レビューではこの本について、なぜ欧州がローマ帝国崩壊後にバラバラになったのか、それがいかに欧州の勃興と「大脱走 the Great Escape」につながったのか、そしてこうした問題を解くうえでどのような手法が使えるかについて焦点を当てている。このうち最初の話でまず出てくるのが地勢的な影響であり、他ならぬジャレド・ダイアモンドの「分断された土地仮説」だ。その中には以前
こちらのエントリー で取り上げたFernández-VillaverdeやMark Koyamaらの論文についても言及している。やはり誰でも似たようなことは思いつくものらしい。
もちろんTurchinはこの見解には異論を持っている。彼はまずダイアモンドの説明(入り組んだ海岸線、土地を分断する山地、河川の流れが放射状であること)を紹介したうえで、それに反論していく。第1に海岸線問題だが、これについては「内海と海峡は分断をもたらすとは限らない」と主張している。フェニキア人とギリシャ人は地中海を通じて植民都市を広げ、ローマは「我らの海 Mare Nostrum」を使った交易で首都100万人の人口を支えた。バルト海も同様の機能を果たしたという(ハンザ同盟)。
ローマの崩壊後も地中海を挟んだ国はいくつも存在した。ビザンツ、オスマン帝国、スペインのイタリア支配、そして最近で言えばフランスによるアルジェリアの植民地化などがその事例、だそうだ。このあたりは確かにそうだが、いささかチェリーピッキングにも見える主張。むしろ中世以降は地中海の南北で政治的にも宗教的にも分断が長く続いていた、と主張することだってできそうに思える。
次に山地については分断をもたらすことには同意しているが、一方で北ヨーロッパには大きな山のない平野がフランスからドイツ、ポーランドを経てロシアにまで広がっていることを指摘。これらの地域にある都市は西のパリから東のモスクワまで、何度も敵に蹂躙されているという。それに比べて中国はより山地によって分断されており、例えば長安のある関中などはその典型。もちろん中国東部にまとまった平野があることは認めているが、黄河流域や長江流域の勢力がくり返し中国を統一したかというと、必ずしもそうではないとTurchinは指摘している。
確かに平野部に拠点のあった勢力による統一回数はそれほど多くない。思いつく限りでも後漢、西晋、北宋、明といったあたりか。逆に関中から統一した国家といえば秦、前漢、隋、唐あたりの名前が挙がるし、そもそも中国中心部ではない地域からの統一例として元と清がいる。ただしこの母数から傾向を見つけるのは、そもそも無理がある気もする。Turchinは長安が「最も一般的な統一センター」だとしているが、数え上げた限りそれほど長安が突出しているわけでもない。
また、Turchinは
Fernández-Villaverdeのモデル だと関中が統一センターになった回数が少なすぎると指摘している。それはその通りだが、同時にこのモデルだと意外に平野部から帝国が生まれた事例が少ないこともよく分かる(Figure 16)。大半の帝国は北部の、平野に近い山岳部からスタートしており、関中と同一条件ではないとしても似たような地域(生産力のある平野に近く、一方で防衛に向いた地域)から生まれた様子は窺える。
地勢に絡む話のうち、河川の流れはむしろ中国の統一にとっては不利だった、というのもTurchinによる異論の一つだ。確かに東西の流れしかない状態では南北の交通はむしろ不便だったのは間違いないだろう。大運河の建設によってこの困難が突破された後に華南の中華圏への編入が加速した印象があるのは否定できない。もっとも、放射状に流れる欧州の河川が中国よりも統一に向いているかと言われると、何とも判断しづらい。少なくとも北ヨーロッパの平野では中国と同じように平行に流れている河川が多い。
全体としてTurchinによる「分断された土地」仮説に対する異論は、説得力という点でそれほど強いとは思えない。それなりに論拠はあるが、例えばきちんとデータを揃えた主張かというとそうでもない。結局のところ彼が言いたいのは「ステップからの距離の方がより重要」という主張なのであり、分断された土地仮説そのものを全面否定しようとしているわけではないことが、この中途半端な議論の背景にあるのだろう。このステップからの距離についてはScheidelも「より明確で間違いなく強力な」要因としている。
西欧がなかなか統一されない理由について触れた後に、Turchinはその西欧の「競争的な分裂した諸勢力」の存在こそが西欧の勃興につながったというScheidelの話を紹介しているのだが、その際に彼が持ち出すのが「文化的マルチレベル選択」だ。マルチレベル選択に対する私の姿勢は、
こちらのblogにある見解 とほぼ同じ。理論的には包括適応度と一緒であり、使い勝手のいい方を使えばいいのだが、マルチレベル選択という言葉を敢えて使う人々の中にはナイーブなグループ選択を持ち出す向きが多いので注意が必要だと思っている。そしてTurchinは、ナイーブなグループ選択の意味でマルチレベル選択を持ち出すケースがまま見受けられる。
ただ今回のレビューではそこまでナイーブなグループ選択の議論は出していない。問題点が表面化しやすい生物関連の話ではないこと、またTurchinが「最も団結したもののみが生き残る」と表現したような西欧の環境が、割とマルチレベル選択での説明に向いていたことなどが理由だろう。もちろんツッコミは入れられる。ナイーブなグループ選択が成り立つのなら、なぜ大きな帝国だったオスマンやポーランド=リトアニアが解体に向かったのに、中規模な西欧の諸国はそうならなかったのかの説明が難しい。個々人の包括適応度にとってあの環境では中規模国家がパレート最適だった、と考える方が理屈が通るのではなかろうか。
そして次に書いているのが、西欧の勃興を説明する理論についての主張だ。Turchinは、例えば
グレゴリー・クラークの主張 のような欧州の「特異な」特徴に基づいた説明は、実証的に検証できないことが問題だとしている。近代初期欧州以外にも通用するような一般的な理論を使って説明しない限り、その説明が本当に意味があるのか判断がつかないというわけで、それはその通りだと思う。
そのうえで彼はScheidelの使った「反事実」、つまり歴史のifに基づく方法について「歴史科学において多大な潜在力を秘めている」ことは認めながらも、もっと数学的なモデルを使って取り組むべきだと指摘している。つまりSeshatのような歴史データベースを多くの人間の力で積み上げ、同じように多くの学者が連携して数学モデルを使った分析に取り組むべき、という考えだ。その実例として彼はFernández-VillaverdeやBennettらの分析、
Koyamaが参加している別の論文 などを紹介している(後者については
プレプリント らしきものもある)。
Scheidelが唱え、Turchinがまとめている西欧勃興の要因、すなわち「分断された競争的な諸勢力」の存在と「その原因となったステップからの距離」については、おそらくそう間違った議論ではないのだろう。少なくともTurchinはScheidelの本について「とても肯定的」だと記している。次に求められるのは、これまたTurchinの言う通り、モデルなり何なりを使ってそういった要因の影響度をより定量的に調べることだろう。もちろんそれ以外の可能性がないのかを調べていくことも必要。西欧の勃興というテーマは多くの注目を集めているものだけに、今後も注目していきたい話ではある。
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