農業生産性史

 Seshat関連の新しい論文が出ていた。An integrative approach to estimating productivity in past societies using Seshatというやつで、今回は題名の通り農業生産性に焦点を当てたものとなっている。近代以前の生産性について、どのような推計モデルを作れば歴史上のデータと比較的整合性の取れた数値を算出することができるか、をテーマにした論文である。
 モデルのメカニズムはFigure 4を見てもらうのがいいだろう。Seshatにあるデータから栽培品種や作付けシステム、灌漑、肥料といったデータを集め、これに気候条件や人為選択の効果を加え、さらに過去にさかのぼった歴史的なデータを入れる。後はモデルに従って生産性がどのくらい時代とともに向上したかを推計し、それと現代のFAO(国際連合食糧農業機関)によるデータを比較する。モデルと現代データとが大雑把に一致すれば、モデルの妥当性が裏付けられる、というわけだ。
 まずは栽培品種。Turchinはこちらのツイートで主な栽培作物の発祥地をまとめているが、その種類はやたらと多い。何しろ日本列島ですら小豆とヒエの原産地として名前が挙がるくらいであり、栽培されている品種を広く捉えようとするとその種類は極めて多岐にわたるのは避けられないだろう。というわけで論文では大半の品種は対象外とし、3種類のみを取り上げている。コムギ、トウモロコシ、そしてコメだ。
 これらの作物は品種ごとに灌漑や肥料がもたらす生産性への効果が異なる。Table 1を見れば分かるのだが、コムギとトウモロコシは肥料による生産性向上効果が極めて高く、コメは低い。一方、灌漑がもたらす生産性向上はコムギが最も高く、次がコメで最後はトウモロコシだ。作付けシステムは「三圃式農業」や「二期作」といった作付け手法のことで、単位面積の年あたり収穫量を調べるうえでは、このシステムについても調べておく必要がある。
 しかし最も興味深いのは、人為選択とそれがもたらした穀物生産性の変化だろう。これはコムギ、コメ、トウモロコシのそれぞれについて、過去のデータを調べて推計した生産性の推移がそれぞれグラフにまとめられている。コムギはFigure 1、トウモロコシはFigure 2、コメはFigure 3がそれだ。興味深いことにコムギとコメはかなり似通ったグラフになっているのに対し、トウモロコシは独自の変化を遂げていることが分かる。
 トウモロコシの生産性の推移は僅かに加速しながら右肩上がりが続いている。トウモロコシの単位面積当たり収穫量は穂軸の長さに応じて増える(Figure 2a)のだが、歴史的には穂軸の長さはずっと継続的に伸び続けている(Figure 2b)。前者のR自乗は0.80、後者は0.99もあり、この相関はかなり高いと見ていいだろう。トウモロコシに関して言えば新しい時代ほど収穫量が多いという単純な変化があったと考えられる。
 それに対し、コムギは不連続な変化をしている。こちらでは収穫量を算出するデータとして粒重を使っているのだが、時代と粒重との関係(Figure 1b)はトウモロコシのような一直線の増加にはなっていない。紀元前1万年から6000年までの期間は右肩上がりで増えているものの、それ以降から紀元後1500年頃までは完全な横ばいとなり、そこからまた急増するという流れになっている。
 こちらの話によると、最初に栽培が行われたのは、野生ヒトツブコムギとクサビコムギの雑種である野生フタツブコムギだったそうだ。そうして生まれた栽培型フタツブコムギはヒトの手によって栽培範囲を広げられたのだが、その結果としてタルホコムギの自生地と重なり、両者間でさらなる雑種、すなわちパンコムギが生まれたという(36/56)。およそ8000年前、つまり紀元前6000年頃にはパンコムギが存在していたことが考古学的に判明している。つまり紀元前6000年までの収穫量増加は、パンコムギに至る品種改良の効果だと考えられる。そして一度パンコムギが生まれると、そこで収穫量増加が止まってしまったのだろう。
 問題は紀元後1500年以降に生じた急増だ。これが20世紀の出来事ならまだ分かる。緑の革命(上記pdf、19/56)によって新品種と栽培技術の改良が進み、大幅な増産が達成されたことはよく知られている。だが論文中にもあるように、この生産性上昇が始まった時期はもっと前。一応、科学革命の時期と多少は近くなっているが、その時期にコムギの品種改良がどれほど発展したのかについては、正直よく分からない。
 似たような推移はコメにもみられる(Figure 3)。こちらで対象となっているのはジャポニカ米。穀物の幅から収穫量を推測しているのだが、栽培化が始まった紀元前6000年から紀元前3000年までの収穫量の増加、その後の成長の停滞、そしてやはり紀元後1500年頃からの再上昇という、コムギで見られたのと同じ傾向が存在することになっている。ただしコムギと異なり、コメについて1500年前後のデータはあまり存在しないようで、本当にこの論文で想定されたような推移だったのかどうか、これまた判断に困るグラフとなっている。

 いずれにせよ品種ごとに異なる人為選択による生産性の変化を、実際の歴史的な地域に当てはめた結果が、Figure 5にまとめられている。Seshatが調べている30超の地域全てではなく、生産性に関する複数データを入手できる8つの地域、即ちラティウム、上エジプト、パリ盆地、スーサ、黄河中流域、カンボジア盆地、オアハカ峡谷、そして関西のみが、検証対象だ。
 ラティウムについてはローマ帝国時代の推定値はデータより低めに出ているのに対し、中世や近代初期についてはむしろ高く出ている。これらについては、ローマ帝国期から近代初期に至る気候条件の悪化がモデルに十分反映されていないためではないかと推測している。上エジプトについては、ごく初期と、近代の双方で見られる生産性の急上昇を上手くデータで表現できたと見ている。
 パリ盆地はラティウムと似た傾向が見られる。論文ではやはり気候条件の悪化があったのではないかとの仮説の他に、三圃式農業の採用についても考慮する必要があるとしている。スーサについては推計とデータがよく一致しているのだが、そもそもデータの数がかなり少なく、それを増やす必要があるようだ。黄河中流域においては、近代初期の評価がかなり高い方に寄っている。
 カンボジア盆地は歴史的なデータとの整合性は取れているが、20世紀に入ってからのFAOの水準は推計値より低い。カンボジア内でもカンボジア盆地の生産性はそれ以外の地域より大幅に高いことが影響していると考えられる。オアハカ峡谷も途中はいいのだが20世紀の推計値は実際よりかなり高くなっている。対照的に関西の場合、20世紀に入って以降の急速な生産性の向上を推計値が追いかけ切れていないのが見て取れる。
 それでも2000年時点のデータと、1500年時点の推計値を比較した分布図(Figure 6)はそれなりに高い相関を示している(R自乗が0.70)。もちろん全ての地域で整合性が取れているわけでないことは、上の個別事例でも紹介した通り。それでもデータの存在しない時代について、こうした手法を使って生産性を推測する手法は、それなりに使えそうに見える。

 さらにこの論文では、モデルに使った要因のうち、実際にどの要因が生産性に大きな影響を及ぼしたかについても述べている(Table 2)。圧倒的に影響が大きいのは人為選択と作付けシステムだ。人為選択による変化については既に詳しく述べているが、作付けシステムも効果は大きい。まあ単純に隔年での作付けが毎年に変われば生産性は2倍に増えるわけで、その効果が大きい点に違和感はない。
 一方、肥料や灌漑、そして天候といった要因はあまり大きな変化をもたらしてない。気候については対象期間が全て氷河期後の期間だと思えば、変化といってもそれほど大きな変化ではなかったと解釈することも可能だろう。肥料については地力の低下を抑制する役割はあると思うが、それ自体が生産性を大きく向上させるほどの効果を持ったのは化石燃料からのエネルギーを投入できるようになったハーバー・ボッシュ法以降であり、論文が対象とした期間については効果が乏しかったのかもしれない。
 そして灌漑は、単位面積当たりの収穫量を動かすよりも、作付け面積の拡大という効果の方が大きかったのだろう。灌漑は栽培の難しい土地を耕作可能地に変えることで、人口の増加につながるような穀物生産量の絶対値を増やしたのだと思われる。治水や干拓といった取り組みもおそらくは同じで、今回の論文のような切り口では効果が出にくいが、人間社会においてはやはり重大な活動だったと推測される。
 農業は複雑な社会の形成に戦争と並んで影響を及ぼしたとの説がある。それだけに農業の生産性について推計する手法があれば、色々とそこから展開することができるのだろう。ちなみに戦争がグループ内の利他性を高めるという主張に対しては、最近になって異論を提示する論文も出たようだ。
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