青銅器時代の父系クラン

 少し前の話だが、こんな記事が出ていた。欧州で青銅器時代の遺跡から「社会的不平等と性差別を示す証拠」が見つかったとの内容で、サイエンス誌に載っていた論文をごく簡単に紹介している。当時でも豊かな農家の墓地で見つかった女性は全て地元ではなく他地域の出身者であり、同じように地位の高い社会階層同士で「娘たちをコミュニティー間で交換していた」ことを示しているとの指摘だ。
 切り口がいかにもGreat Awokeningっぽいところは最近のアカデミアにおける傾向なのだろうが、別の切り口から見るとこれは最近の考古学の急激な発展の一例となる。こちらの一連のツイートにはこの論文も紹介されているが、古人類のDNA、様々な放射性同位元素を使った時間の測定など、新たなテクノロジーによって考古学の世界が急速に変化していることを指摘している。
 考古学絡みの最新技術については、Turchinが紹介していた事例について触れたこともあった。新石器時代の建造物が時系列を経てどのように変化していったのかを詳細に追跡できるようになった結果、そこに永年サイクル的な変化が浮かび上がってきたという話だ。以前よりも踏み込んだ考察を可能にしているテクノロジーについて、我々は感謝すべきなんだろう。何よりも面白い。
 しかしながら、今回の青銅器時代の遺跡に関する研究を見て思い出したのは、こちらのエントリーで紹介した論文だ。7000年前から5000年前にかけてY染色体の多様性が急速に減少したのは、父系クランの存在が理由ではないかという説なのだが、これが成立するためにはY染色体の多様性が減少した時期に、ヒトの社会が父系クランによって構成されていたことが裏付けられる必要がある。
 基本的に狩猟採集社会から農業社会にシフトする過程で、それまで母系制だった社会が父系制に変わったのではないかとの指摘は昔からあった。その前提に立つなら、農業社会において父系クラン同士の生き残り競争が激化した結果、Y染色体の多様性が減っていったという説は成立しそうだ。だが一方で、日本などは古代においてまだ父系ではなく「双系」だったとの指摘もある。実際問題として、どのくらい父系になっていたのかを裏付ける直接的な証拠があれば、その方が望ましいのは間違いない。
 今回、サイエンス誌に載った論文、Kinship-based social inequality in Bronze Age Europeは、後期新石器時代から中期青銅器時代にかけての家族制度に関する直接の証拠となっている。もちろんあくまでドイツの一部地域というエリア的な制限はあるし、時代においても農業社会全体をカバーしているわけではない。それでもDNAという、現代においても親子鑑定に使われるほど明白な証拠が父系制の存在を示しているのは大きな収穫だろう。

 論文によると集めた古人類のDNAは104人分に相当するという。親子関係にある個体同士を調べると、親と同じ墓所に埋められているのは息子ばかりだったため、これが女性の族外婚と父方居住の証拠になっているそうだ。場所によっては4~5世代にわたって父系での居住が行われており(Figure 3)、父系制がこの時代から根付いていたことが分かる。
 また地位の高い農家の墓所からは、血縁関係にある地元の娘たちの人骨が見つかっていないそうだ。地元の女性を避け、敢えて遠い地域の(おそらくは地位の高い)女性と結婚していた理由について、論文筆者のミトニクは「遠いコミュニティーと広大な貿易ネットワークを結ぶ必要」のため「自分たちの娘を貢物として嫁がせることで、友好関係とネットワーク拡大の促進に用いた」と解釈している。つまり経済活動のために女性の交換をしていた、という理屈だ。
 もちろんそういう面もあっただろうが、果たしてそれだけだろうか。以前紹介したグレゴリー・クラークのFor Whom the Bell Curve Tollsによれば、近代以降において結婚相手の選択に際しては自分の遺伝子型との相関が高い相手を好んで選んでいた傾向があったという。そしてそうした相関は、男性の親と女性の親の職業地位が似通っているほど高かったようだ。
 青銅器時代はおそらく近代よりも職業地位が単純で分かりやすい時代だっただろう。そんな時代において結婚相手を選ぶ場合、社会的地位の高い農家は同じように社会的地位の高い別の農家から配偶者を探していたのではなかろうか。そして地位の高い農家ほど、地元に同じくらい地位の高い別の農家が存在する可能性は低い。釣り合う相手を探せば遠方にならざるを得ないし、そうであれば遺伝子型で望ましい相手を探すついでに、結婚を貿易ネットワーク構築にも役立てようとするのは、それほどおかしな考えでもない。
 農業社会の始まりにともなって富の蓄積が進み、そうやってたまった富を守るために父系制が広まったのだとしたら、遺伝子型の釣り合う相手と婚姻を進めるためには「娘を嫁がせる」方法しかない。いやもちろん2人目以降の息子を出すという選択肢もあるが、死亡率の高い時代に控えとしての役割を担う2人目以降の男子をポンポンと放出するわけにもいかなかったのだろう。別に「貢物」として女性を贈りあっていたわけではなく、適切な配偶者を探した結果として女性が族外婚をする度合いが圧倒的に高かった、だけかもしれない。
 アカデミアにおけるリベラルな価値観の広まりは、時としてキャンセルカルチャーのような変な動きを生み出してしまっている。クラークだけでなくピンカーもその攻撃対象になっていることは前にも指摘した。青銅器時代に起きた事実について把握することと、それをどのように解釈するかという点については、きちんと切り分けて論じた方がよさそうに思われる。でないと「農業社会の不平等や性差別はクソ、やはり狩猟採集社会こそ至高」みたいな変な話につながりかねない。

 実はミトニクらの論文には、もう一つ面白い話が載っている。Figure 2にグラフが掲載されているのだが、ドイツ南部におけるヤムナヤの影響度の変化だ。ヤムナヤ文化はポントス・カスピ海ステップで栄えた遊牧民の文化で、彼らは騎馬を使って欧州各地を支配したとされているのだが、その彼らの影響がドイツ南部の墓所から見つかったDNAにも刻み込まれていたそうだ。
 最も古い縄目文土器文化(CWC)の時代(今から4500年ほど前)の墓所を見ると、先祖にヤムナヤ文化の人間が含まれていた割合は3分の2に達していたという(Figure 2B)。加えて男女別でみるとヤムナヤ文化は圧倒的に男性寄りで、一方で彼らより前に欧州に農耕をもたらしたと考えられているアナトリア新石器人のDNAは圧倒的に女性寄りとなっている(Figure 2C)。これは西欧人が南北アメリカを支配した後に見られたのと同じ傾向であり、ヤムナヤ文化の遊牧民がおそらくは暴力的な方法で欧州を支配したのではないかと思われるデータだ。
 ところが続く鐘状ビーカー文化(BBC)の時代になると、ヤムナヤとアナトリアの男女比はほとんど偏らなくなっている。子供たちの世代になることで性別の偏りが消えたのだろう。加えてヤムナヤを先祖に持つ比率は半分強まで減少し、アナトリア新石器人の先祖が増えている。初期青銅器時代(EBA)、中期青銅器時代(MBA)と時代を下るにつれて、ヤムナヤの比率はさらに低下し、アナトリアの比率が5割を超えるに至った。
 論文では、ステップの影響が少なかった他地域との婚姻が進んだ結果として、アナトリアの血筋が増えていったのではないかと指摘している。そういう面もあると思うが、個人的にはヤムナヤ系が支配者として外部からやって来たものの、数は少なかったことも背景にあるのではないかと考える。婚姻は地域間のDNAを混ぜ合わせただけでなく、時とともに社会階層間のDNAも混ぜ合わせたことだろう。どんなに遺伝子型の相関が高くても1にはならない。必ず社会的地位の異なる者の間で子供が生まれ、平均への回帰が生じる
 社会的地位の高い農家の墓所を調べると、時とともにヤムナヤの影響が減っていった。地位の高い層に薄く展開していたヤムナヤDNAが、次第に他の層と交じり合っていったため、地位の高い農家だけを調べればヤムナヤの度合いが低下したように見える。ヤムナヤの遊牧民たちはアナトリア系農民たちを支配したつもりだっただろうが、時間がたつとむしろ彼らに飲み込まれていき、やがては支配者層の子孫たちですらアナトリア農民のDNAにどんどん侵食されたのではないだろうか。
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