制度への信任

 前回紹介した件、特に火の手が大きく燃え盛ったのは、スマホ用の証券取引アプリを提供しているRobinhoodによる一部銘柄の取引禁止だったのだが、なぜ彼らがそのような行動に出たのかについての説明が出回り始めた。平たく言うと「資金繰りが際どくなったのでいったん止めた」ということらしい。
 こちらの記事に書かれているのだが、証券取引は売買をした瞬間に決済することはない。米国の場合だと注文の2日後が決済期限となっている。店で商品を買う場合はその場で決済が行われるのだが、証券取引の場合はそこにタイムラグが生じるわけで、取引関係者にとっては一種のリスクとなっている。そのリスクを抑制するため、証券会社は清算機関に対して一定の預託金を預ける必要があるのだが、その金額は相場変動に応じて変わるそうだ。
 Robinhoodが扱うような値動きが激しく、売買高の大きな銘柄だと、求められる預託金も増えるという。足元で急激に取引が拡大したGameStop株のような場合、預けなければならない金額が急に増えるわけで、そのための資金を証券会社が準備していない場合は株の取引自体に制限をかけざるを得なくなる。Robinhoodが取引を制限したのにはそうした背景があったようで、一方で彼らは大急ぎで借り入れや緊急増資を行って資金を確保し、それによって取引制限の緩和にたどりついたのだそうだ。
 こちらの記事にも似たようなことが紹介されている。それによるとRobinhoodは260億ドルだった保証金を335億ドルまで増やすように求められたそうで、こうした巨額の資金を短時間で準備する術がなかったことが取引制限に至った要因だとしている。決してRobinhoodが「非道なことをしているわけではない」、というのがこの記事の結論だ。
 ところが報道されている記事の中には、そうしたテクニカルな要因を無視しているかのようなものもある。こちらの日本語記事は、ツイートがやたらたくさん並んでいるのを見てもよくある「コタツ記事」にしか見えないのだが、Robinhoodがブログで売買制限の理由として清算機関への預託金の必要性を書いているのにそれを無視し、彼らを批判する個人や政治家、著名人のツイートを大量に紹介している。酷く偏った記事と言えるだろう。
 こちらの記事も同様に偏りがある。同じように上に紹介した資金繰り問題に全く触れることなく取引制限に対する批判の方を取り上げているほか、そもそもSNSを通じて行われていた相場操縦的な書き込みの問題点には触れずに「個人がウォールストリートを打ち負かした」という米メディアの雰囲気をそのまま伝えている。前回も述べた「ダビデとゴリアテ」と同じスタイルの報道であり、実態(強欲な守銭奴同士のあぶく銭争奪合戦)を伝えているとは言い難い。もちろん真っ当な記事もあるが、そうでない記事ほどよく読まれている様子はない。
 煽りスタイルの報道をやっているのはアメリカでも左派寄りのメディアが目立つようだ。New York Timesは「間抜けな金」と馬鹿にされていた個人投資家がウォール街を打ち破ったと見出しで煽っているし、Washington PostはRobinhoodとヘッジファンドの関係に焦点を当てた記事を投下している。確かにRobinhoodの取引先には著名ファンド系列の企業があるそうで、そこに疑問を抱く向きがあるのは仕方ないかもしれない。
 だがそのファンド自体はRobinhoodの取引制限とは一切かかわりがないと宣言している。RobinhoodのCEOもこうした「陰謀論」は何度も否定しているそうだ。つい先日までトランプ支持のQアノンたちの陰謀論を必死になって否定していた左派メディアが、今度は自分たちが陰謀論を焚きつける側に回っているように見えるのがシュール。
 くり返しになるが、実際に起きているのはコロナ対策でばら撒かれた金が集まってくる株式市場に、新旧取り混ぜた守銭奴たちが群がって奪い合いを演じるという、株式市場では昔から見慣れた光景に過ぎない。その中でたまたまRobinhoodがテクニカルな理由によって取引を制限したところ、エリート過剰生産によって増えていたニュービーな(つまり素人)投資家たちが事情を理解せずに陰謀論を唱え始め、それにメディア、政治家などが便乗した、というところだろう。トランプが不正選挙を唱え、それにQアノンや各種右翼が便乗したのと、基本的な構造は変わらない。
 素人投資家が増えると素っ頓狂なことを言い出すやつも増える、というのは、これまた洋の東西を問わず昔からある現象だ。かつてバブルの頃、日本でも急に個人投資家が増えた時があったのだが、彼らは時に取引が成立した株について「購入を取り消したい」などと言い出して証券会社を困らせていた。彼らが買った株は証券会社が持っていたものではなく、取引所を通じて別の投資家から買ったものなのだが、そんな基本的な株式市場の仕組みすら理解しないまま株取引をしていた人間がいたわけだ。今回の騒動を見る限り、おそらく今の米国も似たレベルの状態なのだろう。
 そもそもSNSで買い煽りをやる時点で、怖いもの知らずとしか言いようのない無謀な行動だ。ログの残る媒体を使って相場操縦の証拠を残すような真似をよくやる気になれるものだと感心するが、このあたりデジタルネイティブの感覚は正直理解しがたい。ヘッジファンドだってポジショントークをしているじゃないかという向きもネット上にはいるが、それが問題ならヘッジファンドを告発すればいいわけであり、自分たちが同じことをしても許されるという理屈にはならない。
 とはいえ素人が馬鹿なことをやらかすのも、「ならずもの」が犯罪すれすれの行動に走るのも、それ自体は珍しい事象ではない。問題はそれにメディアや政治家が乗っかってくるところだ。Qアノンのような陰謀論者、プラウドボーイズのような極右もこれまたいつの時代も存在していたが、その連中が議事堂襲撃をやらかすところまで暴走するには、それを支援するトランプや共和党議員のような存在が必要だったわけで、同じことは株式市場にも当てはまるのだろう。普通ならGameStop株で起きた売り方買い方の相場師による踏み上げ展開も、仕手株の一種として業界紙が面白おかしく報じておしまい、だったと思われる。
 だがこれが社会的政治的な問題にまで格上げされてしまうと、事態はそれだけにとどまらなくなる。こちらの記事でも指摘されているが、今回の騒ぎは反制度的なレトリックで彩られているのが大きな特徴だ。ヘッジファンドが個人投資家にやられているという構図は人々のSchadenfreudeの感情をかき立てるが、それはポピュリスト運動とも通じるところがあるのは確か。経済制度というインフラは社会全体にとっておそらくは必要なものだが、それを壊すことに快楽を見出す人々がそれだけ増えているのは容易ならざる事態である。
 政治家がこの件に口を出しているのも、今回の騒ぎが持つポピュリスト運動的性格に反応したものだと思われる。こちらの記事で指摘されているが、米国では約70%が自分のことを中流だと認識している一方、それにふさわしい所得を得ている世帯は52%しかいない。そうした不満を抱く「自称中流」の不満にこたえることができると思わせられれば、それが票につながるわけだ。両党派の、特にポピュリスト的な政治家たちが、今回の「庶民vsエスタブリッシュメント」という(見せかけだけの)構図に飛びつき、Robinhoodやヘッジファンドを攻撃しているのも、それが理由だろう。
 トランプという対抗エリートの存在によって政治の世界における暗黙のルールが破壊されまくったのと同様、今度はメディアや政治家が対抗エリートとして行動することで、経済の世界でも同様に既存ルールが打ち壊される可能性がある。ルールの破壊とはつまり既存の秩序の破壊であり、つまり社会の不安定性へと至る確率がそれだけ高まる。大統領選が政治制度自体への信任投票であったのと同様、今回の動きは米国の経済制度に対する信任を揺るがすかもしれない。

 同時に、今回の騒ぎで感じたのは、米国市場がかなりバブル化しているのではないかという感触だ。先にも述べた通り、日本でもバブル期には素人が続々と市場に参加していた。アメリカでは1929年の暴落に関連して「靴磨きの少年」の逸話がある。もちろんバブルがいつ弾けるかを予測するのは難しい。だがバブルが永遠に続くことはない。実体経済がバブルに追いつくことができればいいが、そうでなければバブルがどこかで実体経済に合わせるよう求められる時が来る。
 その意味ではコロナ後に来ると期待されている景気回復がどこまで行けるかが問われることになる。ワクチンなどの効果で少しでも早く景気が上向けば、それだけバブル崩壊のリスクは避けやすくなるだろう。ただバブルによって成長が先取りされているため、そのバブルに上手く乗っかった者ばかりが成長の果実を手に入れ、他の者との格差がさらに広まるという結果になることも考えられる。もし株式市場の宴が続く裏でコロナによる実体経済へのダメージが続くようなら、板垣退助の言う「夫れ楽を共にせざる者は亦た其憂を共にする能わざる」の様相が一層強まるわけで、なかなか先行きは厳しそうだ。
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