ブーム到来?

 バウツェンはちょっとお休み。

 最近になってネットの日本語空間でもPeter Turchinについて言及する事例が出てきた。大きなきっかけになったのはFinancial TimesのThe real class war is within the richという記事だ(同じ内容がこちらでも読める)。見れば分かるのだが実にスノッブな英語で、読むのはかなり疲れる。このままだと日本でそこまで話題になることはなかっただろう。
 だがこの文章は少しあとになって日本語訳が日経新聞に掲載された。「真の格差は支配層の中に」と題したこの文章は、元の英語のようなスノッブさはあまりない、あっさりと読みやすいものとなっている。一方、この記事自体は有料会員向けであり、非会員は全文は読めなくなっている。それでも全国紙5紙の一角にこの記事が載ったことは大きな影響を及ぼしたようだ。
 実際、この記事を見て有名人何人か反応を見せている。翻訳が出る前にはそれこそ「ターチンしぐさクラスタ」くらいしか反応しておらず、さすが言語の壁は高いと思っていたのだが、逆にその壁を越えてしまえばTurchinの見解に注目する人は国内にも一定数いるのだろう。
 実際、有名人以外まで含めればこの記事への反応は結構ツイッターでも見かける。特にエリート過剰生産という言葉には、こちらこちらこちらこちらなどが言及しており、それだけTurchin的な観点が腑に落ちた人がいるのだろう。
 またこの日経の記事とは別に、フォーブス日本語版が英語記事の翻訳として「『管理者の過剰生産』が、社会の不安定化をもたらす」という題のTurchin関連の記事を載せている。こちらは日経記事ほどツイートで言及されている様子はないが、こちら経由でTurchinの考えに触れた人もいるかもしれない。
 元となった英語の記事はWe Are About To Mint Even More Excess Elitesというものだが、2段落目を見れば分かる通り、その内容はThe Atlanticに掲載されたTurchinのインタビュー記事にかなり依拠したもののようだ。そのインタビュー記事については以前のエントリーで少し触れているが、細かく知りたい人はnoteに要約&意訳という形でかなり詳しい日本語での紹介がなされているので、そちらを見てもらうのがいいだろう。
 単に記事の翻訳が出ているだけではなく、この記事に対するTurchinのblogエントリーの日本語訳「“コネチカットの狂った預言者”」まで、ネットでは閲覧することができるようになっている。経済学101では過去にもTurchinのblog記事をいくつか翻訳しているので、それだけ日本人が彼の見解に触れやすくなっているとも言える。
 さらにTurchinの見解を探して英語記事を探る動きも広まっているように見える。一例がこちらのツイート。ロースクールの卒業生増加が何をもたらすかについてTurchinは既に2013年にblogで指摘している(経済学101に邦訳を載せた)のだが、それが3年後に英語メディアに載り、そして最近になって日本でも注目されるようになってきたわけだ。
 他にも同じ記事を読んだ別人のツイートや、The Atlanticの原文記事を読んでエリート過剰生産に触れたツイートなど、ここに来てちょっとしたTurchinブームが来ている印象がある。知っている人にとっては今更感もあるかもしれないが、一方でこういう反応が出てくるのも分かる。

 Turchinの唱える構造的人口理論を巡るここまでの流れを見ると、1つのアイデアがどう世の中に広まっていくかを示す一例にも見えてなかなか面白い。そもそもTurchinが広めた理論の元になったのはGoldstoneの考えであり、彼は1990年代にその考えを本にまとめて発表している。その中では既に米国における政治ストレス指数(PSI)上昇の可能性も指摘されていたのだが、結局彼の議論は当時ほとんど受け入れられなかった。その事実は前にも書いている
 そうなった理由は、当時の社会政治情勢に加え、彼の本が近代初期という「歴史」を扱っていた点にもあるのだろう。あくまで遠い過去の別の国での話にすぎず、自分たちには関係ない。大半の米国人にとって、彼の本はそういう位置づけをされていたのだと思う。加えて当時のPSIはまだ上昇を始めて間もない時期であり、大半の人にとって「不和の時代」と言われても実感がなかったはずだ。実際、足元の水準に比べると当時のPSIはかなり小さい
 続いてTurchinがGoldstoneのアイデアに気づいたのは2000年代の初頭だ。彼は構造的人口理論についてHistorical DynamicsSecular Cyclesで紹介、分析し、2010年にはネイチャー誌で将来への懸念も表明した。さらに2016年にはズバリ米国自体を対象にしたAges of Discordを出版。明白にそのアイデアを世に示している。
 しかしTurchinのところにメディアが殺到するようになってきたのは、ようやく今年の前半になってから。2010年のネイチャー予想、そしてAges of Discordという書籍の存在だけでは不十分であり、世の中の方で足元に火が付いてきたところで、初めてこのアイデアが広く受け入れられるようになってきたわけだ。もちろんAges of Discordが無駄だったわけではないだろう。この本がなければいまだにTurchinは相対的に無名なままだったのではなかろうか。現代の米国が不和の時代にあるとはっきり述べ、それを実感できる社会政治情勢が整ったところで、やっと彼らのアイデアが受け入れられたのだ。
 日本にやってくるためにはそこからさらに言語の壁を越える必要があった。英語圏のメディアでの登場頻度が増え、それがFTにまで及んだところで、初めて国内大手メディアに出てくるようになったのだから、時間的にはかなり遅れた格好。アイデアの中身自体の善しあしだけで、そのアイデアは広まるわけではない。むしろ様々な環境条件との適合性の方が、アイデアの拡大には大きな影響を及ぼしているように見える。優れたコンテンツであっても、ミームとして優れているわけではないという一例だろう。
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