ビッグヒストリー

 これまで火薬兵器の伝播という切り口でSeshatのデータについて色々と述べてきたが、ある意味これに関連するなと思ったのが「新しい世界史へ」について書かれたある書評に出てくる指摘だ。
 この書評によると、この本は「世界史の語り方」を考える一冊、なのだそうだ。日本でよく見かける一般的な世界史は「バラバラだった世界が、欧米が主導して一体化してきた」というストーリーに基づいて書かれているものが多い。中国の歴史の教科書などは違うが、こちらは現在の体制から自国と他国を分け、程度の差こそあれ、自国を中心に据えて歴史を語るものであり、ユーロセントリズムの代わりにチャイナセントリズムを据えているだけになっている。そうではなく。地球市民が共有する知識の基盤となる世界史が必要だ、とこの本は述べているらしい。
 そのために手法として打ち出しているのが、法の支配や人間の尊厳といったいくつかの価値について、それぞれの人間集団でどのように扱われていたかに着目し、人間集団の類型化を図るという手法だ。「ある時代における世界全体の様子」の解像度を凄まじく上げた図を描き上げるようなイメージになるそうで、そうすることでその世界史を学ぶ人が自分自身を地球という共同体に生きる一人だと認識できるものになるという。
 確かに世界史が欧州中心に教えられてきたのは事実だ。それでも足元はまだマシで、戦前の「世界史講義」なる書物を見れば、内容がほぼ西洋史になっていることが分かる。要するに昔はユーロセントリズムの度合いが今以上にひどかったわけだ。それだけに世界史の語り方を変えるべきだとの主張が出てくるのは理解できるし、実際に「グローバル・ヒストリー共同研究拠点の構築」というプロジェクトで取り組みが行われ、関連する出版物など色々な成果を出してきたようだ。
 ただ、こうした課題に取り組むなら、むしろSeshatのデータを拡充する方向で力を貸す方が手っ取り早かったようにも思える。この本が出た時点でSeshatはまだ発足したばかりであり、どこまでプロジェクトが進むかについてきちんと見通せる状況ではなかっただろうが、注目すべき価値観を先に決めてしまい、それに合わせた見取り図の提示というところまでしか踏み込めなかったこの本に比べると、もっと具体的に数値データ化をにらんで行われたSeshatの方がより野心的な取り組みだったと言えそう。
 そもそもユーロセントリズムに対する批判的な見方は以前から存在したし、それに代わる世界史の観点についての議論も昔からあった。TurchinやLiebermanらのようにユーラシア中央のステップ地帯に注目する見方にしても、遡れば例えば梅棹忠夫が1957年に発表した「文明の生態史観」の中で、既にそうした観点が示されている
 地球市民が共有できるような視点が提示できれば、それは確かに意味のあることだろう。でもその視点が主観的か否かを判断するのは、決して簡単ではない。少なくとも近代以降の歴史において欧州中心になってしまうのは、現実問題として欧州の影響が世界でも最も大きかったという客観的な事実に基づくものであると主張されれば、否定するのは困難。梅棹に始まるステップ地帯に着目した視点についても、ユーロセントリズムならぬステップセントリズムではないかという批判は可能だ。
 それぞれの視点がどれだけ客観的であるかを主張するためには、客観的な証拠が必要になる。そのための前提としてデータ集めを優先したSeshatの手法の方が、プロジェクトの進め方としては適切だったように思う。「自国/自国以外」を強調しない、「中心/周辺」のような構造化もしない世界史、というお題目は理想的ではある。でも実際にそうしたお題目通りの世界史を構築できるかどうかはまた別問題だし、実際に「中心/周辺」のような構造が存在していた場合、むしろその世界史は事実ではなく虚構を教えることになってしまう。偏見や思い込みではない歴史を語るためには、「地球市民として持つべき価値」よりもまずはデータ収集を優先した方がいいのではないか、と個人的には考える。

 もちろんSeshatのデータが正確かどうか、という問いは常に行うべきだろう。火薬兵器のデータについて述べたように、Seshatのデータには調べてみて妥当だと思えるものがある一方、ところどころに怪しいデータが紛れ込んでいる。もしモデルを支えるデータが当てにならなければ、モデル自体も成立しなくなるわけで、データ化は必要だと思うがデータについての恒常的な洗い直しは欠かせない。
 そもそも歴史について定量的な分析を試みた事例は随分昔からあった。The Revival of Quantification: Reflections on Old New Historiesによると、米国では少なくとも19世紀末から20世紀初頭には「新しい歴史」と呼ばれる定量的な歴史叙述に対する取り組みが始まっていたという。
 google booksを使って「新しい歴史」が使われている事例を調べたグラフ(Figure 2)を見ると、1920年代をピークにこの用語の使用が増えていることが分かる。またAmerican Historical Reviewという専門誌に載った記事のうち、数値データを含むものの比率も1920年代から30年代にかけてピークを示していた(Figure 3)。この時期に使われていた表は極めてシンプルなものが中心だったが(Figure 1)、それでも定量的な歴史叙述が増えていたことは確かなようだ。
 このムーブメントは1930年代以降にいったん低迷するが、60年代から今度は「新しい経済史」「新しい政治史」「新しい社会史」という名称の下に、再び定量的な歴史に対する志向が強まる。それぞれに性格は異なるムーブメントだったが、伝統的な歴史の専門誌であるAmerican Historical Reviewにおいても1960年代から80年代にかけて再び表やグラフのある記事が増えている(Figure 7)。
 しかし1970年代後半にはこうした定量的な歴史への批判も登場してきた。また1980年代に現れた「新しい文化史」が定量化に対してほとんど関心を持っていなかったこともあり、再び定量的な歴史叙述が減少していく流れが生じてきた。1990年代から2000年代にかけ専門誌では表やグラフが減っていく。ただし歴史の専門誌ではなく、人口動態や社会学、経済学、政治科学といった分野の雑誌で定量的な歴史について記した記事についてはそうした傾向はなく、むしろずっと右肩上がりの流れが続いていた(Figure 11)。
 Goldstoneの経歴は、この時期の流れを示す典型例と言えるだろう。彼は社会学の方から歴史に手を伸ばし、歴史学者が定量的な分析に関心を失いはじめていた1990年代初頭にRevolution and Rebellion in the Early Modern Worldを書いた。彼の本が歴史学の世界でほとんど受け入れられなかったのも、そうした時代的な背景があったからであり、一方で社会学の世界できちんと評価されたのは、彼らの側では引き続き定量化ブームが続いていたからだろう。
 2010年代になって、3度目となる歴史の定量化の流れが始まっている。ただしそれはあくまで歴史の専門誌のみの世界であり、他の分野における歴史の定量的叙述はずっと増加傾向が続いている。比率ではなく絶対数で見えると、特に21世紀以降は定量的な歴史の量が急増している(Figure 13)。インターネットの普及でデータ自体の収集が簡単になり、かつそれをグラフや表にする作業が簡単にできるようになったのが背景にあるのだろう。
 歴史の定量化はTurchinやGoldstoneが始めたものではない。その背景には長い歴史があるし、おそらく今後も長く続いていくと思われる。その過程では過去と同様、ブームが盛り上がったり、逆に鎮静化する場面もあるだろう。でもデータを完全に無視した歴史叙述は相当難しくなっていきそうに思える。特にビッグヒストリーを取り上げる場合はそうだろう。
 ビッグヒストリーについて触れている最近の書物を評価する簡単な方法として、採録されている表やグラフの数を数える、というやり方があるのではないかと個人的には思っている。Turchinだけでなく、Pikettyの「21世紀の資本」や、ScheidelのThe Great Levelerなどは、この判別法では高い評価を得ることになる。それと真逆なのがハラリの「サピエンス全史」やスコットの「反穀物の人類史」など。本を買う前にぱらぱらとめくってみて、表やグラフがなければ購入を避けるという方法が、金や時間の無駄遣いを避けるうえで役に立ちそうだ。
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