Turchinが
Ages of Discord の中で紹介した永年サイクルでは、大衆のウェルビーイングが足元でいかに低下しているかについて様々な代理変数を使って指摘している。第11章にはそれを含めた数多くの代理変数の一覧表を載せているのだが、表だけで1ページを埋め尽くしているほど、数は多い。こうしたデータの豊富さこそが彼の書物最大の特徴だしアピールできる点であるのは確かだ。
だが面白いことに、それだけ多数ある代理変数の中に、1つだけ足元でも悪化の見られない変数が存在する。それが平均余命だ。大半の変数が1960~70年頃にトレンドが逆転している中で、生誕時の平均余命、つまり平均寿命は、20世紀末になっても引き続き改善を続けていた。大衆の賃金水準などは頭打ちになっていたものの、おそらく医療技術などの改善はその後も続いていたのだろう。それが平均余命の改善継続につながっていたのだと思われる。
だが
その流れが足元になって止まっていることは前にも指摘した 。
世界銀行のデータ によれば、米国の平均寿命は2014年の78.841歳がピークで、それから2016年までは低下し、2017年と2018年は横ばいが続いている。東日本大震災のような大災害やインフルエンザの流行などで短期間、平均寿命が下がるケースは他の先進国でも見られるが、足元でこれだけ長期にわたって上昇が見られない事例は滅多にない。
こちらの記事 では、2020年の上半期(1~6月)の推定に基づく平均寿命の数字が紹介されているが、かなり衝撃的なものだ。男性の平均寿命は2019年に比べて1.2歳、女性は0.9歳も短くなったという。2015年や16年の低下がせいぜい0.1~0.2歳の幅だったことを考えるなら、Covid-19の影響がどれほど大きかったかは想像がつくだろう。しかも上半期のCovid-19の死者数はおよそ12万5000人と下半期(25万人)の半分しかない。2020年トータルでの平均寿命低下幅はさらに恐ろしい数字になりかねない。
加えて人種による差も大きく出ている。黒人男性の上半期の平均寿命は3年、黒人女性は2.3年も短くなったそうで、米国全体より低下が激しい。1990年代初頭から2016年まで、米国での人種間における男性平均寿命の差は8年から4.5年まで縮まっていたのに、2020年の前半時点でこの差は7年以上に再び広がった。
疫病が米国内の格差拡大に寄与しているのではとの指摘は前にもした が、人種と言う切り口で見ればその格差は明確にウェルビーイングにも反映されてしまっているようだ。
ただしこの記事によると、経済的な苦境は過去において必ずしも平均寿命の短縮につながったわけではないそうだ。いやむしろ、リーマン・ショック後の不況や、さらには戦前の大恐慌のように、経済が悪化した時代ほどむしろ寿命は延びたという説があるのだとか。例えば、不況期に大きなダメージを受けるのは金持ちであり、貧乏人の生活水準はそれほど変わらないから、寿命への影響は限定的、という理屈が考えられる。あるいはもっと単純に
「労働は健康に悪い」 のかもしれない。
また、2020年の平均寿命低下は避けられないとしても、それ自体は短期的な(下向きの)スパイクに終わる可能性もある。記事によれば2021年に入ってCovid-19の死亡率は急激に低下しているそうで、加えてワクチン接種の拡大も踏まえるなら、大きく低下した平均寿命が2021年にはむしろ大きく上昇する可能性も見ておくべきだろう。問題は、リバウンド後の数字がどの水準まで戻るか、である。
もし2014年のピークやそれを上回る水準まで戻るようなら、それはずっと停滞を続けていた大衆のウェルビーイングに回復の兆しが見えると解釈することもできる(もちろん1年こっきりで結論は出せないが)。一方、戻ったとしてもせいぜい2019年の水準までだとすれば、まだ構造的な問題は続いているとも解釈できる。いわゆる
「絶望死」 の問題はCovid-19以前から存在したし、平均寿命が頭打ち後の水準までしか戻らない場合、この問題が解決されていない可能性が浮かんでくる。
疫病自体が不和の時代に生じやすい、というのがTurchinの考え 。今回のCovid-19もそうした彼の指摘と見事に平仄が合っているのだが、これがさらに大衆のウェルビーイングに大きな影響を及ぼすようであれば、いよいよ不安定性の波が明白になったと捉えることも可能だろう。平均余命のデータは出揃うまでに時間がかかるのだが、引き続き注意して見た方がよさそうだ。
もう一つ、TurchinはAges of Discordの中で、犯罪の発生度合いと社会的不安定性との関係についても分析している(第6章)。彼が政治社会的不安定性で取り上げる無差別銃撃事件といったイベントと全く同じ変数ではないが、これもまた不安定性の波との関連が窺えるデータである。そして、
こちらのデータもまた足元で急上昇しているという指摘 がある。
この現象についてもCovid-19が原因ではないかとの指摘があるそうだが、歴史的に見ればそうとは言い難いようだ。通常、犯罪の増減は配偶者間の暴力や家族の内輪揉めより、無関係な成人間の暴力の増減によってもたらされる。そしてその増減は、人々の政府機関に対する信頼と強い相関を持っているそうだ。こうした研究はTurchin以前からなされており、例えば19世紀のフランスや20世紀後半の米国におけるデータからそうした結論を導き出した研究者がいるという。
ある研究者はそうした分析から、「国家破綻と政府の正統性の危機は、家庭外の殺人急増を生み出し、秩序と正統性の回復はそうした殺人の減少をもたらす」と指摘している。米国の場合、植民地時代の当初は極めて暴力的だったが、大英帝国への統合が強まった18世紀半ばには比較的犯罪が安定するようになった。アメリカ革命の時期には再び悪化したものの、1790年代からは改善して19世紀初頭(好感情の時代)には殺人率は史上最低になった。当時の米国は欧州のどこよりも安全だった。
しかし時間がたつと再び事態は悪化し、南北戦争の頃には再びピークを迎えた。1870年代には一時的に低下したが世紀末にかけては再び上昇したという。こうした変化は政治秩序に対する市民たちの信頼度の強弱と関係しており、政府の安定性、法制度の公平性、そして選出され任命された公職者たちの正統性といったものが、犯罪の発生度と連動していたのだそうだ。
記事の中ではTurchinの話も紹介されている。昨年以来、殺人率は上昇してきているのだが、その背景には政治制度の正統性に対する継続的な攻撃や、米社会の脆弱な結束力といった問題が控えているわけだ。もしそうであれば、問題を解決するためには警官を増やし銃を減らす以上のものが求められるだろう。「国民の問題に対し政治システムが対処できる」という人々の信頼が劇的に回復しなければ、犯罪は簡単には減らない。そして、例えば1月に議事堂を襲撃した連中や彼らの行動を支持した多くの共和党支持者たちが、今の政治システムに対してそれだけの信頼を持っているかと言われると、なかなか疑わしい。
もちろん平均寿命も殺人率も、多数ある代理変数の一部でしかない。他の代理変数も含めて観察しなければ、足元の米国の状況に対する正確な分析は難しいだろう。それでも、これまでのところTurchinの陰鬱な予想を裏付けるような流れになっているのは否定しがたい。政権交代によってこの流れが止まるのか、それとも引き続き不和へのトレンドが強まるのか、今年も注意しておいた方がよさそうだ。
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