誰がために 上

 グレゴリー・クラークの「格差の世界経済史」について、以前こちらで紹介したことがある。邦題からは想像もつかないだろうが、原題はThe Son Also Risesというヘミングウェイのダジャレであり、かつ中身は「世代を経た社会的流動性は世間一般に思われているよりもずっと小さい」という、現代社会の価値観からするといささかヤバそうなテーマを扱ったものだ。
 そのクラークに関する話が、経済学101で触れられていた。彼が書いた論文のアブストラクトを引用しているものだが、ざっと読んでもらえば、彼が相変わらずヤバい主張をしていることが分かる。上記の本で述べたように、彼は歴史上の多くの社会がいずれも実績主義的であり、その実績は遺伝を通じて生まれながらに持っていた実力によってもたらされていた、と主張している。もちろん、今回の論文でも同じことを書いている。
 それだけではない。遺伝を通じた影響が長期にわたって続くために必要とされる「生殖において強い遺伝的な選別」がなされてきた証拠もあるのだそうだ。生殖における遺伝的選別とは、ヒト以外の生物で行われる場合は人為選択、または品種改良と呼ばれる行為であり、それと同じことがヒトの間でも実行されてきたのではないか、と書いているのがこの論文だ。いやー相変わらず空気を読まずに過激な研究結果を出しているようで、実に面白い。

 彼の論文はFor Whom the Bell Curve Tolls。これまたヘミングウェイのダジャレだ。副題にA Lineage of 400,000 English Individuals 1750-2020 shows Genetics Determines most Social Outcomesとある通り、人々の社会的な地位などが主に遺伝によって決まってきたことを、18世紀半ばから足元に至るまでの英国人40万人分のデータを使って立証したものである。以前からそうした主張はしてきたが、それを大規模データで立証した部分がこの論文のキモだろう。
 論文ではまず、人々の社会的地位などを決めるモデルを複数提示し、それぞれのモデルから想定できる結果を説明している。Turchinもよく理論をモデル化し、それを歴史的データと照らし合わせるということをやっているが、同じ取り組みだろう。まず最初に示すモデルは社会―遺伝的モデルで、続柄によってどのような関係ができるかをフィッシャーの理論に従いながらモデル化している。
 興味深いのは、両親から受け継いだ遺伝子型と、それにランダム要素を付け加えた表現型との間に存在する差だ。この違いは、両親が結婚相手を選ぶのに際し、遺伝子型に基づいて選ぶ場合(Figure 1)と、表現型に基づいた場合(Figure 2)とで、続柄間の相関に変化をもたらす。純粋に遺伝子型で選ぶと、親子間の相関は兄弟間の相関と全く同じになるし、祖父母と孫の間の相関は叔父・叔母との相関と等しくなる。一方、表現型で選んだ場合、直系親族間(親子や祖父母と孫)との相関が、兄弟間や叔父・叔母との相関よりも高く出る。
 人間は結婚相手の遺伝子型を直接見分けることはできないため、現実味があるのはFigure 2の想定だ。つまりデータにおいて直系親族との相関の方が、傍系親族との相関より高くなる傾向があれば、それだけこの社会―遺伝的モデルの方が現実をよく説明していることになる。
 もう一つ、このモデルから、両親が結婚相手として自分たちとどれだけ表現型が近い相手を選ぶかによって社会的な結果の分布に違いが生じる、という結果が導きだされる。Figure 3にある2種類のベルカーブはまさにそれを示している。両親が完全にランダムに結婚する場合に比べ、両親が表現型の近い相手を選ぼうとする頻度が高ければ、それだけ社会的結果が大きくばらつく格好だ。ちなみに完全にランダムなら夫婦間の遺伝子型の相関は0.5になるが、データによるとこの数字は実際には0.6-0.8となっている。
 この社会―遺伝的モデルが持つ9つの特徴が、論文p8-11に載っている。家系図を離れるに従って相関がどう変化していくか、兄弟の相関が親子と同じかそれ以下にとどまること、両親の結婚相手選びが遺伝子型と表現型でどう異なるか、性別による対称性、平均への回帰の線形性、家族の規模がもたらす影響がないこと、同じく生まれの順番による影響がほとんどないこと、生きている親族と死んだ親族それぞれの相関が変わらないことなど、様々な論点がここで提示されている。
 次にクラークが提示しているのは経済的モデル。要は両親や社会による子供への投資が、その子供の社会的結果につながるというモデルだ。残念ながら広く受け入れられているいいモデルは存在しないようであり、クラークの説明も短いものになっているが、一応このモデルからは両親の財産が持つ影響力の大きさや、子供の数が増えた場合のマイナスの影響、また両親が早く死去した場合の影響などが想定されるという。何より社会による投資によって社会―遺伝的モデルより親族間の相関が下がることが想定されるのだが、実際のデータは社会―遺伝的モデルに近い相関を示しており(Figure 5)、この経済的モデルを成立させるとは言い難いようだ。
 そこでクラークが持ち出すのは文化モデル。いわば文化資本が子供の社会的結果につながるというモデルで、遺伝子の代わりを文化資本が果たすわけだ。ただし、文化資本は遺伝子とは異なるため、その違いは親子間と兄弟間の相関に表れる。兄弟は同じ文化資本で育つのに対し、子供が親と全く同じ文化資本の中で育つことはあり得ない(必ずランダム要素が入ってくる)。従って親子間より兄弟間の方が相関が高くなるし、親と同じ文化資本で育った叔父・叔母との相関は親子間の相関と一緒になるはずだ。一方、上でも説明したように、社会―遺伝的モデルでは親子の相関は兄弟と同じかそれよりも高くなる。

 以上のようにモデルを提示したうえで、クラークは具体的にデータを使ったモデルの裏付けに取り組み始める。使用したのは1750~1929年生まれの人々で、彼らの死亡時の財産、職業の地位(348の職種について、死亡時の財産の平均、その職種に就いた人のうち大卒同等以上の割合、同じく11~20歳に教育や訓練を受けていた人の割合を基に、社会的地位を計算している)、高等教育を受けたかどうかについて使えるデータを抜粋。続柄によってそれぞれがどのような関係にあるかについて、データをまとめあげている(Table 4)。
 興味深いのはFigure 7でグラフ化されている親子間と兄弟間の相関比較だ。グラフには上の3つの指標以外に、寿命、初婚年齢、初婚時の妻の年齢(データの大半が男性のものであるため、こちらも追加したと思われる)も表示されている。見ての通り、ほとんどの指標は親子間でも兄弟間でも同じ相関度を示している。わずかに死亡時の財産が少しばかり親子間の方が高くなっているくらい。
 クラークはこの結果について、文化的モデルと遺伝的モデルのどちらとも食い違っている、と指摘している。文化的モデルなら兄弟間の相関が高くなるはずだし、社会―遺伝的モデルなら(表現型に基づいて結婚相手を選んでいる以上)親子間の方が高くなっておかしくない。文化的モデルで想定される以上のばらつきが兄弟間に生じており、それをもたらしているのが遺伝的な要素ではないか、というのが彼の考えだ。
 それをより明白に示すのは父親と叔父との相関を比較したグラフ(Figure 8)だ。文化的モデルならこの両者は同じになるはずだし、社会―遺伝的モデルだと親子間の方が高い相関となる。結果は明白に後者を支持している。上記3指標に寿命を加えた4つの要素はすべて親子間の方が高い相関を示しており、つまり社会―遺伝的モデルの方が実態をよく表している。文化資本ではなく、遺伝子の方が子供の社会的結果(職業や財産、教育、寿命など)により大きな影響を及ぼしていると考えられるわけだ。
 クラークは文化的モデルについて多少手を加え、親子と兄弟が同じ程度に相関するモデルも提示している。だがこのモデルは、親子間と兄弟間の相関を比較する際にはデータと適合するものの、もっと遠い親戚関係に関するデータを説明するには無理がある。だが実際のデータにおいては、かなり遠い親戚(またいとこやみいとこ)になっても一定の相関が見られる(Figure 9-11)。同じ文化資本を享受しているとはとても思えないが、ある程度の遺伝子型は共有しているもの同士に、そうした相関があるわけだ。

 長くなったので以下次回。
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