正しいのかは不明だが、こうやって幅広い話題を繰り出せる筆者の知識は大したものだと思う。
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